午後三時のエチオピア - 文元達也

@fumimoto_00

午後三時のエチオピア

 午後の光がゆるやかにキッチンに差し込んでいた。僕はエチオピア・モカをハンドドリップで淹れながら、ゆっくりとその香りを確かめる。

 少し焦げたナッツのような匂いと、果実が熟れすぎたときの気怠い甘さが混じっている。僕はコーヒーの味を信じている。政治家の約束や、恋人の「愛してる」という言葉よりも、よほど確かだと思うからだ。


 窓の外では、向かいのアパートのベランダに干された白いシャツが、風に揺れていた。その揺れ方が、マイルス・デイヴィスの「So What」のリズムにぴたりと合っている。僕は笑ってしまう。シャツがジャズを演奏している。世界はときどき、理屈抜きに上手くハモる。


 テーブルの上には、読みかけのチェーホフ短編集が開かれたままになっている。何度読んでも結末を覚えられないのは、僕が記憶力に欠けているせいではなく、彼の書く悲しみが毎回違う姿でやってくるからだと思う。


 コーヒーを一口飲む。苦味の裏にかすかな酸味が隠れていて、それが妙に人間的だ。誰の人生にも、そんなバランスの悪さがある。僕の人生にも、もちろん。


 昨日、恋人に去られた。彼女は台所のドアの前で言った。

「あなたって、いつもどこか遠くにいるのね」

 僕は答えなかった。遠くにいるのではなく、ただ静かにしていたかっただけだ。けれど、その違いを説明する言葉を、僕はまだ見つけていない。


 時計を見ると、もう午後三時を過ぎている。特別な予定はない。僕はもう一杯コーヒーを淹れ、冷蔵庫からレモンタルトを取り出した。甘すぎる午後には、少し酸っぱいものが似合う。

 ラジオではサイモン&ガーファンクルの「The Only Living Boy in New York」が流れている。僕はその曲が好きだ。

 なぜかと言えば、僕が東京にいても、どこかニューヨークの片隅にいるような気分になるからだ。もちろん、実際にはそんな場所に僕の居場所はない。けれど、人間は自分のいない場所にこそ、ささやかな希望を見出すものだ。


 冷めかけたコーヒーを飲み干すと、カップの底に小さな泡が一つだけ残っていた。

 僕はそれを眺めながら思う。

 きっと、人生というのはこの泡みたいなものだ。——すぐに消えるけれど、消える前の一瞬に、きれいな丸さを保っている。

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