感情レート都市で、俺たちは愛着の重さを証明する『アンチ・アノマリー : 感情換金師と質量徴収人』

弌黑流人(いちま るに)

​第1章:新神楽-序章(オーバーチュア)第1話:新神楽-渇望の相場

​1. 感情レートの夜明け

​ 午前3時。**ニューロ・マートの店内は、蛍光灯の無機質な光に包まれている。金城零(かねしろ れい)は、制服の上に着た薄手のジャケットの下で、レジの端末操作を続けていた。その目線は常に、カウンター下に置かれたスマホに向けられている。画面には株価のチャートと、カスタムアプリが表示していた感情レート(Feeling Rate)**のグラフが競い合っていた。

​「昨日の平均レートは『不安』が最高値を更新。この街の人間は、絶望への投資が早すぎる。まるで**残響市場(レゾナンス・マーケット)**そのものだ。」

​零の視界には、買い物客が抱える微細な感情が、色と数値のノイズとなって見えている。客が手に取るエナジードリンクへの**『一瞬の期待』は『1.2 / 5.0』**。

​その時、スマホのニュース速報が画面を覆った。

​「新神楽市、高層の空優遇法案の極秘リーク」。内容は、富裕層の固定資産税優遇と引き換えに、残響区の生活消費税を上げるという、露骨な格差助長策だった。

​零の唇がわずかに動く。

​「ネット上の感情は、所詮稀釈された怒りだ。まだレートは低い。しかし、この情報が**身体的な行動(デモ)を誘発すれば、夜明けには純度(Yield)**が跳ね上がる。予測収益率、85%。」


​2. エクスチェンジャーの仕事

​ 零が夜勤のシフトを終えるため、制服を脱ぎ始めた頃、マスター・ジョーがパイプの煙を燻らせながらバックヤードに入ってきた。

​「お疲れさん、エクスチェンジャー。今夜は最高の相場になるぞ。『怒り』と『不安』の需給が一致する。特に残響区と高層エリアの境界、あそこのデモ現場で放出される**『純粋な感情』**は、換金効率が違う。回収してこい。」

​(エクスチェンジャー。――感情換金師としての俺の異名だ。ジョーは俺の能力を最大限に利用しようとする、最も効率的なブローカー。)

​ジョーは零に、特殊な暗号化キーを打ち込んだスマホを渡す。画面には、デモの集合場所と予測されるレートが記された**「感情発生源リスト」**が表示されていた。

​零はリストを一瞥する。

​「このリストは、The Algorithm(アルゴリズム)の初期データですか。予測の精度は認めますが、現場の変動リスクを加味すると、私の収益率には及ばない。」

​「リスク込みで高Yield(イールド)を叩き出すのが、お前の仕事だ。その収益で、お前の目をつけている最高コスパの賃貸物件の頭金を払うんだろう? さっさと行け。」

​ジョーの言葉に、零は何も答えなかった。ただ黒の薄手のジャケットのチャックを上げ、外へ向かう。彼の動機は、常に自分の安寧のための経済的自由という、計算し尽くされた利己心一つだった。


​3. レゾナンス・マーケットの法則

​ 零は、夜明け前の人通りの少ない裏道を早足で進んでいる。スマホには、ジョーから送られた**「感情発生源リスト」**と、それを実現するための裏ルートが表示されている。

​零:(ネットの『怒り』は低レートだ。なぜなら、その大半はThe Algorithmが管理する情報によって誘導されたものだから。データは加工され、感情の純度を失う。)

​零は、すれ違う酔っ払いの男の**『一時の享楽』**という感情レートを一瞥する。レートは極めて低い。

​(俺の感情換金、そしてエクスチェンジャーとしての価値は、対面にある。身体から直接湧き出る純粋なエネルギーこそが、換金可能な**Yield(収益)**だ。)

