一乗家のかわいい花嫁~ご実家の皆様、私は家族ではないんですよね?~

巻村 螢

美しい女

 異国文化が入ってきて久しい我が国の玄関口・横濱。

 和と洋の文化が混在する雑多な空気の中にも、洒落た気風がある街である。日が暮れると、その空気はより一層濃くなる。


 昼間は女学生や婦人達で賑わっていた喫茶店も、夜の帳が下り、窓からガス灯の温かな朱色が漏れると、仕事疲れの男達が集う夜の社交場となるのだ。まるで灯りに群がる蛾のように。


 そして、喫茶店の中のひとつ、喫茶ブルーエでは今、蛾――若い男達に群がられているひとりの女性がいた。


 カウンター席に座る彼女は、年の頃は二十前後くらいで、まるで帝劇女優のように美しい顔をしていた。儚い一輪花を思わせる顔なのだが、そこはかとない色気と自信を纏っている。まだまだ珍しい洋装姿で、長い黒髪は後頭部でまとめられ、片側に流されたウェーブした前髪が妙に婀娜っぽい。


 カランカランと軽妙なドアベルの音が鳴り、二人の若い男――帽子を被った男と眼鏡をかけた男が入ってくる。


「おっ、今日はいるじゃん。ついてるね」


 帽子の男がカウンターを見て、嬉しそうな声を出した。


「いるって誰がだ?」

「あの子だよ」


 眼鏡の男の疑問に、帽子の男はカウンターを指さす。彼が示す先には、男達に囲まれ談笑する美女の姿が。


「へえ、めちゃくちゃ可愛いな」

「だろう」

「女給じゃ……ないようだな。エプロン姿じゃない」


 喫茶店には、女給と呼ばれる女性店員がいる。美人ばかりが採用されることで有名で、女給目当てで通う者もいるほどだ。そして、彼女達は喫茶店ごとに決まった制服というものがあり、全てに共通しているのは白いエプロン姿ということだ。

 帽子の男はキョロキョロと周囲を確認すると、眼鏡の男にコソッと耳打ちする。


「ここだけの話、金さえ払えば一晩遊んでくれるんだぜ」

「本当かよ!」


 眼鏡の男の驚きと喜びがまじった声に、帽子の男は満足そうに頷いた。


「しかも噂では、あの子、清須川きよすかわのご令嬢だって話さ」

「清須川!? あの、清須川製糸の……?」


 清須川製糸といえば、ここ横濱ではなかなかに名のしれた紡績会社である。

 眼鏡の男が驚きに口を円くして動きを止めていると、店奥の席からひとりの青年が彼女の元へ向かっていった。カウンターに肘をつき、彼女の顔を覗き込むようにして話しかける。


「ごきげんよう、お嬢さん。君ってここら辺じゃ結構有名なんだってね」


 帽子と眼鏡の男達は、全神経を耳に集中させていた。


「俺とも遊んでほしいんだけど、なんて呼べばいい?」


 そして、二人はハッキリと聞いた。彼女が笑んだ赤い口で告げた名前を。


「チヨ」



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