パンツを笑うものパンツに泣け!――俺はパンツで無双する――

藤 七郎

第1話 プロローグ


 春の夜。

 明るい三日月がトリストゥリム魔法学院の寄宿舎を照らしている。


 七歳の俺は質素な部屋の中で、涙をこらえながら密かに荷造りしていた。

 俺の名前『トラン』が刺繍された背負い袋に詰めるのは、パンとナイフと魔法の教科書。それに今着ているのと同じ服。白いシャツと半ズボン、体をすっぽりと覆う外套。村で着ていた、つぎはぎだらけの大きなシャツも入れる。

 膨らんだ袋を背中に背負う。


 そして部屋の扉を開けて、忍び足で歩き出した。

 幸いにも床に敷かれた分厚い絨毯が靴音を消してくれる。途中、廊下にある鏡が黒髪黒目の小柄な俺を映し出した。


 ――今日、俺は学院から逃げ出すつもりだった。

 農村出身の貧民には、貴族子弟の通う魔法学院は合わなかった。


 でも、逃げ出す理由は自分のためではなかった。

 一目見て好きになった王女様の名誉を守るため。ご学友として一緒にいるだけで迷惑をかけてしまう俺は、離れるしかなかった。



 両開きの大きな扉がある玄関前のエントランス。

 夜なので扉は閉まっていた。足音を消して近づき、扉に手をかける。


 そのとき背後から咎める声がした。

 鈴のような声が夜の静寂を切り裂いて、高い天井に反響する。


「どこへ行かれるというのです、トラン?」


 名前を呼ばれて、はっと息を飲む。

 桃色の長い髪を背中に垂らした少女。膨らんだドレスの上からもわかる華奢な体つき。たれ目がちのすみれ色の優しい瞳が、きっと俺の背中を見ている。


 でも振り返ることはできなかった。

 ――テルティア王国の王女、フローリアがいるのに。


 俺は泣きそうになるのをこらえながら扉の鍵を開けた。


「ごめんなさい。これ以上、フローリアに迷惑をかけられません」


「他人に何を言われたってかまいませんわ」


「僕が何を言われてもかまわない。でもフローリアまでバカにされるのは我慢できないから!」


「トラン、行かないで! どうして!」


 切ない声に扉を開ける手が止まりそうになる。でも一緒にいたらフローリア王女までバカにされる。


 俺は涙ながらに叫んだ。


「だって、だって! 僕の魔法は――パンツだからぁ!」


 なんでこんなことを叫ばなくてはならないのかと悲しくなって、ますます涙があふれる。



 すべての人間は七歳になると一つ魔法属性に開花する。

 一般的な火や水の下級属性だったり、溶岩や吹雪など珍しい上級属性もある。

 俺は生まれながらにして史上屈指の魔力量を持っていたため、たとえ下級属性の火や水であっても、最強の魔法使い――大賢者になると言われていた。


 それで貧しい生まれながらも、六歳の時に王女のご学友に選ばれたのだった。

 けれど七歳になって学院に入学しても、しばらくは俺の属性がわからなかった。

 何か月も調べに調べられた末、ようやくわかった。


 ――パンツ属性。


 布属性でも鎧属性でもなく、パンツ。

 学院は爆笑の渦に包まれた。それどころかフローリアまでパンツを従えるパンツ王女だと馬鹿にされた。それが耐えられなかった。



 突然、エントランスに少年の馬鹿にした声が響く。


「あはは! パンツが騒いでいますね! 属性だけじゃなく性格までおかしいみたいだ!」


 はっとして吹き抜けに面した二階廊下を見上げると、金髪碧眼の華奢な少年が見下した表情で俺を見ていた。癖のないセミロングの金髪がサラッと揺れる。


 ――ハインリッヒ皇子!

 帝国の皇子であり、なにかと俺を目の敵にしていた。

 きっと俺の身分が低いせいだろう。俺がパンツ属性だとわかってからは、なおさらいじめがひどくなった。


 俺は唇をかみしめると、扉を開けた。


「フローリア、ごめんなさい! ――さよなら!」


「待って、トラン! 一人にしないで!」


「あはは! パンツが逃げましたよ!」



 俺は夜の闇の中に向かって走り出した。

 後ろからフローリアの懇願するような叫び声と、ハインリッヒの馬鹿にする笑い声が、いつまでも聞こえてくる。

 戻りたい気持ちと離れたい気持ちで心が張り裂けそうになった。

 その痛みが涙となって流れ続ける。


 俺は丘の上にある魔法学院の敷地を出て、石畳で舗装された町を走り抜けた。

 坂道を飛ぶように駆け降りて行く。


 息が上がって苦しいけれども、心の苦しさは増すばかり。

 町を出て、さらに走った。

 道の両側は田畑が広がる。


 月明かりがおぼろげに照らす薄暗い街道を、どこまでも駆けていく。

 自然と足は人のいないほうへと向かった。

 人気のない細い街道へと入っていき、次第に鬱蒼と茂る山の中へと踏み込んでいく。



 それから人の気配から逃げる日々が続いた。

 気がつけば誰もいない山の奥地へと来ていた。見かけるのは魔物化した獣しかいない。

 ――ちょうどいい。ここにしよう。


 俺は木の陰に荷物を下ろすと、鞄から魔法の教科書を取り出して開いた。

 魔法について一つ気になる解説が載っていたからだ。

 魔法には下級、中級、上級があり、それぞれに攻撃と防御と支援の魔法があった。

 同じように属性にも下級中級上級があったが、魔法を極めると属性がランクアップすることがあると書かれていた。

 火属性が炎属性になったり、土属性が岩属性になったりする。


 つまり、パンツ魔法を極めたら、服属性になるはずだ。

 ひょっとしたら聖布属性になるかもしれない。


「そうなったら……」


 もう馬鹿にされることはないだろう。美しい王女の側にいても迷惑をかけることはなくなる。

 ふと、彼女の切ない呼び声を思い出す。


『待って、トラン! 行かないでっ!』


 ――やるしかない!

 奥歯をかみしめ拳を握ると、魔法の初歩のページを開いた。


「えーっと、まずは属性を意識しながら魔力を手に集めて、前に放つボルトかぁ――よし、やるぞ! パンツボルト!」


 下級はボルト、シールド、ムーブ。中級はバースト、ウォール、バインド。

 これらは基本で、組み合わせ次第でさらにいろいろできるらしい。



 俺は毎日、魔法の練習に明け暮れた。

 腹が減ったら野草や木の実を食べ、のどが渇いたら川の水を飲んだ。

 時には獣相手に魔法を試し、肉を食べた。

 上位属性になることをただ信じて。



 ――そして、十年の月日が流れた。

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