3-19

 和楽器部の演奏会が始まった。研修所内のホール――座席とステージのある、演劇部なども使う小ホール――での演奏だ。小規模ながらちゃんとしたステージがあるので、雰囲気は素晴らしい。写真部はステージに登ることはできないが、ステージ下数列目辺りで撮ってもよいことになった。または、後ろの方の座席から望遠で撮るのもありだ。

 観客席中ほどの通路の端から撮っていた直陽のところに靖太郎が近付いてきた。

「ザ、青春って感じなりね」と小声で呟く。

「あっちから見たら、俺たちもそうかもしれないぞ」

「確かに」

 舞台には琴と三味線と尺八の部員が合計十五人いた。見た感じ一年生のようだ。

「じゃあ、『六段、』行くよ」

 部長らしき部員の掛け声とともに、演奏が始まった。

 ゆったりと始まった曲は、少しずつ形を変えながら、スピードを上げていく。正直、知らない曲だったので、メロディが美しいのかどうかは分からない。だが、似たモチーフを何度も繰り返しているのが分かる。後半はかなり速くなっていて、ちょっとやそっと練習しだだけでここまでは辿りつけないのは分かる。

 興味を持ったので、直陽は近くにいた部員に声を掛けてみた。

「すいません。これ、何ていう曲なんですか?同じモチーフを繰り返しているよう聞こえますが」

「『六段ろくだん調しらべ』といって、練習曲、つまり西洋で言うところのエチュードだね」

「なるほど、それで、同じモチーフを繰り返しつつ、少しずつ速くなってるんですね。――それにしても⋯⋯一年生ですよね?みんな経験者なんですか?」

「いや、経験者はほとんどいないよ。年に一人いるかいないかくらい。みんな四月から始めた」

 直陽は驚きを隠せなかった。

「すごくないですか?」

「これが普通かな。まあ、みんなちょっと変な人の集まりだから」

 その部員は自嘲気味に言ったが、どこか誇らしげだった。


 曲目が進むにつれ、次第にステージに登る人の人数は減っていった。曲もどんどん難しくなっているように感じた。

 さきほどの部員が自嘲気味に「変な人」と言ったのはまんざらでもなくて、毎日二・三時間練習するのが普通だという。



 昼食を挟み、さらに演奏会は続いた。

 舞台の上には琴、三味線、尺八が一人ずつ。午後から三年生の部らしい。高学年になるほど一曲を演奏する人数は少なくなるという。ひとパート一人というわけだ。

 ちょうど一曲終えたところらしく、一人一人感想を言っている。

 部長らしき男子学生が話し始める。

「夏休み何してたの?ほんとさ、何のためにこの部にいるの?」

 ちょっと入ってくるタイミングが悪すぎたかもしれない。

「もういいよ。次」

 琴が二人。尺八が一人。

「はい、じゃ、『言葉ことのは』、始めて」

 笑顔で談笑しながら、男子部員二人と女子部員一人がステージに上がる。楽器と楽譜をセットする。

 しんと静まり返る。和楽器には基本的に指揮者がいない。演奏者同士が息を合わせて演奏する。

 真ん中にいた琴奏者の首が僅かに上がり、頷くと同時に演奏が始まる。下級生にはない緊張感があった。

 やはり、理解するのが難しい。だが、一定の世界観が見えてきた。分からないなりに、この世界にどっぷりと浸かってみる。これまで「音楽」だと思っていたものが音楽の全てではなかったことに気付かされる。それはに過ぎない。

 それに――

「あの表情。私、好き」

 気が付くと隣に琴葉がいた。やはりこの曲を聴きに来たのか。

「分かる気がする」

 さっきまでニコニコ話していた人が、曲が始まった途端、別世界へと入る。時に必死に、時に恍惚こうこつとして。

 二人は何度もシャッターを切った。



「大合奏、いくよ」

 部員のほとんどがステージに登る。

 近くに座っている四年生と思しき部員に聞いてみる。

「大合奏って何ですか?」

「まあ、そのままだけど。普通、三曲さんきょくは――琴、三味線、尺八のことね――江戸時代か、せいぜい大正時代に作曲された、数人で演奏するような曲が多い。けど、大合奏は戦後に作られた西洋風の曲。それを大人数で演奏する」

「指揮者なしでですか?」

「いや、大合奏はたいてい指揮者がいる。さすがにね」

 準備に時間がかかっていた。見てみると、「三曲」と呼ばれた楽器以外にも、小さく細い笛や、和太鼓、小さな三味線をチェロのように弾く楽器もある。

「ほう、これが和楽器ね」

 聞き慣れた声が聞こえた。直陽が驚いて振り返ると、あまねがいた。

「大丈夫なの?」久我先輩の顔と声がちらついた。

「部長に見つかったら面倒なのは確かだね」

「ってことは」

 あまねは、いたずら好きの子供のようにニカっと笑いながら、

「黙って出てきた」

と言った。「どうしても見たくてさ」

「うん、いいと思う。怒られたら怒られたで、その時さ」

「そそ!」

 二人で前を向く。

「この曲は戦後に作られた曲らしくて、西洋音楽風なんだとか」

 直陽が聞きかじったばかりの知識を披露する。

「西洋風じゃない音楽もあるの?」

「ほとんどはそうみたい」

 いつ始まるか分からないので、二人とも前を向いたままだ。

 あまねは続ける。

「いいな。私も聴きたかったな」

「俺も」

 君と一緒に聴きたかった、という気持ちが声に出てしまった。だが、これでは意味不明だ。

「え?」あまねは反射的に直陽を見る。

 直陽は慌てて

「あ、いや、何でもない」

 と返す。

 あまねは前に向き直り、ふふふと笑いながら、

「私もだよ」

と言った。

「え?何が?」

 今度は直陽があまねの顔を見る。

「何でもない」そう言いながら、あまねはステージの方を見ながら微笑んでいる。

「変なの。まあいいか」

 直陽は思う。あまねさんといる時のこういう空気が好きだと。少し謎めいた会話。自分を知らない世界へいざなってくれる不思議な言葉。

 曲が始まる。

 叙情的な琴の伴奏から始まり、切なさをまとった尺八がか細くその上を踊る。もうひとつの尺八がそこに絡み、横笛、琴、低音の琴、打楽器、三味線も加わっていく。

 確かにこれは西洋風音楽だ。さっきまで聴いていた演奏とは違った。だが、そのメロディーを和楽器で演奏することにまた価値がある気がした。

 直陽は高鳴る気持ちを抑えながらつぶやいた。

「今度、聞きに行こうか」

 あまねは、隣にいる直陽にゆっくりと顔を回した。

「私と?」

「うん」ゴクリと唾を飲む。「できれば、二人で」

 少し真顔だったあまねの表情は、つぼみふくらむようにゆっくりと笑顔になる。

「うん。行く」

 と言って、いひひと小さく笑った。


――――――――――


**次回予告(3-20)**

最終日前日の飲み会が始まる。話し相手のいなくなった直陽は、カメラを持って先を回ることに。

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