「春を知らぬ家」への応援コメント
うわあ…すごすぎる。
途中までかぐや姫的な感じで読んでいたら
最後の最後で……。
そして最後の描写が綺麗すぎる。
語られていることはとても残酷なのに
終わり方がなんとも綺麗…。
2ヶ月も出られないんじゃあ
その家ですくすく育つしかないでしょうね…。
素敵な作品、ありがとうございます。
作者からの返信
今だからこそ、あれは失敗だったと思えるのです。湯治と称していましたが、実際には他の村へ人を食べに出かけていたわけです。単に若返るではなく、返り血を浴びた姿で戻ってくる──そんな描写を加えておけば、この二人が山姥と、それに近しい存在であることが、自然と伝わったのではないかと思います。
昔、社会科見学で、食肉用の家畜を育てる農家を訪れたことがあります。そのとき、誰かが「殺すのが可哀想だと思いませんか?」と質問しました。それに対して、案内の方がこう答えました。「この仕事をする人がいなければ、みんながお肉を食べられなくなってしまう。それに、お肉になるまで、この子たちはたくさんの愛情を注がれて育つんだよ。」
その最後の言葉が、子どもだった僕にはとても怖く感じられました。「愛情を与えれば、殺してもいいのか?」──そう思いながらも、僕は肉を食べました。
この感覚に抵抗を覚える人は、きっとベジタリアンになるのでしょう。でも僕はそうはならず、今でも肉を好んで食べています。ただ、あの言葉だけを聞くと、説得力があるようで、どこか怖さも感じるのです。
それで思ったのです。もし我々が食人鬼のような存在に、愛情を持って育てられたなら──食べられることに納得できるのだろうか、と。
そんな思いから、物語を書いてみました。でも、書き終えてみて気づいたのは、これはまだ序章にすぎないということ。この旅人がこれからどうなるのか──それが本編なのです。
そしてふと考えました。僕の物語に、すぐに物語で返してくれる「らとさん」がこの旅人だったら、きっとここから新しい和風の『千夜一夜物語』が始まるのではないかと^^
「春を知らぬ家」への応援コメント
老夫婦が長寿なのも、若々しいのも「そういうこと」なのでしょうか……。
村人は隔絶した老夫婦を無視し、妙な目で見ているけれど、老夫婦の側もまた、独自の目論見と生活から、外部の者との交渉を避けている。そう考えるとさらに怖ろしいです。
ラヴクラフトの『家のなかの絵』を思い出しました。
作者からの返信
老夫婦は山に住む、怪異です。全く姿を見せなければ、何かしらの噂が立つでしょうが、年に一度、冬ごもりの為に山をおりて、「湯治」と称して人を食いに出かける。それによって、村人は何者が住んでいるのか、かってに誤解して知ったつもりで居る。子供の頃、肉になる動物を、愛情込めて大切に育てた、と説明を受けたことがあるんです。その説明にすごく違和感があったんですよね。愛情込めて大切に育てれば、殺しても良いのか、、ってね。もっと別の言い方があると思うのですが、ただ、その説明だけ切り取って考えるとすごく怖いな、って思って物語にしてみました^^逢坂らとさんが、僕の物語を旅人目で「春を夢見る」として完結させているので、是非よんでみてください^^