​彼が境界線の交差点に差し掛かると、街の空気の匂いが変わるのを感じた。高層エリアの**『薄い欲望』から、残響区の『濃い絶望』**へと相場が急変する。

​(この新神楽シティは、レゾナンス・マーケットそのものだ。マダム・ディザイアとテンコー博士のシステムは、この感情の相場を完璧に制御しようとしている。だが、制御できない生の感情が必ず生まれる。)

​零は目的地であるデモ現場を遠目に見る。そこにいるのは、ネットの集合的な怒りではなく、生活が崩壊する切実な恐怖を抱えた人間たちだ。

​(つまり、このデモは、最高の収益率を叩き出す予期せぬ欠陥。それを回収するのが、俺の効率的な仕事だ。)


​4. 絶望の換金

​ 現場では、警官隊とデモ参加者が境界線で対峙していた。人々の熱量は、夜明けの冷たい空気を震わせている。

​佐伯 俊が拡声器で絶叫している。零の視界では、彼の**「純粋な怒り」がレート:4.8**で安定していた。

​(佐伯俊。感情は高いが、彼は正義感というフィルターをかけている。持続性がなく、すぐにC.P.【浄化】されてしまう不良債権だ。)

​零は佐伯を避け、その横で泣き崩れるミホ(40代主婦)に焦点を合わせた。夫の失職と、税制による子供の教育費への絶望が、彼女の顔を歪ませている。

​「レート:4.5。佐伯より低いが、身体的な悲鳴を伴う。これは生活基盤の崩壊という根深い感情。持続性があり、最も安定した高収益だ。」

​零はミホの背後に立つと、周囲の喧騒が遠のくのを感じた。能力**『感情換金』**を発動。スマホが赤く点滅し、ミホから放出される感情エネルギーを吸い上げ始める。

​「あなたの絶望は、今この瞬間、最高の収益率を叩き出しています。買わせていただきます。」

​ミホは突如、泣き声が途切れ、感情を失ったようにその場に静かに座り込んだ。デモ全体から熱が引いたようにトーンダウンし、参加者たちは疲労と困惑に包まれる。零は**最高のYield(収益)**を達成し、感情の残滓が残らないように早足で現場を後にする。


​5. ゼロ・アセットとの対比

​ 零が夜勤明けの望と入れ替わるため、ニューロ・マートに戻る。

​日勤の小日向 望は穏やかな笑顔で零に声をかける。

​「金城さん、夜勤お疲れ様です。これ、今日焼いたんです。おまけだからよかったらどうぞ。」

​零は彼女の手作りのクッキーを受け取り、望の感情を測定する。彼女から発せられるのは、「労り」と「感謝」。

​(『レート:ZERO』。エラーだ。最高の相場を終えたばかりだというのに、俺の演算システムがゼロ・アセットを検出している。この女の感情は、換金できない…無価値。なのに、なぜこれほど安定している? この非合理性が、俺の収益率を狂わせるのか?)

​望は零の冷たい視線にも気づかず、優しく言った。

​「今日、デモの近くを通ったんですけど、大変そうでしたね。みんな、少しでも平和になればいいのに。」

​零は望の言葉に答えず、自分の感情口座の残高を確認した。


​6. システムの目

​ 高層ビルの一室。 灰月 凱は黒スーツで立ち、PCの画面に映し出された零のYield解析データを見つめていた。隣には黒崎 零那が控える。

​「演算結果。金城零。感情を収益率で換算する彼の利己性は、The Algorithmの予測を超えたノイズです。システムの崩壊には、最適の**Anti-Anomaly(反特異点)**となり得る。…監視を続行。」

​豪華な邸宅。 マダム・ディザイアはデモ鎮静化のニュースを見て、グラスのワインを静かに回した。

​「あら。新しいエクスチェンジャーは、思った以上に獲物を取るのが上手ね。彼のYieldが大きくなればなるほど、レゾナンス・マーケットの相場は私のものになるわ。市場(マーケット)は、感情の奴隷よ。」

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