第9話:『聖女の祈り(物理)』
ゼイドとの決闘から数ヶ月、シンの増長は日に日に増していた。
(僕は、あんな世界で燻っていたような人間じゃなかったんだ。元から、特別な才能を持っていた選ばれた人間だったんだ)
もはや、彼の万能感を疑う者は、学園のどこにもいなかった。 そんな日々が続くと思われた矢先。 学園のスピーカーから、放送部の、やけに緊迫した声が響き渡った。
『――緊急放送! 北部森林に聖獣グリフォンが出現! 先遣隊の王国騎士団が壊滅状態との情報が……!』
【コントロールルーム】
「クライアントの表情はどうだ?」
神楽の冷静な声が響く。スタッフは淡々と返す。
「はい。退屈しきっていた表情から、僅かに好奇の色が浮かんでいます」
「結構。では、次の段階へ移行する。校長役、出番だぞ」
【アルカディア魔法学園】
校長が、運動場の演台に立ち、悲痛な演説を始める。
「……騎士団が壊滅し、我々学園に頼るほか無いと連絡が入った。そこでだ、ヒーラーに適性のある優秀な学生を、後方支援要員として募集する!」
その言葉に、真っ先にリリーナが前に出た。
「私が行きます」
リリーナが前に出ると、シンはすかさず彼女の腕を握りしめた。
「危険だ、リリーナ! そんな所に君を行かせられない!」
「止めないでください、シン様。……一人でも多くの人々を救う。それが、私の母の教えですもの」
リリーナが覚悟を決めた目で言うと、シンはやれやれといった表情を浮かべる。
「はぁ、仕方がないな。僕が、護衛としてついていくよ。校長、僕も同伴するよ。知っての通り、ここにいる誰よりも、僕は剣術も治癒術に長けているからね。僕とリリーナがいれば、十分だよ」
「うむ。君たちなら安心して送り出せる。頼りにしておるぞ」
シンは、増長した正義感と、ヒロインの前で格好つけたいという承認欲求から、任務に同行することになった。
【北部森林・前線キャンプ】
現場の光景は、凄惨だった。 屈強な騎士(役の天使)たちが、特殊メイクで血を流し、苦しげに呻いている。 森の奥では、本物の聖獣グリフォンが猛り狂っていた。 グリフォンはシンたちを見ると、咆哮を上げる。
「キェェェェェェーッ!」
その咆哮は凄まじく、周囲の木々が衝撃で砕け散る。 シンは冷や汗を流しながらも、不敵に笑った。
「はっはは、何度もこういうモンスターはゲームで狩ったけど、実際に見ると、こんなに凄いんだね」
シンは神剣を構える。
「シン様、待ってください。力での解決は何も生みません。まずは、話し合うべきです。……聖獣グリフォン、どうして、このようなことを?」
リリーナは対話を求めてグリフォンに近づこうとするが、グリフォンは巨大な尻尾を彼女に向けて振り下ろした。 尻尾がリリーナに直撃する寸前、シンが跳躍して救い出す。
「リリーナ、下がってろ! こいつは、話が通じるような相手じゃない!」
「で、ですが……っ!」
シンはさり気なくリリーナの尻を撫ぜており。 リリーナが声を震わせながら言った。
「……シン様、その手がお尻に」
「ああ、ごめん。わざとじゃないんだ。……ここら辺なら巻き添えを食らわないな。さて、ちょっと倒してくる」
シンは、全く悪びれずに言うと、神剣を抜き放ち、グリフォンに向かっていく。
「シン様、お気をつけて」
彼女は、聖女の笑みを浮かべて、そう言った。 しかし、その声は、絶対零度の冷たさを帯びていた。 シンは、そんな彼女の内心など知る由もなく、さらに追い打ちをかける。
「リリーナも間食には気を付けてね。お尻がちょっと太ったみたいだし」
「…………」
リリーナは、胸元に手を当て、シンの無事を祈るように、恭しく目を閉じた。
その瞬間――。
「キ、キェェェェェェーーーーッ!?」
先ほどまでとは比べようのない、断末魔のような悲鳴が、グリフォンから上がった。
【コントロールルーム】
「ディ、ディレクター! 聖獣グリフォン、物凄く怯えています! 今すぐにでも逃走しかねない勢いです!」
スタッフの報告を聞き、セラフィムは疑問を抱く。
「怯えるとは、一体何に? いくら神剣を持っていると言っても、クライアントが扱いきれていないのは明らかでしょう」
神楽は、頭を抱えて言う。
「聖獣が怯えているのは、クライアントの後ろにいるリリーナだ! クライアントのセクハラとデリカシーのない言動で、彼女の殺気がただ漏れしてんだよ!」
モニターには、笑顔で祈るリリーナと、その背後で禍々しく燃え盛るオーラ(のように見える波形)が映し出されていた。
「面倒な書類審査を重ねて聖獣を借りてきたんだ! 絶対に逃がすな! リリーナに殺気を止めるよう通達! 逃走した場合、レンタル料の一部をギャラから天引きすると伝えろ!」
【北部森林】
(――リリーナ役のエルザに通達。怒りを直ちに抑えてください。任務を失敗した場合、聖獣のレンタル料金の一部を負担してもらいます――)
リリーナの耳元の透明なインカムから、非情な通達が響く。 彼女は、祈るように閉じていた瞳を、ゆっくりと開いた。
(……ふっ、ざけんじゃないわよ! この程度で怯むような聖獣を連れてくる方が問題でしょうが! どうせ、安くつくという理由で、難ありの個体を借りてきたんでしょうが!)
