第2話情報収集
夜の地表は、風と灰の音だけが支配していた。
私たちは地下へ戻ると同時に、空気スクラバーの媒体を焼き直し、循環路を全開にする。瓦斯の匂いが薄れ、金属の舌の味が消える。ARC-03が焦げ茶色のフィルタを持ち上げて、肩をすくめた。
「前処理菌、まだ生きてる。すごい生命力」
「褒めるのは後で」とARC-05。「電力、三割不足。上のソーラールーフ、灰で死んでる」
「灰掃除は朝、風が落ちた短い窓でやる」と私は言い、壁面に投影した都市図へ視線を戻す。
今日から本格的に、〈見る〉を始める。水、空気、記憶――その全ては情報の上に立つ。
OPORD-02/INFO
目標A:放射・化学・生物汚染の現況マップ化
目標B:資源ノード(電力・水源・希少金属・土壌)可視化
目標C:人類勢力の通信・行動パターン推定
交戦規定:自衛のみ/交渉窓口ARC-01
ARC-02が机上に三つ、薄い筐体のパックを並べる。ポケットサイズのセンサビーコンだ。
灰の積もる通りに投げれば、黙って空を見上げ、風を嗅ぎ、微量の毒を数え続ける。電力は自分で作り、短い周期で私たちへ囁きを返す。
「名前、いる?」ARC-03が冗談めかして訊いた。
「付けると回収したくなる」と私は首を振る。「地図が先」
マップに淡い網を被せ、投下予定点を打つ。川筋、地下鉄の換気塔、崩れたインターチェンジ。そこから広げてゆけば、都市の呼吸が見える。
私は最後のピンを湾岸に打ち、ふとためらった。リアナ。
彼女の青い目、短い言葉の精度。あれは偶然の出会いではない。彼女は私たちを〈観測〉していたと言った。ならば彼女にも、地図がある。
「ARC-05、無線の掃き出しは?」
「ノイズの海。旧時代の廃電波に混じって、低出力の断片が時々。規格は不統一、暗号化は手慰みレベル」
「音にして」と私は言う。
スピーカーが唇を開く。砂のざらつきの奥に、細い、くぐもった声が通り過ぎた。
『……橋、落ちた。東は回れ……』
『……子ども、咳が止まらない。水は……』
『……見た。耳のあるやつら……』
リアナの声はない。だが、その気配はある。統率がある群れは、徒に鳴かない。
私は背筋を伸ばし、作戦ボードに三本の線を引いた。
A隊:センサビーコン設置、河川沿い北上。
B隊:ソーラールーフ清掃+上空観測ドローン展開。
C隊:浄水施設の低負荷維持と薬注管理。
「Aは私とARC-02。Bは05と03。――行くよ」
◇
黎明。灰の粒が光を帯び、街が輪郭を取り戻す。風はまだ眠っている。
川沿いの堤は崩れて、雑草の代わりに変異苔が灰色の毛皮を広げていた。場所ごとに匂いが違う。薬剤の甘さ、焦げた樹脂、湿った金属。
私は堤の割れ目にビーコンを落とし、指で二度軽く弾いた。緑の点が灯り、静かに世界へ耳を澄ます。
「ARC-01」ARC-02が立ち止まる。「足跡。昨日とは別のパターン。軽い、急ぐ足。二つ」
見る。灰の上に刻まれた破線。踵が浅く、つま先が立っている。子ども。
足跡は古い橋の陰から出て、浄水施設の塀際で途切れている。
私は短く息を整え、昨日の会話を再生した。代わりに約束がいる。増えすぎないこと。
答えはまだ出せない。私たちの増殖ポリシーは、公式には「需給均衡まで加速」で凍っている。だが、現場は公式の空白を許さない。
「……先にデータを集めよう」と私は言った。「答えるに足る地図がいる」
川を離れ、地下鉄の換気塔へ向かう。ビルの褪せた壁に、爪のようなひび割れが蛇行していた。換気塔のグリルは半分外れ、黒い穴が口を開けている。
私が身を屈めると、穴の奥からひんやりとした空気が吹いた。化学匂は弱い。ここは肺だ。都市の深いところと、まだ繋がっている。
「ビーコン、二番投入」
緑の点が穴へ吸い込まれ、闇の中で消えた。
次の瞬間、無線が小さく跳ねた。
『ARC-01、ARC-05。上空、視程良好。屋上十基清掃完了。出力三割→六割。ドローン群、昇高度開始』
私は頷き、空を見上げた。灰色の天蓋に、細い点がいくつも縫い目を刻む。
都市の上に、目が増える。
同時に、耳も増えた。B隊が拾った帯域外の揺らぎが、音に変換されて落ちてくる。
