第3話
交通事故証明書は簡単に取れた。
2枚綴りになっており、1枚目には事故の時間と場所、相手と私の氏名、住所、電話番号、自賠責保険の番号等が書かれ、2枚目をめくると、見慣れた2人の名前が記載されていた。
上の名前には、私と同じ住所と電話番号が書かれ、下の名前には「同上」とあった。
書類のどこを見ても、死亡したとは書かれておらず、1枚目の下の方に小さく「人身事故」とあった。
私は、それを見た瞬間から周りの景色が見えなくなり、長い間、証明書を見つめながら2人の笑い合う姿を見つめた。
翌日、事故証明書に書かれた相手当事者の住所地へ向かった。
そこは事故の現場から3キロほど離れた住宅地の中にあった。
木に囲まれた大きな家で、門は閉ざされ、人の気配は無く、表札もはずされていた。
一応、管理はされているのだろうが、庭木は伸び放題だった。
どうして良いか分からず、何となく周辺を車で回り、夜は駅前のホテルに泊まった。
翌日は、学区内の中学校と児童養護施設へ行ってみたが、中に入って話を聞くことはしなかった。
おそらく目的の少年のことは話してもらえないだろうし、怪しまれると今後の行動も取り辛くなる。
午後3時を過ぎ、家に帰ろうと思ったが、ふと子供のころ野球の試合に来た球場があったことを思い出した。
ナビの案内で近くまで行き、コイン駐車場に車を駐車した。
スマホの地図を見ながら歩いて河川敷へ降りると、その野球場はあった。
バックネットやスコアボードもあり、良く整備されている。
休日には少年野球や草野球で盛り上がるのだろうが、今は静まり返っている。
川の方を見ると、川岸のサイクリング道路に1人だけ人がいた。
釣りでもしているのかと、目を凝らしてみると、白いワイシャツに黒い学生ズボンの高校生くらいの少年が、川に向かって何かを投げている。
野球場の端まで行くと、石を投げているのが分かった。
昔ながらの水切りというやつだ。
見ているとかなりの勢いで石が飛び、5、6回水面を跳ねている。
少年は体を低く沈めながら、右腕で何度も投げていた。
30回以上投げると、今度は左手に石を持ち、体を大きく使ってオーバースローで遠投した。
注意深く見ていたが、石はどこに落水したか分からなかった。
しかし、5回目に見えない理由が分かった。
石は100メートル近く離れた対岸まで飛んでいた。
一目で野球経験者の投げ方ではないと分かった。
やり投げのように力を込めてがむしゃらに投げている感じがする。
なかなか器用だし、高校生にしては肩も強いと思うが、この時間に1人で石を投げているのは普通じゃない。
部活もやってない、友達もいない、きっとただのつまらない高校生だ。
腕を組んで見ていると、視線に気づいたのか、少年は私の方を見た。
目が合うと、そそくさと鞄と上着を持って走り去って行った。
その後ろ姿を目で追いながら「変な奴だ」と独り言を言ったものの、こんな所でそれを見ている自分の方こそ変だなと思い直した。
こんなことをしている自分を妻が見たら何と思うか。
「だめかな、もう……」
諦めるというより、自分のしていることに強い虚しさを感じた。
「帰ろう」
整備された野球場を踏まないように、遠回りしてもと来た道を戻った。
翌日、朝5時45分にベッドを出て、スマホのメモにしたがって朝食を食べ、支度をして家を出た。
車を走らせ、事故の現場へ向かった。
一昨日、相手当事者の家へ行くときは、そこを通らないようにあえて遠回りをした所だ。
昨日家に帰った後、これから何をしたら2人のためになれるのか、どうしたら許してもらえるのかと考えてみた。
一睡もしないで考えたが、答えは見つからなかった。
それならば2人に聞いてみるしかないと思い、現場に行ってみることにした。
近くのコインバーキングに車を駐車し、歩いて現場へ向かうと、中央分離帯のある片側2車線の国道に出た。
そこは緩いカーブになっている。
渋滞はなく、車は6、70キロくらいのスピードで流れている。
