回想⑦(マケドニア王フィリッポス二世のギリシア襲来までの経緯)

 ボイオティア地方に、北方から脅威が迫っていた。


 だがしかしその理由を掘り下げてみると、その原因は皮肉にもテーバイを含めたボイオティア地方の都市国家群の動きにあった、と言わざると得なかった。


 マケドニア王フィリッポス二世の来襲。


 古代ギリシアの民が長らく同胞とは見做さず、「蛮族バルバロイ」と蔑んできたマケドニア王国がギリシア世界に手を伸ばすきっかけを作ったのは、七年前に終結した神聖戦争にあった。


 前述したように、この戦争でテーバイはフォキス及びアテネとスパルタ連合軍を相手に戦いを繰り広げた。神聖隊を含むテーバイ軍は長く続いた戦争で著しく消耗し、徐々に戦況はフォキス側の有利に傾いていった。


 このままではアテネとスパルタの援助を得ているフォキスに勝つどころか、祖国を守ることすら危うい。


 そう考えたボイオティア地方の都市国家群は、ここで大きな決断を下した。破竹の勢いで周辺諸国を支配下に組み入れつつあったマケドニア王国のフィリッポス二世に使節を送り、彼に頭を下げて懇願したのである。


『デルポイの聖域を荒し回り、蛮行をやめようとしない都市国家フォキスの討伐に力を貸していただきたい』


 「蛮族バルバロイ」と見下していた国の王に、使節らは恥も外聞もかなぐり捨てて「自分たちの力では勝てそうにないので助けてくれ」と訴えたのだ。屈辱よりも自分たちが生き残る道を選択したといえよう。


『よろしい。余がお前たちの窮状を救ってやる』


 マケドニア王フィリッポス二世はそう返答すると、自ら大軍を率いて自領のマケドニアから南下。瞬く間にフォキス領に侵入して戦列を敷き、本格的な戦闘に突入しようとした。


 しかしここで、誰もが予想だにしていなかった事態が発生した。


 なんと、フォキス側の将軍がマケドニア王の襲来を耳にすると即座に降伏を宣言した。一〇年も続いた泥沼の戦争を、マケドニア王は介入しただけで終結させてしまったのだ。


 その背景には、マケドニア軍の圧倒的な軍事力を前にして、練度の低い傭兵軍が主力であったフォキス側が怖気づいたことが大きく影響したとも言われているが、ともかく戦争は終わった。テーバイを含めたボイオティア地方も祖国の崩壊を見ずに済んで一安心した。


 だがしかし、このボイオティア地方の動きが、すなわちマケドニア王への援軍打診が新たな、より大きなギリシア世界の危機を招くこととなった。


 マケドニア王フィリッポス二世は貪欲な男であった。


 決して現状に満足せず、また常に満たされない支配欲に駆られていた彼は、神聖戦争で自らが挙げた功績――戦わずしてフォキスを降伏に追い込んだ事実を受けて、こう考えた。


『もしや、ギリシアの都市国家群というのは、余が軍を少し動かせば難なく屈服させられるのではないか』


 フィリッポス二世は即断即決の男であった。彼はすぐさまギリシア世界を侵食すべく大軍を動かし、そしてその全てを自領にしようと目論んだ。


 しかし、そこに思わぬ障壁が立ちはだかった。かつてギリシア世界の覇権を握っていたアテネである。


『我々は、フィリッポスの横暴を阻止せねばならない! あの男がアテネを、そしていずれはギリシア世界の全てを飲み込んでしまうだろうことは明らかだ! 諸君、立ち上がれ! あの王は確かに強大な相手だが、皆で一致協力すれば勝てない相手ではない!』


 アテネの政治家デモステネスが起こした反フィリッポス演説を契機として、アテネは援軍をマケドニアに攻められている国々に派遣することを決議。世界初の民主制国家であるアテネは、専制君主フィリッポスの治めるマケドニアと戦うことを決めたのだった。


