第5話 予兆

 怪しい種を差し出して、俺に「食え」と言ってくるネザン。


「……なんですか、これ」

「これが“地力の種”だ」


 地力の種って…長老会議で話題に上がってたやつだよな。確か、50年間代表者にずっと食わせ続けてたっていう種。


「これをどうしろと?」

「ショーにやる。さあ、食え」

「はい?」


 いやいや、おかしいだろ。代表戦に出る戦士が食うやつだろ、これ。


「これは次の代表になった方にあげたほうがいいんじゃ……」

「ああ、だからこれはショーにやるんだ」

「……はい?」


 ……ネザンはハプニングの連続で頭がどうかしてしまったのか? 俺が鼠族の代表に出られるわけないだろうに。それに流浪者って言っても俺は弱っちいただの人間だ。あんな蛇とまた会うなんて二度と御免だ。しかも今度は戦う? ありえんだろ。


「……結構です」

「ん? 何故だ? 地力の種は高価なものだから、こんな時じゃなけりゃ手に入らんぞ」


「それ食べたら俺が代表になるんでしょ?」

「ああ、そうだ。だが、この機会を逃したらこの先、地力の種などいつ手に入るか分からんぞ。各種族がこれを血眼になって探しているんだから」


「いや、だから。俺は別にそんな種食べたくないですよ。ってか、あの蛇と戦うとか絶対に無理ですし」

「ああ、それは大丈夫だ、ショー。文献には『流浪者は地力の種を食して絶大な力を得た』とある。お前にはこれが必要だ。さあ、この機会を逃すな、食え」


 絶大な力……いやいや、怪しいから。そんな訳の分からんもの食べて死んだらどうするんだよ。


「食べませんし、代表にもなりませんよ」

「……?」


 ネザンが何故か不思議そうにしている。


「ああ、そうか、悪い悪い。ショーにはまだ大切な事を教えてなかったな。俺としたことが、いろいろなことが一度に起きて忘れてしまっていた。ショー、流浪者が元の世界に戻るためにはこれから起きる異変を解決しないといけないんだ。ショーコもサルゴンも異変を解決して戻って行った。そのために彼らはこの地力の種を食べて力を付けた」

「え? ……戻る? え、戻れるんですか、俺?」


 俺はネザンに詰め寄る。


「ああ、文献には確かにそう書いてある。だが、それは『異変を解決したら』という前提だ」

「い、異変を解決って……え、そんなのできる訳ない…」


 獅子族と戦ったり、疫病を相手にしたりなんて絶対に無理だ。


 俺は小学校からずっとクラスカースト底辺チョイ上にいるような存在だ。自分がいじめられないように渡り歩くだけで精一杯だったのに。無理だ、できっこない。


「……できない? 何を言ってるんだ。できなきゃ死ぬんだぞ」

「え、死ぬ?」


「当たり前だろう。今すべきことができなきゃ死ぬ。餌を見つけられなきゃ死ぬし、蛇族から逃げられなきゃ死ぬ。猫族に絡まれた時に鼻に一撃食らわせられなきゃ死ぬんだ」


 死ぬ。え、俺死ぬのか?


「なにを不思議そうな顔してるんだ。ショー、お前、まさか…“死なない国から来た”なんて言わないよな?」

「え、いや……」


 そりゃ病気でも死ぬし、事故でも死ぬだろう。でも自分が死ぬことなんて一度も考えたことなかった。この世界に来て死んだと思ったことはあったけど。


「ふむ、やらなきゃ死ぬ。やれなきゃ死ぬ。それ以外の世界……まったく想像できんが」


 ネザンが腕組みをして首をかしげる。


「と、とにかく、俺はそんな種なんか食べませんし、代表戦にも出ません」

「……帰れないんだぞ?」

「……」


 ネザンが俺をジッと見つめる。


「そうか……なら、好きにするといい。ショーが戦わないと言うなら俺にはどうする事もできない。じゃあな、俺はやらねばならん事があるからこれで失礼する。元気でな」


 ネザンが四本足になって地の上を駆けて去っていく。


「……え? あれ?」


 あっという間にネザンの姿が茂みの中に消えた。


 ネザンの去った森を呆然と見つめていると、森から風が吹き抜けてくる。

 

