第4話 危機感




 俺がこの城に着て、早一週間が経った。

 今のところ、俺は生きてはいる。


 吸血鬼達の時間は、非常にゆっくりしている。


 日本でも老人たちが軒先で日向ぼっこをしているのと同じで、寿命が長すぎると細かいことがどうでもよくなるのかもしれない。


 俺はメイド長にお城での仕事を教わったのだが、そのスケジュールは非常にのんびりとしていた。


 今週はお茶の入れ方。

 来週はお掃除の仕方。

 再来週は……と、そんな感じなのである。


 お城に置いて貰っている身としては何とも言えないのだが、これではお嬢様に、この城の仕事には慣れたかしら、と言われるのは十年後ぐらいかもしれない。


 その上で、今日はあちらの窓が汚れてますよ、と俺が口にしたら、じゃあ今日は窓ふきの日にしましょう、とメイド長は答えた。

 そしたら一日中本当に窓ふきをしているのだ。


 メイド長なのにお嬢様の世話をしなくても良いのか、と問うと。

 長い時は二週間ぐらいお眠りになっている、と言われた。


 時間の感覚が長い!! スローライフにも程がある!!


 そんな感じなので、俺的には一週間働いたので今日は休みにしてほしいと願い出たところ。


「わかりました、どうぞ遠慮しないでください。私は明日まで窓を拭きますので」


 と、言われた。一日休むぐらい、人間にとっては一時間休憩するのと同じなのかもしれない。



 しかしながら、休みを貰っても何もすることが無い。


 なにせ、この城には娯楽が無い。

 中世レベルから文明レベルが止まってるので、テレビは勿論スマホやインターネットも無い。図書館はあるが、文字も読めない。


 気が進まないが、キュリアさんに文字を習うべきだろう。


「やあぁ、人間君」


 ねっとりとした声音で、図書館に訪れた俺に話しかけてくるキュリアさん。

 視線もなんかねっとりしている気がする。


 正直なところ、お城ではメイド長と同じくらいキュリアさんには世話になっている。

 図書館の中から魔術書を引っ張り出し、暗視の魔法紋を俺に掛けてくれたりしたお陰で、仕事に支障が無くなったし、モノや人の輪郭もはっきり見える。

 これでいつでも君の位置を把握できる、なんて不穏なことも言われたが、聞かなかったことにした。偶に廊下の隅からこっちをジッと見てたりするけど、誰も存在などしない!!


