千年狐と隣りの君

ケンタン

第1話

 その日、街の端にある山中で、土砂崩れが起きた。

 地元のニュースでは「老朽化した祠が崩壊」とだけ報じられていたが、

 俺にとっては、ただの他人事ではなかった。


 


 祖父が管理していた古神社——伏見神社。

 数年前に亡くなった祖父の代わりに、今は俺がひとりで守っている。

 といっても、参拝者なんてもう何年もいない。

 苔むした石段と、軋む鳥居だけが、静かに時を刻んでいた。


 


「……まさか、本当に崩れちまったのか」


 山道を上りながら、俺は息を整える。

 夕暮れに差しかかる森の中、湿った土の匂いが濃く漂っていた。

 木々の隙間から見える空は赤く染まり、遠くで鳥の声がこだましている。


 


 ようやく辿り着いた祠の跡地は、ひどい有様だった。

 屋根は潰れ、御神体も半ば土に埋もれている。

 祖父が生前、「この祠には触るな」と言っていたことを思い出す。


 


「……まるで、何かを閉じ込めてたみたいだな」


 呟いた瞬間、冷たい風がひゅうと吹き抜けた。

 木の葉がざわめき、崩れた土の奥から——

 淡い金色の光が、ふわりと浮かび上がった。


 


「っ……な、なんだこれ……?」


 光は小さく、しかし確かな“息づかい”を持っていた。

 まるで誰かがそこに眠っているように、脈打っている。

 そして、土の中から“それ”は現れた。


 


 金色の髪、ふわふわと揺れる大きな耳。

 白い衣をまとい、手足は細く小さい。

 まるで童話から抜け出したような、狐耳の少女——。


 


「……ぬし、か?」


 鈴のような声が響いた。

 目を開いた少女——いや、妖狐は、琥珀の瞳で俺をじっと見つめた。

 瞳の奥には、懐かしさとも、安堵ともつかない光が宿っている。


 


「ぬし、妾(わらわ)を……呼んだのじゃな?」


「よ、呼んだ? いや、俺はただ——」


「ふむ……では、妾の封印が……自然に解けたというのか……。長き眠りで、身体が……思うように……」


 ふらり、と少女の体が傾ぐ。

 慌てて受け止めると、驚くほど軽かった。

 温もりが腕を伝い、ふわりと狐の香りがした。


 


「お、おい……大丈夫か?」


「む……すまぬ、ぬし。妾、少し……眠いのじゃ……」


 その言葉を最後に、少女はすうっと目を閉じた。

 小さな胸がゆっくり上下している。——生きている。


 


 狐耳の幼女。

 封印。

 金色の光。


 ……何か、途方もないものを目覚めさせてしまった気がした。


 


「どうするんだよ、俺……」


 沈みゆく夕日の中、腕の中の少女は小さく寝息を立てていた。

 風が止み、森は静寂を取り戻す。

 その静けさが、これから始まる日々を予感しているようで——


 


 俺はそっと息を吐いた。

 あの日、確かに封印は解かれた。

 そして——忘れられた神と人の、物語が動き出した。

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