現世(うつしよ)の君の物語

くさかはる@五十音

No.000 / プロローグ


人はいつ、昔のことを思い出すのだろう。


多くの人は、後悔した時とこたえるだろう。

年老いた人は、懐かしむ時とこたえるだろう。

ロマンチックな人は、泣きたい時とこたえるだろう。


それでなくとも、なにげない、ふとした瞬間に、過去は私たちの脳裏を軽々とよぎってゆく。

油断すれば、たちまち意図せぬほどの時間を吸い取られてしまうくらいに、過去を顧みるという行為は魅力的だ。

その内容が悲劇であれば、その力はより強いだろう。


しかし、過去ばかり顧みていても、未来は一向に明るくならない。

過去の何を思い出したところで、ひとつだって未来の足しになりはしない。

過去を思い出している暇があれば、未来のために何か具体的な行動を起こすべきだろう。


そう、よりよい未来を築き上げてゆくためには、具体的な行動が必要である。

その行動に役立つ場合にのみ、過去を顧みるという行為は意味を持つ。

しかしその行為は、つとめて冷静で、システマチックなものであるべきなのだ。

故に私は長い間、詩人がするように過去を顧みるという行為をしてこなかった。


私が歩んだ道の末に何が待っているのか、常に何かしらを追い求め、必死になって心身をすり減らし、つまづき転びもする中で傷だらけになりながらも一歩でもと前へ前へ進み、わずかな報酬を手に未来に追い立てられるような日々を送ってきた。


その行き着く先が、明るい未来であると願って。


果たして、我々は未来の奴隷であるのか。

はたまた過去の汚物であるのか。


願はくは、ただ今の積み重ねの上に幸せを見るものでありたい。

そう生きることが、他でもない過去を昇華し明るい未来につながることであると信じているから。

そう生きることが、一分一秒、そう生きていくことが、どんなに尊いことか、どんなに難しいことか、今の私はよく理解している。


この命の終わりにあって、一体どれほどのことを成し遂げてきただろう――。


いや、やめておこう。

私が生きてきた意味は、未来の人々が各々の心の中で自然と落としどころをつけ決めてくれるだろう。


今の私にできることは、ただ、詩人のようにこれまで歩んできた道程に思いを馳せ、ロマンチストのように無責任な夢を未来に描くことなのだ。

懸命に生きている間にはついぞ己に許さなかったその活動を、ここに至ってはおおいに楽しんでもいいだろう。


もう、何も求めはしない。

もう、どんな言葉も必要としない。

あらゆる慰めを受け入れて、私はねむりにつこうと思う。


永い、永い、なむりに。


あふれんばかりのありがとうという気持ちで、この胸をいっぱいにして――。

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