両側に歩道はあるが、たまに自転車が通るくらいで、人は歩いていない。
歩道を歩きながら衝突地点を探していると、1本の標識の足元に、ゴミのようなものが見えた。
近づいて見ると、古びたパック入りのジュースが2つと枯れ果てた花があった。
私には、それが何かすぐに分かった。
そこに立って道路と中央分離帯を見るが、事故の痕跡は何も残っていない。
目を閉じて何かを感じようとしても、通過する車の騒音以外、何も聞こえない。
持参した花を袋から出して置き、ゴミになったジュースと花を回収して空袋に入れた。
新しい花を標識のポールに紐で結びつけようとしたが、躊躇した。
「こんな所に2人がいるわけがない。いや、こんな所にいさせるわけにいかない」
声に出して言ったが、車の騒音にかき消されて自分の耳にすら聞こえなかった。
私はゴミの入った袋と新しい花を両手に提げて立ち上がり、中央分離帯の方を見たが、そのとき激しい立ち眩みで視界が白くなった。
一旦、目を閉じ、再び開けると分離帯の無機質な縁石が妙にはっきりと見えた。
と同時に、その縁石を目掛けて突進する感覚が甦り、大きな黒いものが視界を覆った。
「あっ!」と声をあげた。
ガツンという大きな衝撃。
ガシャンというガラスが割れる音。
「あうっ!」という妻の唸り声。
体が爆発するような感覚。
それがあの日の事故の記憶であることはすぐに分かった。
それがすべてだった。
そのすべてを思い出した。
「ああ……」
私は立っていられずに、硬い歩道にしゃがみ込んだ。
標識のポールに寄りかかり、尻を着いた。
そして、立てた膝に顔を置き目を閉じた。
全身が昇華して行くような感覚を覚えた。
やっぱり死んでいたのか……。
私は、自分の体が枯れた花のように朽ち果てていくのを感じた。
「大丈夫ですか?」
不意に低い声が聞こえた。
「大丈夫ですか?」
誰かが肩に触れている。
ぼやけた視界の中に、白と黒のパトカーが見える。
顔を上げると、制帽を被った男性の顔があり、警察官の制服を着ている。
「あっ、いえ、はい……」
「気分でも悪いんですか?」
「ああ、大丈夫です」
どれくらい目を閉じていたのだろう。男性警官の質問に答えるうちに、正気に戻ってきた。
「立てますか?」
腕を引き上げてもらってやっと立ち上がることができた。
パトカーの後部席に乗せられ、警官と話をした。
通りかかった車から通報があったらしい。
事故の話をすると、座り込んでいた理由はわかってもらえたが、さりげなく所持品と免許証を調べられた。
一通り終わると、
「今年になって、管内で10人の死亡事故があった」
という話を始めた。
事故に注意するように伝えたかったのかもしれないが、ついこの前、事故で3人を死なせた私に対して言うのはおかしい。
ただでさえ罪の意識に苛まれているのに、この上どう注意しろと言うのか。
私は当たり障りのない返事をしながら駐車場まで送ってもらい、礼を言って自分の車に乗り込んだ。
しばらくハンドルに額を当てて目を閉じていたが、こうしていてもしょうがないと思い、エンジンをかけ、あてのないまま車を発進させた。
事故の記憶は甦った。
記憶は全くないと思っていたが、脳は知覚した現実をしっかりと刻んでいた。
この目が、耳が、体が感じたものが、自覚のないまま刻まれていた。
中でも、最後に聞こえた妻の声。
喉から絞り出すような声が、何度も何度も頭の中で鳴り響く。
私が2人を殺したのだ。
あそこで左にハンドルを切っていたら。
あと1秒早くあそこを通過していたら。
あと1秒遅くあそこを通っていたら。
ほんの少しだけ、違う動作をしていたら2人は死ななかっただろう。
死んだ2人には何の責任もない。悪いのはすべて私だ。本来死ぬべきだったのは私なのだ。
ふと見ると、記憶のある海水浴場の標識が見えて来た。
去年の夏、3人で楽しんだ海水浴場だ。
自覚のないままに、高速を走ってここまで来たらしい。
ひょっとすると2人は、楽しかった思い出を求めて、私をここに導いたのかもしれない。