 このアテネの動きにフィリッポスはどう対処したか。


 初めは、アテネの政治家を買収しようとした。彼らと秘密裡に会合し、賄賂を渡すことで「フィリッポスは野心などもっていない」と国民議会で演説させ、アテネ民衆の自分に対する敵愾心を小さくさせようとした。しかし、この工作は政治家デモステネスによって民衆に暴露され、買収された政治家が失脚させられたことで失敗に終わった。


 そこでフィリッポスは新たな作戦を実行に移した。


 紀元前三三九年。ボスポラス海峡沿いに位置する都市国家ビザンティオン現在のイスタンブールをフィリッポス王が包囲した際に、そのビザンティオンを救うべくアテネが複数の国家と共同して援軍を派遣し、マケドニア軍と対峙した事件が起こった。


 この時、フィリッポス王はアテネを筆頭とした援軍を目にすると包囲を解き、そして彼らに和平を持ち掛けた。


『余はこれ以上の戦争は望まぬ。よって、諸君らと和平を結びたく思う』


 傲慢なフィリッポスには似つかわしくない振る舞いに驚きはしたものの、アテネ本国はそれを受諾し援軍を引き上げさせた。その後、フィリッポスも軍をマケドニア本国に戻し、これで和平は履行りこうされた……かに見えた。


 しかしそれは、フィリッポスがアテネの民衆を油断させるための偽りの和平に過ぎなかった。


 年が明けて、紀元前三三八年の七月下旬。事態は大きく動き出した。


『大変だ! マケドニア軍がアテネに攻め込もうとしているぞ!』


 フィリッポス王が軍を動かして、フォキスに南下した後でボイオティア地方を東進。そして王の軍勢がボイオティア地方のエラテイアに到着した時、王の意図がアテネ政府に伝えられた。しかし、昨年結ばれた和平のために戦争の備えを怠っていたアテネ政府は進退窮まってしまった。


 エラテイアからアテネまでなら、二日あれば辿り着ける。


 今からギリシア各国に使節を送って援軍を求めても、その援軍が到着する前にフィリッポスとの戦闘は開始されているだろう。


 かといって、我が国が単独で立ち向かってもフィリッポスの軍に勝てるかは分からない。


 どこかに、我が国と共同してフィリッポス王の軍勢に立ち向かってくれる勇敢な国はないものか。


 悩んだ末にアテネ政府は決断した。


『神聖戦争で我々の敵となったテーバイになら、今すぐ使節を送り出し協力を打診することもできよう。それしか我々が援軍を得る方法はない。今は昔の戦争の遺恨は忘れて、彼らと一致団結してマケドニアの悪辣な専制君主フィリッポスから我らが祖国を、いや、ギリシアの『自由』を守るべく武器を持って立ち上がろうではないか!』


 そのように強く訴えたのは、やはり強烈な反フィリッポス派の政治家デモステネスだった。その後、彼は自らが使節となってテーバイ政府と面会。そして粘り強い交渉の末にアテネとテーバイで対フィリッポス戦線を構築することで合意にまでこぎつけたのであった。


 そう、神聖隊の指揮官アルキビアデスの愛するソクラテスが宴に参加すべく街路を歩いていた時に見かけたアテネの使節というのは、実はデモステネスだったのだ。それは七月二八日の夜の出来事であった。


 その翌日、七月二九日にテーバイ政府は戦時体制に移行し、神聖隊を含めた軍隊が市門から出動させた。そしてアテネ政府との打ち合わせていた待ち合わせ場所、すなわちフィリッポスの軍が通るであろうカイロネイアにアテネ軍よりも早く到着し、その近くに陣営を築いて敵軍を待ち構えるのだった。


 カイロネイアの決戦が、テアゲネスとアポロドロスを含めた神聖隊が最後の輝きを見せることとなる歴史的な大戦おおいくさが、すぐそこに迫ってきていた。

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