第二幕 舞台は巡り、役者は踊る ~ミステリアスメイドと覚醒する王女~
第14話 王女 ~覚悟と日記~
王都から脱出した俺たちは、ひとまずブラックランドの城館に王女を連れて帰還した。馬を走らせて一昼夜と少し。セレナ王女は俺の腕の中で口をつぐみ、涙は川のように風に乗って流れ続けた。
王女は城館の貴賓室に入ると、内側から鍵をかけて丸一日引き籠った。すすり泣く声が漏れ、物が割れる音が響くことさえあった。使用人はもちろん、俺もクレアも声をかけることができなかった。
明けて翌日、貴賓室の扉が開いた時、憔悴しきった姿の、決意を示す強い眼差しを持った王女が現れた。
「王女殿下……」
俺は口を開くが、言葉が続かない。あの夜、王都の混乱から脱出するとき、国王を見捨てて王女を、いや王女とともに逃げる判断をしたのは俺だ。戻ればおそらく命がなかっただろう。しかしそれは理屈だ。
一人の父としてあの場に現れた王は、王女のために身を挺した。親として、娘のために。王弟バートラムの入念な計画、いずれ実行されたであろうそれだったとしても、国王である父の元に引き返さずに王都の門を抜け出た時、王女の顔は心痛に歪んでいた。
「ブラックランド公、……お見苦しいところをお見せしました」
感情を押し殺した声。あれだけ健気でよく響いた声は、そこにはない。水しか飲んでいないのだろう。貴賓室の奥には手つかずのパンやチーズ、スープがすっかり冷え切って残っているのが目に入る。
「国王陛下は……、父は……、優しいお方でした」
王女の肩が小刻みに震えていた。
「政治には向かぬ人間もいるのだと、叔父に政治の一切を任せることにした時、人は向いていることをするのが一番良いと、笑って話していたことをよく覚えています」
絞り出すような声で、在りし日のことを話しだす。寂寞とした色を帯びた声は、精彩を欠いていた。それが、いまの王女の生の声。
「叔父も最初はああではなかったのです。もしかしたら、父や私を油断させるための演技だったのかもしれません」
王弟を間近に見てきた者の言葉は説得力が違う。それは戻らぬ時を引き戻すべく、後悔という爪痕を声に刻んでいた。
「叔父の本心。父に代わり、玉座に手をかける日も近い……。それが今日や明日ではなくとも、何年も先の話というわけでもないでしょう……」
覚悟を決めた瞳。舞踏会で初めて出会った日に奥底に秘めていた意志が、いまやくっきりと宿っていた。
「私は決めました。……父の身に何があろうと……、何があろうと、あのお優しい心を受け継ぎ、私が為すべきことを為します」
そう言って王女は俺の腕を掴む。非力なそれとは思えないほど強く。
「演じる必要があれば演じてみせましょう。王を継ぐ者でも、哀れな娘でも、無垢な少女でも。叔父を止めなければなりません。あれは、闇です」
俺は頷く。王弟バートラム――あの男は、政治も劇だと言っていた。舞台演劇は政治劇も風刺も扱ってきた。それならば、俺の演劇の経験を活かすことで、渡り合うことができるのではないか。ただ最高の舞台を最高の演者で創り出すことではなく、それ以上のことを。
王女を救うと誓った。しかし救うとはなんだ? ただその身の安全を保つことが救うことなのか? それは違う。俺は王女の、心を救わなければ。国王と引き離してでも連れ出してきたのは、俺なのだ。
「王女殿下、私はどこまでもお供し、持てるすべての力をお貸しましょう」
俺は、膝を落としてその場で深く礼をする。そして王女に、後ろ手に隠し持っていたアネモネに似た深紫の花を向ける。クレア曰く「誠意」の意味がある花。
それを見た王女は、あの夜以来初めて小さな、ほんのわずかな笑みを零した。
「期待していますよ。ブラックランド公」
◇◆◇
それからは慌ただしい時間が過ぎていった。なにしろここは王都の目と鼻の先と言って良い。バートラムが王都で足固めを進めている間に、より安全な場所へ移るべきだった。
俺たちに続いて王都を抜け出たエランドは、いち早く交易商のネットワークを活用して様々な場所を退避所として利用できるよう手配していた。いずれ王家に請求する腹積もりだとしても、気前の良い話だ。
王女がささやかな食事をしている間、クレアがその世話に甲斐甲斐しく動いてくれた。
俺は出立の準備を進める。使用人に兵士、城館にいる者すべてを引き連れここを立つ。連れていけない者には十分な金貨銀貨を与え暇を出した。馬五頭に荷馬車が七台。徒歩で続く者をいれれば五十人近くになった。
「ご主人様、王女殿下に何やらお考えがあるようです。こちらへ」
クレアがやってくる。ピンク髪で眼鏡をした執事兼メイド、そして常人ならざる力の持ち主。