「今日は何の用だい? 私は今、太古の人間の記録を読み漁っていてね。特に解剖記録などは心惹かれるよ……」

「あー、じゃあ、お忙しそうなので、遠慮しますね」


 俺は図書館のドアを閉めた。

 別に忙しくはないんだけどねぇ、と声が聞こえたが無視した。

 吸血鬼との距離感は大事である。


 ちなみに、この一週間、俺はスーロをあまり城内で見なかった。俺が避けているのもあるが。


 尚、メイドはメイド長とスーロしか居ない。いや二人しか居ないのかよ、と俺は思ったモノだが、もうそう言うものだと思うことにした。


 今週、スーロがメイドの業務を離れていた理由は、庭を見ればわかる。


「はッ、はッ、大分、力を制御できるようになったっすよ、サキュちゃん!!」

「まあ、始めの頃に比べれば、マシになったんじゃないかな?」


 スーロは、友人であるらしいサキュート卿と能力を制御する鍛錬をしていた。

 ここ一週間ずっとそうである。


 窓越しに、彼女達の会話が聞こえる。


「そろそろ終わりにしない? 別にあと五十年くらい掛けたって」

「ううん。せっかくヨコタさんに貰った力、私は自分のモノにしたいっす」


 いや、俺が別に与えたわけじゃないんだけど……。


「ヨコタ……あの、人間だって言う」

「そうっすよ!! あの人が、グズで何もできない私に、戦える強さをくれたんす!!」

「別に、スーロが強くなる必要はないよ!!」


 サキュート卿の言葉は尤もだ。

 正直、スーロの能力は対吸血鬼の力としてはティア5……使い道が少ないし、弱い部類だ。


 キュリアさんが言っていた通り、吸血鬼は精神的な比重が多い生き物。肉体の損傷は、行動の妨害程度にしかならない。

 実際、原作ラノベでも吸血鬼相手には精神攻撃系の異能が猛威を振るっていた。


 往年のラノベで例えるなら、吸血鬼は誰でも魔力でパンプアップできるのに、特殊能力が身体能力上昇だけ、みたいな主人公のハズレ能力なのだ。

 しかもスーロは武術の達人みたいな設定は無い、ただの村娘なのだ。


 最近のソシャゲならば、お嬢様が人権SSR、スーロは精々Rくらいのレアリティの、絶対的な差がある。

 吸血鬼の血の濃さとは、それほどまでに隔絶している。


「それに人間は敵じゃない……。あの人に、何を言われたの?」

「ううん、違うよ、サキュちゃん」


 スーロは首を振って、こう言った。


「最近、お嬢様のお眠りがどんどん長くなってるっすよね……」

「……うん」

「十年前は、力を使った後は一週間も眠られなかったっす」


 真祖の吸血鬼の力が衰えている。

 あの原作ラノベでほぼ最強だった、あの異能を持つお嬢様が?