内心で毒づきながらも、彼女はプロだった。 すぅ、と深く息を吸い、自分の中の「エルザ」という感情を、完璧に「聖女リリーナ」の器の奥底へと沈めていく。 すると、先ほどまで世界を覆っていたかのような凄まじい殺気が、嘘のように霧散した。
グリフォンは、魂を凍らせるような恐怖が消えたことに気づき、おそるおそる顔を上げる。 目の前で、シンが「借り物の力」である神剣を振り回しているが、グリフォンからすれば脅威でも何でもない。 安堵した聖獣は、まるで子供をあやすかのように、尻尾の一振りでシンを吹き飛ばした。
「……っ!」
シンは受け身を取り、神剣を構えなおす。
「なるほど、王国騎士団が手こずるわけだ。僕じゃなきゃ、こいつは倒せないな」
シンは神剣の力を開放させ(リリーナのアシストを受け)、全力でグリフォンに打ち込む。だが、その刃は聖獣が張った不可視の防護壁に阻まれ、一撃たりとも届かない。
あらゆる魔術や剣技を用いるが、全く通用せず、赤子のようにあしらわれ、完膚なきまでに叩きのめされる。
(う、嘘だ。僕の剣も、魔術も……通じない……!?)
シンの心が、「本物の絶望」に染まった。 彼が茫然と立ち尽くした、その隙を突き、グリフォンは突進する。
「もう、やめてください!」
リリーナが、両手を広げてグリフォンの前に立ちはだかった。
【コントロールルーム】
「スタントチーム、グリフォンの様子は?」
「安定しています。クライアントがあまりに弱いため、自信を取り戻したようです。時々、こちらを馬鹿にしたような表情を見せています」
「……それは、それでまずいな」
神楽の不安を、セラフィムは訝しんだ。
「何が、まずいのです?」
「……あの聖獣、実は少し曰く付きでな。相手が格下と分かると、とことん増長する内弁慶なんだ。その反面、自分と同格か格上だと、すぐに平伏するか逃走する」
「……なぜ、そんな聖獣の中でも最下層をレンタルしたのです」
「安かったからだ。それ以上の理由は必要か?」
【北部森林】
「お願い、話を聞いて……!」
リリーナは、武器も構えずグリフォンの前に出る。 グリフォンは、反撃してこない彼女を格下とみなし、完全に増長し始めていた。
「わ、私は、あなたと言葉を交わしに……ごふっ。……争いは、何も生みま……おっふ」
リリーナは渾身の演技をしながら、目でグリフォンに訴える。(そろそろ跪きなさい!) しかし、グリフォンは馬鹿にしたような表情で、何度も尻尾で彼女を打ち据える。
【コントロールルーム】
「緊急事態発生! グリフォン、リリーナすら格下と見做した模様! 脚本を完全に無視しています!」
「くっ、あれほど指導したのに……何故、なぜ、このような事態にぃ!」
セラフィムが冷静に突っ込む。
「ケチって、難ありの聖獣を選んだからでは?」
【北部森林】
「きゅっきゅキュー♪」
グリフォンは、完全にシンたちをナメきっていた。馬鹿にしたような鼻歌を鳴らしながら、もはや演技ですらなく、本気で痛がるリリーナに向かって、楽しそうに尻尾を振りかざす。
「リ、リリーナ……!」
シンが傷だらけの彼女に近づこうとすると、リリーナは振り返り、聖女の笑みを見せて言った。
「……シン様、少しだけ、目を閉じていてください。これから『祈りの魔術』を行います。これは、旧王家に伝わる、秘伝の魔術です」
「旧王家……?」
「今は、何も聞かないでください。顔を下に向け、目を閉じ、祈ってください。……いいですか、絶対に、目を開いてはなりません」
リリーナが有無を言わせぬ圧で告げると、シンは顔を下げ、固く目を閉じた。 リリーナは、再びグリフォンに向き直る。
「グリフォン、どうすれば、私の言葉を聞いてくれるのかしら」 (随分と、調子に乗ってくれたわね。このクソ鳥が)
リリーナの背後から、無数の光の剣が顕現する。グリフォンの顔が、恐怖に引きつった。
