第37話 白き檻に眠る
戸ヶ崎光一郎は目を覚ました。
そこは白い無機質な部屋だった。ベッドの横には機材があり、チューブのようなものが何本も出ている。それを視線だけで辿っていくと、自分の身体についているようだった。病院と言うには物々しすぎる機械に、戸ヶ崎は背筋が冷えていくのを感じた。
しかし脳からの指令を無視するように、身体はぴくりとも動かなかった。
あの時――黒の適合者を手に入れ、ブラックホールの種を完成させた時、何があった?その後の記憶がないのは何故だ。
戸ヶ崎は目をぎょろりと動かし、考えを巡らせる。息が自然と上がっていく。
自分をこんな状態にしたのは、誰だ。
ハアハアと大きく呼吸しているのに、どんどん息苦しくなる。
この機械は何だ。俺は何をされているんだ。
ビーーーー!
どこからか警告音が鳴り響く。戸ヶ崎はヒュッと息を止める。
まもなくして扉が開く音がした。入口は戸ヶ崎からは見えない位置にある。しかし確実に、誰かが部屋に入ってきた。
どきんと心臓が脈打つ。ぞわりとしたものが首筋を走る。内臓が空中に浮いたような感覚に戸ヶ崎は思わず目を瞑る。
ひたひた、と足音がベッドに近づいて止まる。
誰かが自分を覗き込んでいる。意識が戻ったことを悟られまいと、目を閉じたままでいた。しかし、大きく脈打つ心臓の音が聞こえてしまわないか不安だった。
もう無理かと思われたその時、もう一度扉が開き、もう一人入ってきた。
「おい。そいつに触れるな。黒の力に感染するぞ」
びくり、とベッドのわきに居た人物が震えるのが分かった。
「異常がないなら、戻れ」
上官らしき男がベッドの脇に立つ人物に命令した。
ハッ、と短い返事をして、ベッド脇から人の気配消える。
戸ヶ崎は心の中でほっと息を吐いた。
しかし――あの男の発言が気になる。“黒の力に感染“とはどういう意味だろうか。
じわじわと不安が喉元にせりあがる。吐き気に生理的な涙が零れた。しかしそれを拭う為の手は動かない。時間の感覚もない白い空間で、戸ヶ崎は迫りくる未知への恐怖にじわりじわりと侵されつつあった。
***
その頃、アスリオンでは、また別の緊張が走っていた。
リヒトがいつも通り巡回をしていると、前方からリミが近づいてきた。
眉を顰め、肩を怒らせ、早足で、全身で怒りを表している。
「リミ、どうした?」
リヒトが心配そうにのぞき込むと、彼女は怒りをぶつけるようにリヒトの胸をドンと叩いた。
「サネナリが」
サネナリ?イチゴの監視に就いているサネナリに何かあったのだろうか。リミの震える肩を抱きしめる訳にもいかず、リヒトの手は空を彷徨う。
「サネナリが……っちゃった」
「サネナリがどうしたって?」
リミは顔を上げて、大きな声で叫んだ。
「サネナリがひねくれちゃったのよ!!」
「ん?」
リヒトは予想外の答えに、疑問符をいっぱい浮かべた。
「あのイチゴってやつのせいで、サネナリったらすっごく性格が悪くなっちゃったの!!どうにかしてよっ!!」
「ああ…うん……ええっと?」
その後、リヒトはリミの愚痴を小一時間ほど聞く嵌めになった。
つまり、こういうことだった。サネナリはイチゴの対応に最初こそ苦心していたが、今はイチゴを言い負かすくらい口が達者になったと。そして、その口の悪さをリミにまで発揮してくるらしい。
例えば、未だに白の巣の設備を使いこなせないリミに向かって、ちくりと「操作の説明するの、もう〇回目ですよ。少しは頭使ってください」とか。配下の小さなミスに「こんなことも出来ないなんてスペックが低すぎます」とか。
おかげで白(ブランカ)内の人間関係はピリピリしている、という。
いつもだったら、その解決策を考える参謀が今回の騒動の中心にいる。そのため、誰にも相談も出来ず、リヒトの所に泣きついてきたのだ。
「それは…ごめん」
リヒトはリミに申し訳なくなった。イチゴの監視は、そもそもリヒトの役目だったのだ。それをリヒトがごねたせいで、サネナリにお鉢が回り、白(ブランカ)の組織に影響を及ぼしたのだから。
「もともと俺の役目だったんだ」
「……」
「いや、まじでごめんて。無言で見つめるのやめて…。」
リミにジッと見つめられ、いたたまれなくなったリヒトは、その視線を手のひらで遮る
「どうしてくれるのよ…あの素直で可愛かったサネナリを返してよぉ」
「っ…!」
涙目で訴えられ、リヒトは真っ赤になった。なんといってもリミはフィギュアスケートのトップスケーターなのだ。容姿も表現力も抜群に優れている。
「あの…ナントカシマス」
「なんとかって?」
リヒトは息を吐く。そうだ。アスリオンのトップで居続けるならば、これは避けては通れない道だ。
「サネナリと話す。……イチゴとも」
真剣な表情でリヒトは言いきった。リミはリヒトの様子にひとまず納得いったように、怒りを収めた。
「約束よ!なるべく早くね!!」
リミはそう言うと、白の巣へと戻って行った。
リヒトはその場にしゃがみこむ。ろうそくが100本くらい消せそうな、長い長―いため息をつく。
率先して嫌いなヤツと話すなんて
なんでこんな嫌な役回りをしなきゃなんないんだよ
うーん、とリヒトは記憶を辿る。
ブランカたちの数億年分の記憶を見てからは、適合前の人間だった頃の記憶がおぼろげだ。思い出すことは出来るが、それには感情が伴っていない。ただの記録のようなそれを思いだすのはリヒトにとって嫌な作業だった。
ペラペラと一枚ずつページをめくるように記憶を遡る。
イチゴはバスケ部の仲間だ。関西弁を話す、どこかつかみどころのない男だった。瞬と同じで、リヒトの一学年上。知っていることは多くない。瞬・ロウとつるみ、バスケ部のスタメン。洞察力に優れ、サポートに徹するプレースタイル。今のナンパな印象とは真逆に、地味で冴えなかった。
瞬とは適合以前から仲が良かったが、ロウやイチゴは時折瞬との会話に加わってくるくらいだ。もしかすると、一対一で話したこともないかもしれない。
けれど――逆転した試合はいつも、イチゴの助言があった。
リヒトは思い出す。
人を欺くプレーをするヤツだった。
攻められると嫌な所を知り尽くしていた。
そして――いつももう一つ、奥の手を隠していた。
リヒトの中で、何か予感めいたものが煌めく。
記憶のページがパラパラとめくられる。
いくつもの思い出がページに浮かび上がっては消えた。
その中には、彼が瞬やロウと楽しそうに笑い合う姿もあった。
話そう。きちんと。
リヒトは立ち上がった。怒りはきれいさっぱり消えていた。
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