「わかった。行こう」
クレアに誘われ、俺は王女がいる食事室へと向かう。
眼前には、荷物を運び不要な物を処分する使用人たちと、行軍に備えて武器や防具だけでなく携行食を準備する兵士たちの騒がしい声が響いていた。
季節は秋。乾いた風は木の葉を散らす。
◇◆◇
食事室で俺たちを出迎えた王女の顔からは、貴賓室の扉を開けた時の、棘のある繊細で険しい雰囲気は消えていた。
「王女殿下、何かお話があるとか」
俺は略式の敬礼をして王女を見る。用意した食事の半分ほどしか手がついていなかった。何も口にしないよりはマシだが、まだ喉に物が通るわけでもないのだろう。
「クレアさんに聞きました。ホーウッド男爵の領民たちは、大層私を慕ってくれているのだとか」
そう切り出す王女の目に、心なしか弾むものが見えた。
「とても楽しいお方ですね。クレアさんとお話をしていると、少し気が紛れました」
クレアが軽い会釈でにこりと応える。
「まずは男爵領に向かいましょう。きっと、私の姿を見れば、人手も物も融通してくれることもあるでしょう。そして街道沿いを南へ」
南? 王女は脇に避けてあった地図をテーブルに広げてある一点を指さす。
この国の南方は肥沃とは言えない山がちな地勢。ここから向かうならば、いくつかの大河や湖を超える必要もある。決して大勢を引き連れていくには便が良いとは言えない。
俺の怪訝な顔を見て、王女は笑みを零す。少女らしさを少しだけ取り戻したように見えた。
「ここに魔法協会があります。先代の王の時代には賢者もいたと、父から聞きました。まだ賢者がいるなら、きっと力になってくれると思うのです」
なるほど。魔法か。この世界に来てから目にしたのはクレアが見せた一回だけ。代償もあるようだが、ぜひ味方にしたい。その力がどれほどの物であるにしても、接触する価値はありそうだ。
「協会は、叔父から嫌われています。言うことを聞かない頑固者の集まりだと。私が行って何ができるかはわかりません。でもそこは……、ブラックランド公がなんとかしてくださるのでしょう?」
いったいいつからこの王女様はこんな手管を覚えたのか。最後のそれは、問いでも相談でもなく、実質的な命令だ。それに、その言葉を発した時、ようやく生気を取り戻しつつあった顔に、一瞬だけ大人びた笑みが浮かんだ。
危機が人を成長させる。傷心も癒えないだろうに、逞しい。成長期の精神とは、これほどに大きく短期間で変わるものだろうか。多くの子役を目にしてきた俺でも、内心の驚きは隠しようがなかった。
「如何ですか?」
如何も何もない。俺は王女の声にならない願いを強引に無視してここに連れてきたのだ。父である王を見捨てて、だ。それに負い目を感じないと言えば嘘になる。
それに、少女と大人の間を揺れ動いて見せる特有の美しさを持った笑みでそう言われたら、断れるはずなどあるはずがない。俺は王女を救うと誓ったのだから。
「仰せのままに。たとえ王弟殿下が敵であろうと、最後までともに参りましょう」
胸に手を当てて礼をする。そこに王女はさらに一言こう付け加えた。
「第一王女の巡回劇団、目的地は決まりましたね」
なんだそれは。巡回劇団? 初めて聞いたぞ?
クレアに目を向けると、これまた笑みで返された。その蒼い瞳は、王女のためなんですからとでも言っているようだった。
さては、クレアと王女様は、最初からそう決めてから俺を呼んだな? とんだ役者じゃないか、まったく。俺は呆れもし、頼もしくもあった。
「それでは早速、出発しましょう」
王女はそう言って席を立つと、クレアに連れられて貴賓室へ戻っていった。
ああ、いよいよ本当に劇団を持つことになるとは――面白いことになってきたじゃないか。
こうして俺は、クレアと王女を伴い、巡回劇団としてこの国を転々と旅することになる。
==セレナの日記==
今日から日記をつけることにしました。この旅がどうなるかはわかりません。
ウィリアム様はどこまで気づいているのでしょうか。
それに不思議な存在のクレアさん。彼女は何者なのでしょう?
父上、いずれお会いする時、この日記を片手にお話しをしましょう。
――次幕、巡回劇団。
俺は筋を書き、クレアはお膳立てをし、王女は演じていく。
―――――――――――
【ウィリアムの幕間メモ】
王女が時折見せる大人の笑み。
それは成長のなせる技か、それとも?
新章開幕にあたり、ぜひ寸評(=レビュー)をお願いしたい。
毎夜20:05、舞台の幕は上がる。
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