「キュ、き……!」
グリフォンが飛び立って逃げようとするが、数本の光の剣が回転しながら射出される。
グリフォンを守っていた魔法壁は、ガラス細工のように砕け散り、その翼を切り裂き。 そして、首元寸前で、四本の剣がぴたりと静止した。
「私は逃げないわ。だから、あなたの声を聴かせて」 (逃がすわけないでしょう。たっぷり、あんたの声(悲鳴)を聞かせてもらうわ)
リリーナの、慈愛に満ちた声と、殺意に満ちた心の声が、グリフォンの魂に同時に響き渡る。
聖獣は、完全に理解した。 目の前の「聖女」は、自分ごときが逆らってはいけない、理の外にいる存在であると。
グリフォンは、ブルブルと震えながら、深々と頭を垂れた。
そして、荘厳な思念(事前に録音された音声)が、二人の脳裏に響き渡る。
『その魂は、まこと聖女。だが、その器は、呪いの塊か……』
グリフォンは、震える表情でシンの方を向いた。
『若き英傑よ。その矛盾の命運、お主が定めよ』
脚本通りの台詞が流れ終えると、グリフォンは一目散に逃走した。
リリーナは、それを見届けるとシンに振り向く。
「シン様。もう、目を開けても大丈夫ですわ」
彼女の声に、シンは恐る恐る目を開ける。 目の前には、傷つき、疲れ果てた表情で、しかし凛として立つリリーナの姿があった。グリフォンの姿は、どこにもない。
「リリーナ! 一体、何が……それに、さっきの声は? 聖女とか、呪いの塊って?」
「……」
リリーナは何かを口にしようとした瞬間、王国騎士団の一人が、彼女の前に走り出て、膝をついた。
「よ、よもや、祈りで、あの聖獣を退けるとは……! あなた様こそ、本物の『聖女』にございます!」
周囲の騎士たちも、次々と彼女の前にひざまずき、称賛の言葉を口にする。
シンは先の脳裏で響いた声のことよりも、リリーナが聖女として崇められている光景に意識が持っていかれ、自分のことのように誇らしげな顔をしてリリーナを見ていた。
【コントロールルーム】
「逃走した聖獣グリフォン、捕獲しました。翼など数か所、切り傷がありますが、これなら簡易な治療で間に合います」
「さすがは、リリーナ。怒りに身を任せても、商品(レンタル品)に手心を加えるとはな」
「ディレクター。リリーナから伝言です。『あのクソ鳥(グリフォン)に、きっちりとお礼がしたいので、まだ返さないように』と」
神楽は、心底面倒くさそうに顔をしかめた。
「即座に返却しろ。跡が残る傷にでもなったら、治療代で本末転倒だろうが。……ああ、それと、今のリリーナの伝言だが、僕が聞いたのは、グリフォンが返却された後、ということにしろ。いいね?」
「承知しました」
スタッフが、慣れた顔で返答すると、セラフィムが冷たく言い放つ。
「そんなことばかりしているから、所属天使の転属率が撥ね上がるのですよ」
「精鋭が残るというということだな。良いことだ」
神楽は、リリーナ専用のプライベート回線を開くと、マイクのミュート機能をオンにし、悪魔の囁きを送り込んだ。
「――聞こえるか、リリーナ」
モニターの中のリリーナの表情が、僅かに動いた。
「アドリブは見事だった。ボーナスは期待しておいてくれ。だが、休んでいる暇はないぞ」
神楽の声のトーンが、ビジネスライクな、冷たいものに変わる。
「これより、脚本(シナリオ)のフェイズ2に移行する。君には、今この瞬間から、『呪われた旧王族』の血によって、衰弱していく悲劇の聖女を、完璧に演じてもらう」
神楽は、モニターの中で、称賛の輪の中心にいるリリーナを見据えて指示を出す。
「……まずは、そうだな。彼の前で、一度だけ、倒れてみせろ。タイミングはこちらが出す」
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