「ご婚約も破棄したって噂ですし、もしかしたらお嬢様は、今代で御家の断絶を――」

「スーロ!!」


 ぴしゃり、とサキュート卿はスーロの口さがない言葉を遮った。


「お嬢様の従僕たるあなたが、勝手にお嬢様の御心を語るとは何事ですか!!」

「ッ、ご、ごめんなさいっす……」

「メイド長に聞かれたら、何と言われるか」


 はあ、とサキュート卿が溜息をする。


「もし、私が強くなれて、お嬢様の代わりになれたら……」

「それは、思い上がりだよ」


 スーロの言葉を、誰よりも切なそうにサキュート郷が受け止めていた。


「スーロは、私も守ろうって言うの?」

「ッ、それは……」

「昔は喧嘩しても一度も負けなかったのに、今は力に目覚めたスーロを凌ぐだけで精いっぱいなんだよ、私は」


 誰よりも、騎士階級のサキュート卿が己の力不足を感じているのだ。

 騎士階級は貴族階級の尖兵にして、露払いを行う吸血鬼の花形。


 そんな彼女が、お城の門番程度にしか使われていない。


 ……衰退なんて控えめな表現だったのかもしれない。

 吸血鬼達は、――――絶滅寸前だったのだ。


「先週だけじゃない。先月も、先々月も奴は現れた。どんどん間隔が短くなっている」


 それは恐らく、毎日ヒグマが街に降りてくるような感覚なのだろう、人間にとっては。


「前に集落に巡回に行ったとき、みんなリーチに怯えていた。

 次は誰がリーチになるのかって……、誰がリーチと戦って死ぬのかって」


 吸血鬼が、身内から怪物が出るのを恐れるなんて、笑えない。

 まるで、人間とあべこべじゃないか。


「……サキュちゃん、戦うのが怖いんすか?」


 それは控えめな、おずおずという感じの、反応を伺うようなスーロの問いだった。

 5000年前なら、目の前の人物が友人でなければ激高して即座にぶち殺されるような無礼だった。


「違うよ、折角取り立てて頂いたのに、何もできずに死ぬのが怖いの……」


 サキュート卿は腰に帯びた剣を抜いて、その刃に映る己を見やる。


 彼女はある意味、吸血鬼の衰退を象徴していた。

 人間は早く移動する為に自転車を漕ぐのなら、吸血鬼は自らの足で同じくらいの速さで走れる。

 彼女が剣で戦うのは、吸血鬼が自転車に乗って必死に漕ぐみたいな、ちぐはぐで滑稽な有様なのだ。


 吸血鬼は人間の道具では戦わない。その必要が無いからだ。

 そう、その必要が無かった、その筈なのだ……。



「盗み聞きとは、いけないねぇ♡」


 その時、俺の耳元にねっとりとした囁き声が吐息と共に吹き込まれた。


「ッ、キュリアさんッ」

「あの子たちも頑張ってるみたいだけど、格の差だけはねぇ」


 キュリアさんを俺と同じように窓の外を眺め、そう呟いた。


 じゃあお前が戦えば良いだろ、とは俺は言わなかった。

 魔法攻撃は吸血鬼に対して効果的とは言えないからである。基本格下にしか通用しないと言って良い。


 人間もそうだが、生物は魔力の膜で無意識に全身を覆っているらしい。

 吸血鬼はそれが強力な種族で、より強大な魔力の持ち主しかそれを破れない。同格でもかなり威力が軽減される。

 つまり、実質男爵階級のキュリアさんは、混血の吸血鬼相手にしか魔法によるダメージが通らないのだ。

 だから原作ラノベでは魔法は補助的な使われ方ばかりだった。


「それより、先ほどは何の用だったのかなぁ?」


 俺の服の中に手を入れ、セクハラをかましてくる女吸血鬼。日本だったら有罪確実である。


「……文字を覚えようかと」

「なるほどね、勤勉な子は嫌いじゃないよ」


 俺は何とか身体をまさぐって来る手をどかそうと試みるが、ビクともしない。

 彼女は彼女で子爵級の吸血鬼の身体能力を取り戻しつつあるらしい。


「生憎、うちの図書室に教材は無いね。

 となると……彼女に聞くべきか」

「彼女?」

「ああ、リーリスの、妹さ」


 俺は思った。本当に妹が居るのかよ。





 広大な庭の隅に、まるで農具小屋のようにひっそりとした小屋があった。


 そこを開けると、中には確かに作業道具が吊り下がっていたが、その中心に地下への入り口が存在していた。

 それはさながら、吸血鬼が潜むカタコンベか地下ダンジョンのような有様だ。


 そう言えば、吸血鬼と言えば創作で多くの場合アンデッドとして描かれるが、ここの連中はちゃんと生物として生活をしている。

 その辺の記述は原作ラノベには無かった気がする。

 もう10年以上前に読んだ物なので、俺はこれでも記憶力が良い方なのだろう。


 俺は一人で地下への階段を下りていく。

 暗視の魔法のお陰ですぐ奥に扉が有るのが見えた。


 二十段ほどの階段を降りて、俺はドアをノックした。

 返事は無かった。俺はドアを開ける。


 その先は、小さな聖堂だった。

 そう聞いていたので、俺はドアを開けたのである。スーロの同じ轍は踏まぬさ。


「すみません、誰か居ませんか?」


 声を掛けるが、聖堂の奥に繋がる聖職者の生活スペースからは返事がない。

 これは困った、と俺は聖堂の中を見渡す。


 隅にひとつ本棚があった。子供向けの絵本か何かみたいな大きさが幾つもある。

 恐らく、領民の子供を招いて文字を教えるのに使うのだろう。


 別に勝手に借りても問題は無いだろうし、拝借することにした。

 俺はその中にある文庫本サイズの本を見て、手が止まった。


 間違いない、『吸血乙女の円舞曲ヴァンパイア・ワルツ』だった。


 俺はそれを手に取って、表紙や挿絵を流し見た。

 やはり、間違いない。全十巻揃っている。言語こそ違うが、かつて見たあのラノベそのものだった。


「なんで、これがここにッ!?」


「それは、かつて五千年前に起きた出来事の伝記のひとつですわ」


 聖堂の奥のドアから、誰かが出てきた。

 金髪に赤目、吸血鬼のテンプレみたいな容姿のお嬢様より幼く見える、黒いシスター服の少女だった。


「貴方が来られることは、我が神より伺っていました」

「貴女は……」

「私はトゥーリ。我が神の神官として、ここで毎日祈りを捧げています」


 彼女はそう言って、壁に掛けられている聖印を見やった。


 しかしそれは、月の紋章ではなかった。


「でもこれはッ、月の女神のものじゃ」


 挿絵にアーリィヤ公爵家の奉る月の女神の紋章が描かれているのを覚えている。入ったことはないが、お城の方にも聖堂があったはずだ。

 この紋章は、尾を噛む蛇を刃で貫いている様子のレリーフだった。


「女神リェーサセッタ様。あの人間の女神の盟友にして、人間・魔族共に崇められる、邪悪や復讐を司る慈悲深く偉大な御方ですわ」

「あの女神の……」

「かの御方はあの女神に裸一貫で放り出されたあなたを憂いているご様子でした。

 可能な限り協力するように、仰せつかっております」


 な、なんて、まともなんだろうか。本当に邪悪とか復讐とか、そんな物騒な単語を司っているのだろうか。


「……君がこんな隅っこに暮らしているのは、やっぱり……」

「ええ、私は人類側に帰順を我が神に誓いました。

 当然、家からは勘当されていますし、お姉様からは姉妹の縁を切られております」


 まるで出家したかのようだった。

 しかし、当然の処置だろう。実家とは宗派が違うのだから。

 そして彼女は公爵家の吸血鬼。血の価値が他の吸血鬼とは違いすぎる。比べ物にならないと言ってもいい。


「あなたは滅びを待つしかなかった我々の前に訪れた神の御使い。

 どうか伏してお願いいたします。このスカーレットガーデンを救ってくださいませ」

「……俺に、どうしろって言うんだ」


 俺は腰を折って頭を下げる彼女に、そう呟くしかなかった。


 この世界を救えだって?

