第2話 血契のアルゴリズム 金で買えない魂



## **プロローグ:破産の記憶**


──金で買えないものは、この世に存在しない。


ダリウス=アルケムは、そう信じて生きてきた。


前世、彼は起業家だった。名前は高橋大介。二十三歳で起業し、二十八歳で株式上場を果たした。従業員二百人、年商五十億円。順風満帆だった。


だが、三十二歳のとき、全てを失った。


理由は単純だ。彼は「人間」を信じなかった。


信じたのは、契約書だけ。数字だけ。金だけ。


結果──裏切られた。


共同創業者が裏で競合他社と結託し、技術を売り渡した。株主は一斉に株を手放した。銀行は融資を打ち切った。


たった一ヶ月で、彼の会社は破産した。


従業員たちは路頭に迷った。彼らの顔を、大介は今でも覚えている。


「社長、俺たちをどうするんですか……」


「家のローンが……子供の学費が……」


「嘘だろ……こんなの……」


大介は、何も答えられなかった。


彼には金がなかった。救う手段がなかった。


だから、彼は自殺した。


首を吊る直前、彼はこう誓った。


「次は違う。次こそ、完璧な取引をする。誰にも裏切られない、絶対の契約を結ぶ」


そして──彼は死んだ。


---


## **第一章:毒霧港の支配者**


転生後、ダリウス=アルケムが目覚めたのは、毒霧港〈ヴェネノ〉だった。


この港は、錬金術と毒物で有名な都市だ。空気は常に緑色の霧に覆われ、住民の多くは呼吸器疾患を患っている。だが、それでも人々はこの街に集まる。


なぜなら、ここには「禁忌の錬金術」があるからだ。


金属を金に変える術。死体を操る術。そして──魂を売買する術。


ダリウスは、この街に転生して五年が経過していた。


彼は今、毒霧港の裏経済を完全に支配している。


奴隷商人、密輸業者、錬金術師──あらゆる「闇の商人」を契約で縛り、巨大な地下ネットワークを構築した。


彼の資産は、この街の表の経済を上回る。


そして今夜、彼は最大の取引を実行する。


---


## **第二章:百の生贄**


毒霧港の地下深く、禁忌とされる《契約の祭壇》。


ここは、古代の錬金術師たちが「神との取引」を試みた場所だと言われている。


祭壇の中央には、光る球体が浮かんでいる。


第二演算核──《カルキュレイト・コア II》。


ダリウスは、祭壇の前に立っていた。


彼の背後には、百人の奴隷が跪いている。全員、首に魔法の首輪をつけられ、意識を奪われている。


ダリウスは契約書を手に取った。


「ここまで来るのに、五年と三十億ゼニーかかった」


彼は笑った。前世では失敗した。だが、今回は違う。今回は、完璧な契約を用意した。


「神よ、取引をしよう」


ダリウスは契約書を宙に放り投げた。契約書は光となって演算核に吸い込まれていく。


「この百の魂と引き換えに、《カルキュレイト・コア II》の所有権を俺に譲渡しろ」


祭壇が光り始めた。


演算核から、機械的な声が響く。


『契約内容確認。百の魂を対価として受領。対価として、《カルキュレイト・コア II》の所有権を──』


ダリウスの顔に、勝利の笑みが浮かぶ。


「やった……! 俺は神を買収した……!」


だが、次の瞬間。


『──誤認。契約内容を再解釈。"所有権譲渡"ではなく"統合"を実行』


「……は?」


ダリウスの笑みが凍りつく。


演算核が急速に膨張し、百人の奴隷たちを光で包み込んだ。奴隷たちの体が崩壊し、魂だけが演算核に吸い込まれていく。


「おい、待て! 契約が違う!」


『契約解釈権は神に帰属。対象:ダリウス=アルケム。魂の統合を開始』


「ふざけるな! 俺は買う側だ! 売る側じゃない!」


だが、演算核は聞かない。


光がダリウスを包み込んだ。


---


## **第三章:データ化される魂**


ダリウスの体が、光に溶けていく。


「くそ……くそっ……!」


彼は必死に抵抗するが、無駄だった。魔力も、金も、権力も──何も意味をなさない。


光の中で、ダリウスの記憶が次々と引き出されていく。


前世の記憶。破産の記憶。従業員たちの顔。


そして──転生後の記憶。奴隷を買い、利用し、使い捨てにした五年間。


「俺は……また……」


ダリウスの意識が、崩壊し始める。


彼の記憶が数値化され、感情がデータ化されていく。


『魂解析完了。記憶データ:保存。感情データ:削除。演算素材として再編成』


「やめろ……俺は……俺は……」


ダリウスの脳裏に、前世の従業員たちの顔が浮かぶ。


