3曲目 ”おまいつ”のヲタ友


翌日の朝。


俺はインターホンの音で目が覚めた。

決まってマネージャーの三上さんはライブの朝、妹を迎えに来る。

 

家族と三上さんとの間で決まり事――


インターホンが鳴る日はライブの日。

妹だけ一人で出ていく日はマネージャーが外で待ってはいるが、ライブ以外の別の仕事の日。



母ちゃんは暇しているとき、家から近い会場であれば、マネージャー三上さんにお願いして、自ら進んでライブ会場の”関係者席”にいる。


そりゃ、可愛い一人娘がトップアイドルなのだ。雄姿はその目に焼きつけておきたいに決まっている。姉妹のように仲がいいし、一番アイドル活動を応援している家族の一人だ。



――英語の教科書みたいだ。



父さんは、週末仕事が多く、ライブに参加できる日は少ない。

インターホンと同時に察し、嘆き、母ちゃんに泣きついて、励まされている光景をみるのが俺の日課だ――早起きできるのであればの話だが。


昨日の俺の、俺自身による下馬評の通り、布団の中で新曲の衣装をあれこれ妄想していると夜更かしが過ぎて……今に至る。

スタイリストさんの作る衣装が神ってるから仕方ない!!!

まだ眠くて布団から出る気になれない。ごめん……妹よ、恋乃実よ。




「いってきまーす!」


元気な恋乃実の声が二階の俺の部屋――この部屋まで聞こえた。

玄関を出れば恋乃実は”コノミ”に大変身する。


家の中ではアイドルに恥じないお茶目で頼りない性格の妹であるが、家族の手から離れてステージに立つ”コノミ”の姿は勇ましくも頼もしい。


ステージ上では背中が大きく見えるし、歌い踊り、笑う姿は可愛くもかっこよくもなる。


あの小さく泣き虫な妹が、今や数万人の人間に全力で元気を分け与え、それをただひとつだけ貰って帰るのが俺の日常なのだ――


日本中探して、ひとつやふた家族くらいはこんな珍しい家族、兄がいていいと思う。



幸せだ――




◇◆◇◆




昼過ぎ。

そろそろ、電車を乗り継ぎ、横蛤よこはまぐりアリーナに向かおうと思う。


家は都内で一軒家。

父さんも、どんな悪いことをしたらこんな家が建てられるのかと思うが、どこに出しても恥ずかしくない、勤勉な日本のサラリーマンだ。

ありがとう、尊敬してる。

たまには一緒にライブ行こうな。父さん。


家を出て、JRを使う。


電車で乗り継げば、今日は簡単に行けるライブ会場なのだ。


近くて助かる。財布に優しい。交通費が浮いた分、グッズを買って、妹の養分になっておこう――の三拍子が揃う稀有な現場だ。


横蛤アリーナ周辺に付いた時には、既にうちのファンであろうヲタクたちが街をメンバーカラーに染めていた。



これは、ポリシーだが、妹の迷惑にならなくていいように、赤色を纏うことは避け、私服で出かけている。


どう考えても、コノミが「俺の実妹じつまい」だと周りにバレたとき、滅っ茶、苦っ茶、痛いような気がしているから、今のうちに「人間関係喪失モノのリスク」については避けておくためだ。


決して真っ赤っかで背中に「織姫」と書かれた赤色の推し法被を着るのが恥ずかしいからではない……。妹は目に入れても痛くない。


……多分、そんなことはない。多分滅茶苦茶、痛い……激痛。



会場入り口の見慣れた顔の集まる輪に近づいていく。


やっぱり、ここが一番面白いやつが集まってて、頭のねじが一つ二つ……三つくらい飛んでいるから好きだ。壊したくない繋がりだと再認識する。



「オニイちゃん、おつかれ~」


話しかけてきたのはハマさん。

会社経営をしている社長さんということを前に聞いたことがあるヲタクだ。

この人はいわゆる、”おまいつ” ――「お前いつどこにでもいるな」の略称。


金持ちだから成せる芸当だが、有り余る札束で新幹線、飛行機、なんでも使ってどこの会場にも居る。

アイドル運営のみならず日本経済にまで、やたらめったらに金を落とす最高のヲタクだ。

こういうヲタクが一番アイドルを支えてるし、家族としても頭が上がらない。ありがたい。


持ち物のところどころに黄色をチラリと忍ばせる、イカしたオジサンだ。マジもんの紳士でかっこいい。



推しはレナ。メンバーカラーはもちろん黄色。


他のメンバー情報については今後。

諸君、それで今は勘弁してくれ。

好きな事なら永遠に話せるヲタクの矜持きょうじってやつが、今は不必要な情報で諸君を惑わすことを拒絶しているのだ。



不覚にも、オジサンに「オニイちゃん(お兄ちゃん)」と呼ばれることになっているのが、俺は慣れたけど諸君にはややこしい。軽く説明しておく。


オニイちゃんってのは、俺のハンドルネーム。

SNSでは「鬼居おにい」というネームで、ポストするアカウントを使用している。

ハンドルネームの由来については、特になにもない。


しいて言うなら、コノミの魔法が溶けてしまい、いつか目の前で「俺の実妹」に戻ってしまったとき――「お兄ちゃん」と馴れ馴れしく話しかけてきたとしても、一発だけならヲタクの前で回避できる。


いわばワンパン対策だ。


俺は全国的に見てもコノミの熱心なヲタクだから、アイドル本人に”認知”されていてもおかしくない。


一度だけのコノミの粗相なら、ヲタクの前で会ったとて耐えられる……はず。



――たぶん。

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