 馬鹿げている。俺には荷が勝ちすぎている。


「そうですわね。急にこんなことを言われても、困りますわよね。

 しかし、少なくともあなたの身の安全は、我が身を賭して保証いたします。我が神に身を捧げたのも、全てはこの世界の為」


 だが、この神秘的な雰囲気の美少女は本気だった。

 彼女は俺に賭けるしかないのだ。



「我が心と身体を、好きにして構いません。だから、どうか……我々には、時間がないのですッ」


 それは、吸血鬼らしからぬ危機感だった。

 その危機感は、きっと下僕のスーロも感じていた。


 かつて、吸血鬼は強大な種族故に傲慢さを常に有していた。

 だが、それは余裕の表れでもあった。

 だから時間の浪費に頓着しない。


 しかしきっと、恐らく彼女達に残された時間は、俺の寿命まで存在しないのだろう。



 この間、キュリアさんは言った。吸血鬼は文明的な種族だと。

 正確には、違う。


 吸血鬼には公爵が居て、侯爵が居て、伯爵が居て、子爵が居て、男爵が居て、騎士も居る。下僕も大勢いるだろう。

 だが、――王は居ない。


 これらの階級は、かつて人類に吸血鬼が寄生していた当時の、文化をそのまま使っているだけだからだ。


 彼らが使う文字も、言葉も、衣服も、建築も、食事も何もかもすべて、吸血鬼が人類から奪った産物なのだ。


 吸血鬼とは本質的に、略奪民族。

 人間に寄生し、その文化を奪って自分のモノにする生命体。


 吸血鬼は強靭で、強力な異能を持ち、寿命が長い。

 だが反対に、創造性が決定的に欠けている。新しいモノを創る能力がほぼ欠落している。

 なぜなら、そんなモノ必要無いからだ。全て、発展した文明に寄生し、奪えば良いだけだから。


 人間と吸血鬼の戦いとは、人間の文明の中に版図を広げる吸血鬼を防ぐ、そんな戦いなのだ。


 だから異世界に追いやられてもなお、人間の文化の使い古しをそのまま流用しているのだろう。

 お城の修繕がままならないのも、それが理由のはずだ。


 かつて、全盛期の頃の吸血鬼はそれでよかった。

 それが許される強者としての生態系。それが彼らだった。


 だが今きっと、吸血鬼だけを殺すウイルスが彼らに蔓延したとしたら、呆気なく絶滅するだろう。

 そう、彼らの対応力は、蚊よりも圧倒的に低い。

 蚊よりも完成度の低い生き物なのだ。


 そして今、飢えて死に掛かっている。種族が滅亡に瀕している。



 俺は、あの女神に言われた。

 救世主として振舞うのも、魔王として暴虐を成すのも自由と。


「俺は、俺は……」


 縋るような少女の瞳。強い意志、何もしてくれない月の女神を切り捨て、惜しみなく加護を与えてくれる神へ鞍替えした行動力。

 それらは吸血鬼には難しいことの筈だった。


 彼女の強い意志が、俺の前世を責め立てるように思えた。

 何も自分の意志で行動してこなかった俺を、口を開けて誰かの愛が転がり込んでくるのを待つことしかしていなかった俺を!!


 そして思う。……俺に、そんな価値はあるのか?


 彼女らに望まれ、頼られ、偶然必要とされる物を持っている。

 俺は何をするべきだ? 彼女達に、何をしてあげられるんだ?


「トゥーリさん、俺はそんな人間じゃ――」

「ヨコタさーん!!」


 すると、小屋の入り口の方から、スーロの声が聞こえた。


「大変っす!! リーチが、また現れたらしいっす!!」

「なんだって!?」


 迷い悩む俺には、その声は現実逃避に実に役立ってくれたのだった。





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