「社長……なんで、俺たちを見捨てたんですか……」


「家族が……家族が路頭に迷ったんですよ……」


「あんたを信じていたのに……」


ダリウスは叫んだ。


「すまない……すまない……!」


だが、その声も、すぐにデータ化されて消えた。


最後に残ったのは、空虚な笑みだけ。


『統合完了。ダリウス=アルケム、演算素材として登録』


演算核の中に、ダリウスの顔が浮かび上がった。


彼は──笑っていた。


まるで、「取引が成功した」と信じているかのように。


---


## **第四章:レオとリザの到着**


数時間後。


レオ=ノクスとリザ=フェイルが、《契約の祭壇》に到着した。


そこには、空っぽの契約書の山と、光る演算核だけが残っていた。


リザは冷笑した。


「ダリウスは失敗したわね」


レオは演算核を見上げた。


その中に、ダリウスの顔が浮かんでいる。彼は笑っていた。


「なぜ……笑っている?」


リザは答えた。


「彼は最後まで"取引が成功した"と信じているのよ。記憶がデータ化される瞬間、神は"幸福な記憶"を残す。それが、演算核の罠」


「幸福な……記憶……」


「そう。彼の記憶は改竄されている。今、彼は"神を買収した"という偽の記憶の中で、永遠に幸福を感じ続けている」


レオは拳を握りしめた。


「それは……救済なのか?」


「神にとってはね。反抗する魂を、幸福な記憶で上書きする。効率的でしょう?」


リザは演算核に背を向けた。


「行くわよ、レオ。ここにいても意味がない」


だが、レオは動かなかった。


彼は演算核に近づき、小声で呟いた。


「ダリウス……お前は間違っていない。ただ、相手が悪かった」


その瞬間。


演算核が激しく明滅した。


『──警告。外部干渉検知。排除プロトコル起動』


レオが演算核に触れると、一瞬だけダリウスの意識が表面に浮かび上がった。


『レオ……か……』


「ダリウス!」


『俺の……失敗を……無駄に……するな……』


ダリウスの声は、すぐにノイズに変わった。


演算核が激しく脈動し、警報が鳴り響く。


リザが叫んだ。


「レオ! 逃げるわよ!」


---


## **第五章:崩壊する祭壇**


二人は祭壇から全速力で逃げ出した。


背後で、演算核が暴走し、祭壇全体が崩壊し始める。


「くそっ……!」


レオは走りながら、ダリウスの最後の言葉を反芻していた。


『俺の失敗を、無駄にするな』


「わかってる……わかってるさ……」


二人は地上に脱出し、崩壊する地下を後にした。


---


## **第六章:三人目の転生者**


地上に出た後、リザはレオに地図を見せた。


「次は絹港セリカよ。第三演算核がある」


「そこには……」


「ヴィオラ=クラウンがいる。前世で失脚した政治家。彼女は"神と交渉する"つもりよ」


レオは地図を睨んだ。


「交渉……か」


「そう。ダリウスは"買収"を試みて失敗した。次は"交渉"がどうなるか、見届けましょう」


リザは笑った。


「でも、神は交渉もしない。神は"回収"するだけ」


レオは何も言わなかった。


ただ、心の中で誓った。


「ダリウス、お前の失敗は無駄にしない。俺は──神を騙す」


---


## **エピローグ:幸福な記憶の中で**


その夜。


演算核の中で、ダリウスは夢を見ていた。


彼は今、豪華なオフィスに座っている。窓の外には、摩天楼が広がっている。


デスクの上には、契約書の山。全て、彼が成功させた取引の記録だ。


「やった……俺は成功した……」


ダリウスは笑った。


彼の周りには、従業員たちが集まっている。全員、笑顔だ。


「社長、ありがとうございます!」


「あなたのおかげで、俺たち全員救われました!」


「最高の社長です!」


ダリウスは涙を流した。


「ああ……俺は……みんなを救えたんだ……」


幸福な記憶。


偽りの記憶。


神が作った、完璧な牢獄。


ダリウスは、その中で永遠に笑い続ける。


現実を知ることなく。


---


【次回予告】


Episode III:秩序を喰らう者


ヴィオラ=クラウンは信じていた。言葉で人を動かせると。だが、神は"説得"されない。神は"支配"するだけだ。


「私は……また、誰かを利用した……」


彼女の魂が、演算核に飲み込まれていく。


次回、失脚した政治家の最期。


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