標識に従って左折し、海水浴場の駐車場に入った。
車が何台かあるが、人はいない。
ダウンコートを羽織り、車を降りた。
風は冷たいが、海は明るく輝いていた。
砂浜には海の家はなく、人影もない。
波は穏やかで、5、6人のサーファーが漂っている。
流木に腰掛けて目を閉じると、海で遊ぶ妻と娘の姿が現れた。
寄せたり引いたりする波に、飽きもせずに走り回って笑っている。
時折、こちらを見て手招きするが、私は座ったままだ。
それが幻覚だということは重々承知している。
しかし、このままでいたかった。
ここに座って、いつまでも2人を感じていたかった。
眼を開けると、辺りが薄暗くなっていた。
北風が吹き始め、波音も大きくなっていた。
サーファーの姿はなく、振り返ると駐車場には私の車1台しかない。
ダウンコートのボタンを首までとめ、フードをかぶり、再び目を閉じた。
波音を聴きながら2人を探すが、姿が見えない。
薄暗い波間に眼を凝らすと、波と波の間に小さな手が見えた。
娘が波にさらわれたらしい。
海岸には離岸流という引き波があり、波打ち際からあっという間に沖に流されるということを聞いたことがある。
私は立ち上がり、波に向かって走った。
腰くらいの深さのところで波に飛び込み、さらに沖へ泳いだ。
子供の頃から泳ぎには自信があった。
時折、首を伸ばして沖を見ると、妻と娘の手が見えた。
そのとき、ひときわ大きな白波が来た。
私は、頭を下げ、潜ってやり過ごした。
水面に顔を出し、沖を見るが何も見えない。
「ふふ……」
声を出して笑い、ダウンコートの浮力にまかせて仰向けになった。
空はまだ明るい。
「このまま2人のところへ行くか……」
仰向けのまま波に漂っていると、突然、空が見えなくなり、頭上から大きな波が崩れかかってきた。
ドカンという音とともに、何トンもの海水が体にのしかかった。
一旦海底まで押し込まれ、そして
上も下も分からない中で、思考も混乱した。
目を閉じたまま、何かを求めてもがき続けた。
何回も、何回も波に巻き込まれ、体がぐるぐると回った。
そして何も考えることができなくなった。
激しく咳き込んだせいで意識が戻った。
海水と砂で瞼は焼かれたように痛かった。
鼻や口の中まで砂でジャリジャリしている。
「死んだのか?」
回りは何も見えない。
「2人はどこだ?」
キョロキョロと見回すが、ぼやけて何も見えない。
落ち着くために、その場に寝転がってみた。
何回か瞬きをすると薄暗い空が見えた。
両手を動かすと砂の感覚があった。
上体を起こすと波の音が聞こえた。
死んでいない。
生きている。
知らず知らずのうちに身を守り、ダウンコートの浮力で砂浜まで運ばれたらしい。
周りには誰もいない。
さっき座っていた流木からは、30メートル以上離れている。
立ち上がると全身がびしょびしょで、ずっしりと思い。
そのままよろけながら流木の方へ歩いたが、透明な水の流れに足をとられて両手を着いた。
何かがキラリと光り、ピンピンと跳ねた。
目を擦ると水面を無数の幼魚が飛び跳ねている。
両手ですくうと、銀色に光る幼魚が捕まった。
全力で体をくねらし、手から逃げようとする。
その動きに迷いは一切ない。
「こんなところで捕まってたまるか」とでも言うように、全力で生き延びようとしている。
手ごと水に浸けてやると、ぐるぐると回った後、指の隙間から抜け出し、一目散に泳いで逃げた。
やっぱり……。
足で水面を蹴ると、無数の幼魚が跳び跳ねながら水面を散った。
生きるのか、俺は。
どうやらそうするしか無さそうだ。自分の意思などお構いなしだ。
命が尽きるまで生きる。それが生き物というものだ。
びしょ濡れのコートを脱いで、両手で絞った。
幼魚が1匹、足元の水面に落ち、勢い良く泳いで行った。
それを目で追いながら、私はなぜか、
「大きくなれよ」
と声を掛けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます