影の繭
もうすぐ夕陽も沈む頃。
辺りに長い影が落ち、
今日の終わりを告げようとしている。
さて、あとは月詠に尋問を繰り返して、
事の真相を吐かせれば終わりだ。
流歌がやれやれとため息を吐く。
だが、その突如として月詠の影が広がり、
瞬く間に月詠を丸ごと包み込んでしまった。
『影』は繭のようになり、
外界を遮断してしまった。
目の前で起こった出来事に、
冬馬は驚愕のあまり後退りした。
「な、なんだ!?」
流歌は直感した。
これは、『妖神』だ。
間違いない。妖神以外に、
こんな事象が起こるはずがない。
だが、周囲に妖神の気配はなかった。
今この場所で、何かが月詠に
取り憑いたということではない。
『以前から』何かが月詠の中にいて、
今この瞬間に出てきたのだ。
つまり、トリガー…きっかけがあるはずだ。
夕暮れという時間、公園という場所、
寂れた遊具、三人の男女。
原因はどこだ。因果は何にある。
「影…?」
月詠を包んでいるのは『影』だ。
影に関係する妖神…。
ダメだ。流歌の知識の中に
影に関する妖神は一つだけいるが、
それとは特徴が合致しない。
「和泉さん!あれは何!?
誰か、助けを呼んだ方がいいんじゃない!?」
冬馬は酷く動揺している。
それもそのはずだ。
冬馬は、妖神を知らないから。
今ここで冷静に判断できるのは
流歌しかいない。
月詠を包んでいる『影』に動きはないが、
いつ何をするか分からない以上、
迂闊に手を出すべきじゃない。
ならばここは、冬馬の言う通りに
助けを呼ぶのが最善だろう。
「逢瀬君!ここから表の道に出たら、
真っ直ぐ東に向かいなさい!
10分も走れば小さな廃工場があるから、
躊躇わずに中に入って、千歳千尋という
見た目の悪い男を連れてきて!」
「──っ!小さな廃工場に、千歳千尋だね!
分かった!」
最低限の単語だけ繰り返すと、
冬馬は動物のように走り出した。
さすがは冬馬。流歌が多くを言わずとも、
きちんと理解したようだ。
ここから廃工場までは歩いて20分。
男子である冬馬の足なら
10分もかからずに到着するだろうが、
千歳に事情を話して
千歳を連れて戻ってくることを考えると、
最短でも20分はかかるだろう。
それまでの間、『影』をここに
留めておかなくてはならない。
力で止められるなら単純でいいのだが、
影とは本来、重さも硬さも無く、
他の何にも干渉しないもの。
『影』が動き出したら、
不死鳥の力を借りたとしても、
その動きを止めることは出来ないだろう。
できれば、千歳が来るまで
じっとしていて欲しいものだが……。
「……?何か聞こえる?」
この公園には、『影』の繭に包まれた月詠と
流歌以外に人間はいない。
公園の周囲は住宅が並んでいるが、
とても静かである。
なのに、声が聞こえる。
遠くない……近い。
近くから声がする。
どこだ…と思った時、
流歌の目が『影』を捉えた。
「まさか……!」
いつでも逃げられるように、
慎重に距離を詰める。
3m…2m…1m……。
そっと影に耳を寄せてみた。
やはり、声はこの中から聞こえる。
月詠が何かを叫んでいるようだが、
影に阻まれてよく聞こえない。
「は──ウチか───け──
──は───ない───。」
月詠が何を叫んでいるのか、
外からでは分からない。
ただ、雰囲気から察するに、
特定の何かに対して
叫んでいるように聞こえた。
「月詠さん!月詠さん!
私の声が聞こえる!?
聞こえたら返事して!」
流歌は精一杯叫んだ。
中からの声が聞こえるのなら、
外からの声も聞こえるはず。
月詠の無事を確認して、
お互いの状況を伝えることができれば、
繭を破る方法が見つかるかもしれない。
「月詠さん!返事して!」
だが、何度呼びかけてみても、
月詠がこちらの声に応じる様子はない。
試しに近くに落ちていた石を
繭に投げてみたものの、
見事に跳ね返ってきてしまった。
どうやら、外側からの干渉は
一切受け付けないらしい。
となれば、流歌に出来ることはない。
千歳の到着を待ちながら、
『影』を見張るだけだ。
…が、事態は急に動き出す。
「ま、待ちなさいっ!」
どうしたと言うのか、
繭がジリジリと動き出したのだ。
ゆっくりとではあるが、
徐々に動きが早くなっている。
冬馬が千歳を連れて来るまで、
繭はここに留めておかなければならない。
だから、流歌は腕の玉砕覚悟で
繭を上から抑えつけた。
「待ちなさいって……言ってるでしょ!」
それでもジリジリと繭は進み続けている。
これがどこへ向かおうとしているのか、
月詠がどうなってしまうのか、
何も分からない以上、
他の人間にまで被害が出る前に
どうにかしなければならない。
冬馬が走り出してからは、
まだ5分程度しか過ぎていない。
千歳が到着するまでの間、
流歌の体力が続けばそれでいい。
だが、繭の方からは
何もしてこないと安心しきっていた流歌に、
繭が牙を剥いた。
「きゃぁっ!」
流歌の腕を押し返し、
体ごと後方に吹っ飛ばしたのだ。
幸い大きなケガはないが、
腕が痺れて動かない。
力でも敵わないのなら、
もう、流歌に為す術はない。
こうなれば、多少の被害を覚悟してでも、
千歳の到着を待つしかない。
そして、何も出来ない自分を呪いながら
流歌が下を向こうとした時だった。
「…これ、壊せばいいの?」
一匹の狼がやってきて、
繭の前に立ち塞がった。
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