 周囲の木々が騒めき、その風が収まると急に静かになった。


 ふと一人神社で過ごしていた場面を思い出す。


「え、俺、どうしたらいいんだ……」


 蛇に襲われ目覚めてからはずっとネザンがそばにいた。なぜか知らないが、それで安心していた自分がいた。でもこうして一人取り残されると、“自分が異世界にいる”という現実が物凄い脅威となって俺の心を捕らえに来る。


 ガサガサ


「うおっ」


 背後の茂みが音を立てるだけで心臓が殴られるような感覚。恐る恐る背後を確認するとネズミが俺を見ていた。鼻をヒクヒクさせ、頻りに口元を動かす。そして口元が動くたびにチラチラと見える硬そうな前歯。


 ……喰われる。


 その思いがよぎった瞬間、俺は振り返って走り出した。この世界のすべてが俺を飲み込もうとしてくる気がする。


 茂みに足を取られ転び、木を避けた先にある別の木に体をぶつけ、それでも全力で逃げる。


 そして気づくと、大きな川の畔まで来ていた。


「ハァハァ……」


 幅は50mくらいか。家の近くの川が河口に注ぐ時に見た川がこれくらいだった。だが、流れはこっちの方が比較にならないほど激しい。その先にさらに滝でもあるのかと思う程に水に勢いがある。


「この川の向こうには行けそうもないな」


 激しく鼓動する心臓を落ち着けようと息を吐き、大きく息を吸う。肺の底がズキンと締め付けられる。


「喉乾いたな」


 激しく流れる川に近づき手で水を掬う。匂いもなく濁ってもいない。飲めるかもしれないと思い、少しだけ口に含んでみる。


「ん、大丈夫そうだ」


 水道水のような薬や金属的な匂いはしない。むしろ草の青臭い匂いが少しだけする程度。昔、山登りに連れていかれた時の山の湧き水を思い出すような水だ。


 ゴクッ ゴクゴクゴク


「ふうう」


 水を飲み終え、吹き出した汗を拭う。空を見ると青空が少しだけ暖色に染まっているようだ。陽光が崖の片側を強く照らしているところを見ると、だいぶ日が傾いてきているらしい。


「腹も減ったな。魚でもいないかな……」


 キャンプでやった渓流での魚取り。罠を作って魚を取ったことを思い出しながら魚の影を探して川面を探る。すると、上流から何かが流れて来るのが見えた。


「なんだあれ?」


 こんもりとした何かが流れてくる。


「荷物とかなにかか?」


 もし荷物だったら中に食べ物や必要なものが入ってるかもしれない。こっちの川辺近くを流れて来るそれを期待を込めて見つめる。


「うーん、荷物じゃなさそうか……えっ……」


 流れてきたものが近づいてくるにつれてだんだんとはっきりと見えてくる。丸みを帯びたそれには尖った部分があり、そこから何本もの細い紐が噴水のように周りに飛び出している。そして全体は水に付けたモップのようにゴワゴワして……


「ひっ、お、おええええええええ、おええええええ」


 今さっき飲んだ水が逆流し口から滝のように吹き出す。


 そんな俺の目の前を、腹に深い三本傷を残したネズミの死体が、静かに流れ過ぎていった。



「うおええええ、うおええええ。はあはあはあ、うおえええ」


 止まらない嘔吐。飲んだ水を吐き切っても止まらない。それがだんだん怖くなり、歯を食いしばって嘔吐を抑える。すると、徐々に体が落ち着いてくる。


 水が勢いよく流れる音だけが辺りを包む。


 ふと顔を上げると、辺りが暗くなってきていることに気づく。


「だめだ。ここで夜はヤバい。どこか身を隠す場所を探さないと」


 さっき見たネズミの死骸に自分を被せる。この世界では死がすぐそこにあるのだ。そのことを理解した俺は震える膝になんとか力を入れて立ち上がる。


 空を見るとすでにその半分が暖色に染まり、薄っすら紫がかっている。


「崖はネズミの巣になってるし……そうだ、木の上なら」


 視界のいい川沿いを早歩きで登れそうな木を探す。俺が乗っても折れないくらいの太い枝がある木。できれば落ちなさそうな木がいい。


 歩き続けると、ようやく一本のずんぐりした大木を見つけることができた。幹は腕を回しても半分に達しないほど太い。ところどころに足場があり、3m程上には太い枝がうねるように伸びている。