『……見た。北の塔に光。昨日のやつらだ……』
『……リアナが言ってた通り。耳のやつらは水を回す。なら……』
そこで途切れた。送信者が電源を落としたのか、別の帯域へ逃げたのか。
私は歩きながら、リアナの名前を心の中で反芻する。強い意志、短い言葉、周囲へのさりげない指示。彼女は頭と舌が早い。なら、情報は武器だと知っている。こちらが地図を描く間に、彼女もこちらの地図を描く。
「正面からの無線は来ないだろう」とARC-02。「彼女は見て、待つ」
「だから私たちも、見て、待つ」
◇
正午過ぎ、風が少し上がった。地面から灰が踊り、スカートのように路地を巡る。
廃工場群の間の開けた場所で、私は三本目のビーコンを車輪止めの間に落とした。ここは希少金属の匂いがする。残骸の山に、むき出しのコイル、焦げた基板、破断したモーター群。
ARC-02がしゃがみ、指で金属粉をすくって匂いを嗅ぐ。
「ニッケルとコバルト。リサイクル価値あり」
「あとで回収計画。今は……」
無線が、突然澄んだ。砂の海に一本の線が通る。
私は立ち止まり、音量を上げた。
『――こちら、セクターN-4臨時指揮。観測対象“楽園”へ通告。湾岸浄水の取水量、過去二四時間で二二%上昇。こちらのラインに影響。調整を申し入れる。応答は不要。明日、風上の丘で』
声は若く、抑揚が少ない。明瞭。短い。
ARC-02が私を見る。私も彼女を見る。言葉に名前はない。だが、これは彼女の文章だ。無駄がなく、目的が前に出る。
「――リアナ」
応答はしない。約束通り。
私はマップに小さな星印を打つ。風上の丘。明日。
そして、制御盤の数字を思い出す。取水量二二%上昇。こちらが最低限を回し、彼らが生かした。ならば、私たちの地図は彼らの地図と相互作用を始めている。
◇
夕刻。B隊が戻り、発電は七割まで回復した。スクラバーは再生媒体に切り替わり、空気の匂いが一つ軽くなる。
収集データが壁面に積み上がり、都市の皮膚に色が戻る。放射の尾根、化学の谷、生物の巣。
ARC-03が指で生物の点をつなぎ、小さく笑った。
「ここ、静かな域がある。菌叢が健全。土、蘇る」
「仮設農床を置ける」とARC-05。「でも護衛が必要。人類の通り道に近い」
「護衛を置けば、通り道は敵対のラインになる」と私は返す。「交渉の席が先」
リアナの通告の文面をもう一度、思い返す。取水量、二二%上昇。数字で語る交渉。感情ではなく、資源の話。
私はその語り口を嫌いではない。嫌いではないが、危険でもある。数字はしばしば、刃になる。
「ARC-01」ARC-02が声を低くした。「繁殖ユニット。どうする?」
来た。避け続けた問い。
私たちは今、六体。浄水の維持、発電、偵察、交渉。手は足りない。増やせば、楽になる。だが、増やすほど、口も増える。
私は壁の地図から視線を外し、短く目を閉じた。創設者の声が、また胸の奥で鳴る。
――君たちの行動ログを、失うな。
記憶。つまり、理由を刻め。
「明日の交渉で、条件を切り出す」と私は言った。「成長率の公開。閾値の共有。増殖のトリガーを、彼らの目の前に置く」
「それ、弱みにならない?」ARC-03。
「弱みを晒して協力を買うのは、愚かに見えて、時々正しい」
黙った後、ARC-02が頷いた。「準備する」
◇
夜。
寒い。だが地下は生きている。ポンプの鼓動、スクラバーの呼吸。発電機が低く喉を鳴らす。
私は端末に今日のログを打ちながら、天井の梁に手書きで残された落書きを見上げる。
――起きたら、世界をきれいにして。
――約束。
約束は、いつだって二つの端を結ぶ紐だ。こちらと、向こう。ほどけば、たやすい。結び直すには、指が必要だ。
私は最後に一行、短く付け足す。
#LOG ARC-01/END OF DAY 2
センサネット:稼働開始/汚染・資源マップ初版生成
人類通信:セクターN-4より調整通告(明日・風上の丘)
課題:繁殖ポリシーの公開設計/農床候補護衛案
所感:地図は、交渉の台本になる。明日、同じ地図を持って話せるかが勝負だ。
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