「今日はここだな」


 何度もずり落ちながらもなんとか登り、丁度体のおさまりのいい場所を見つけ体を横たえる。木のゴツゴツした冷たさが背中に押し付けられてくるが、それも気にならないほどに安堵の気持ちが強い。


 今日起こったことを、蛇顔だけは思い出さないようにしながら振り返る。


 神社で石を投げたのがいけなかったのか。もしかして罰が当たったのか。なんでこんなことになってしまったのか。いや、まだ夢だという可能性もあるのかもしれない。次に目が覚めたら自分の部屋の天井が見えたりするんだろうか。


 その可能性がほとんどないという事実に蓋をし、淡い期待の中で意識が深く落ちていった。



 

 カンカンカン カンカンカン カンカンカン


 安らかな気持ちを引き裂くような打撃音で目を覚ます。


「なんだ?」


 目を開けると、すでに辺りは明るくなっていた。鬱蒼とした木々の枝が見える。期待した自分の部屋ではない。だが、それを考える時間すら奪い去っていくけたたましい音が耳に聞こえ続ける。


「異常事態か?」


 上体を起こすと背中のあちこちが痛む。それを解しながら枝の上に立つが、何が起きているのかさっぱりわからない。


「登れそうだな」


 今いる木は巨木。もう少し登れば周りの木々の上に出れそうだ。


 足場の計算をしながら落ちないようにして登っていく。すると枝を二本超えたところで一気に視界が開けた。昨日は崖面から見下ろした大渓谷を今度は下から見上げる壮観な景色。昨日とはまた違った感動がある。


 が、目を凝らすと明らかな異変が見て取れた。


「煙……えっ、なんだあれ!?」


 崖に空いた無数の穴。その多くから土煙が立ち上っている。そして穴のない崖の壁から砕けるように岩が落ちる。中から出てきたのはこげ茶色をした物体。太く長い爪のようなものが三本見える。


「……モグラ?」


 小学校の時に畑の授業で見せられたモグラ。モコモコした体に不釣り合いな剣呑な爪が生えていたのが印象に残っている。そのモグラを相撲の力士並みに大きくした存在。そんなものが崖に空いた穴から姿を見せた。


 太陽の陽光を浴びたモグラが光を避けるようにして穴の中へ姿を消す。すると今度は全く別の崖面から爪が突き出て穴が空く。


「モグラの襲撃ってことか?」


 グオオオオオオーーーー


 そこに体の奥に響くような叫び声が聞こえる。すると崖へ向かって木々がバキバキと音を立てて薙ぎ倒されていく。


「なんだ?」


 ドーーン


 なぎ倒される木を見ていたら、今度はその崖面の一角が弾け飛ぶ。そこから突き出る三本の爪。そして今までの二倍はあろう大きなモグラが姿を現した。


 バキバキバキバキ


 そのモグラに向かって木々が薙ぎ倒されていく。そして、緑の中から飛び出して崖を駆け上がる巨大な姿。


「あ、マダラン?」


 昨日、崖から落ちる俺をそのバインバインする腹で救ってくれた巨大ネズミのマダラン。

 別れる時には愛嬌すら感じたそのマダランの、獰猛な獣と化した姿がそこにあった。


 巨体に似つかわしくない速さで崖を駆け上がり、穴から姿を見せたモグラに襲い掛かる。

 穴の中に逃げようとするモグラを穴に鼻先を突っ込んで引っ張り出すマダラン。モグラを咥えたまま振り回し、崖の壁に何度も何度も叩きつける。渓谷に鈍い衝突音が響き岩が砕け落ちていく。


 マダランの攻撃に大きなモグラは一度大きく体を痙攣させるとそのまま動かなくなった。


 土煙だけを残して静まり返る大渓谷。が、空気が重い。マダランがふと鼻先を上げる。


 ドガーーーン!


 モグラを咥えたマダランのさらに上。

 落雷のような轟音と共に、先の大モグラのさらに倍はあろうかというほどの巨大なモグラが崖面から姿を現したのだった。

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