第12話 花火 ~王都の空は虹色に染まる~
(エランド様の言う通りでしたね)
御者台の上、四頭立ての馬車の手綱を握る御者に扮した俺の横で、クレアはピンクの髪を揺らして視線で語る。
積み荷は検査されるが商人とその帯同者は通行証と人数さえ揃っていれば問題ない。そう太鼓判を押したエランドの言う通り、俺たちは商人らしい衣服に身を包み、いくつもある荷馬車の御者と従者になりすましていた。
空を見上げる。よく晴れた気持ちの良い青空が広がっていた。
(やっと、戻ってきた……)
感慨は湧かない。王都は定期市に向けて既に人が集まりはじめていた。肉に魚に野菜、色とりどりの布や服。早くも商いに精を出している姿も見える。
「お兄さん、何か良い品は入ったかい?」
露天商の男が声をかけてくる。その言葉で、俺はいま商人を演じなければならないのだということを思い出す。
「悪いね、ぼちぼちいつも通りってところさ」
できるだけくだけた感じで応えはしたが、これで良かったのだろうか。いささか芝居が過ぎたかもしれない。
「定期市まで待っておくれ。掘り出し物なら、そこで並べるからさ」
朗らかな声でクレアが助け船を出してくれた。定期市は二日後。俺たちは今夜勝負をかける。市が開催される頃には王都を去っているはずだ。
わかったわかったと踵を返して背中越しに声をあげた露天商が、右手を大きく振りながらこの場を後にする。
「市場まであと少し。さっさと荷物を運んで、食事にしよう」
俺は手綱に力を込めて、大通りを進んだ。ここで失敗すれば次の定期市はさらに三十日以上先になる。時間が経てば経つほど計画が露呈するリスクは増えるのだ。今晩予定通り王女の救出を決行する。
◇◆◇
陽が暮れはじめ、俺とクレアは商人たちがたむろする交易商人の宿舎を抜け出す。エランドが予め言い含めておいた他の商人たちに、それを咎める者はいない。普通に考えれば無謀な試みに、反対する者は少なくなかったと、エランドはしきりに手配に時間がかかったことを弁明していた。
(いや、よくやってくれたよ)
俺は胸の内でエランドに感謝の言葉を贈る。とはいえ抜け目ない商人のこと、俺たちが失敗した時の保険くらいはかけているだろう。エランドは俺たちが万一城門で足止めを喰らった場合に備えて、後から王都に入る手はずになっていた。
クレアとともに足早に路地裏を駆ける。王都は完全に陽が落ちるまで、大通りはそれなりに人通りはある。夜中まで出歩く者は滅多にいないが、それまではちょっと贅沢な晩餐を目当てに繰り出す者もいれば、旅の疲れを癒すために酒場へ繰り出す者もいる。
一見華やかな大通りと違って、路地裏は、日陰者と浮浪者、犯罪者の道。禁制品を売ろうとする闇商人が客を探している姿すら目に入る。
そんな危険で薄暗い路地を半刻ばかり駆けると、王宮を納める城砦が見えてくる。王都の城壁はいわば外壁。王宮は内壁の中にある。そして尖塔は、その外壁と内壁の境にひときわ高くそびえたっていた。
(もうすぐです、王女殿下。今宵、私がお迎えに上がります)
己の誓約を果たすべく、一段と気を引き締めて走る。みるみる迫ってきた尖塔は、いかにも他者を拒む威容で俺たちを見下ろしていた。
俺は商談のすぐあと、王女宛の手紙とは別に、国王に宛てて手紙をしたためた。その手紙の内容に応じたかどうかは、もうすぐわかる。
◇◆◇
尖塔の根本、外壁と内壁の境。そのどこからも死角になっている場所に、組み梯子があった。国王に頼んで秘かに手配していたものだ。
俺が王に求めたものは二つ。一つは外壁の上まで尖塔の根本から登るための梯子。いま一つは、王女が尖塔の窓から壁を伝って降りて来るための、布団や布の類い。それらを結び、王女が外壁の上の見張り通路まで降りる。俺たちはその王女を迎え、通路で合流し、外壁から今度は三人で降りる――そんな算段だった。
考える時間さえあれば他にも方法はあったかもしれない。我ながら粗雑な計画だとは感じる。しかし、俺は時間を優先した。時間が経てば、それだけ王弟が何らかの思い切った手段を決めるための時間を与えることになる。それにもう一つ――。
(あんな痛ましい手紙を書かせるなんて、それだけでも耐えがたい)
言葉にはしない。それを口に出すのは、クレア相手であっても憚られた。日を追うごとに沈痛さを増す手紙の内容が、俺の判断を前へ前へと進めていた。
「そろそろ、だな」
小声でそっとクレアを見る。月が上り、宵闇が深まる頃合いで、俺たちをここへ導いた隊商の宿舎から、定期市のために用意した花火がちょっとした商人たちの不始末によって打ち上がることになっていた。それが、王女への合図。
(まだか。早くしてくれ……)
気ばかりが急いて仕方ない。外壁上の通路へ登り切ってしまえば、そして王女が抜け出して尖塔の壁を降り始めれば、気づく者が現れてもおかしくはない。だから合図は派手なものを選んだ。
火の不始末は決して珍しいものではない。そして城壁の中でのボヤは放っておけば大火に繋がる危険がある最優先の事件になる。衛兵を引きつけるには十分。
(まだなのか……)
膝頭を叩く俺の指は、焦れる胸を落ち着けようと一段と早く打ち付ける。その手に、クレアの小さな暖かい手がそっと重ねられた。
「きっと、やってくれますよ。ご主人様、焦りは禁物です」
その時だった。隊商の宿舎から、定期市には早すぎる花火がいくつか盛大に打ち上がり、王都中に鳴り響く。様々な色の光が王都を照らし出す。突然の破裂音と明滅する明かりに、静まった王都のあちこちで悲鳴や狼狽の声が飛び交い始める。
それと同時に、俺たちの目の前に、数珠繋ぎの布が長い一本のロープとなって降ってきた。よし、ここまでは計画通り。
尖塔を見上げる。そこに、なんとか身を捩って窓から外へと抜け出し、月明かりに銀の髪を煌めかせたセレナ王女の姿が現れた。
「その……、見られると意識してしまいます……。……それにその……私もウィリアム様をこの目で見たいのに」
王女は顔を上へ下へと何度か視線を変え、やがて自身の手元を見つめることにしたようだ。
「……いまは下を見るのが、とても怖いのです」
ああ、この声だ。懐かしい、凛とした王女の声。まだ計画は半ば。それでも、堪えても湧き上がる喜びに、俺はクレアの手をグッと強く握りしめていた。
◇◆◇
王女が降りてくるまでの時間は、永遠にも感じられた。一歩一歩、その手に掴んだ布の縄を確かめるようにして降りる王女は、暗がりでもわかるほど震えていた。
時折吹き付ける風に揺られる小柄な体には肝を冷やした。その度に俺は息を呑み、王女は思わず悲鳴を上げそうになる。衛兵に見つかるのではないかと、気が気ではなかった。
どうにか俺の前まで降りてきた時、王女の手は摩擦で酷く傷付き、あちこち血も滲んでいた。しかしそんなことはお構いなしに、足を通路に下ろすなり、振り返って俺に抱きついた。
「ウィリアム様! ずっと、待っていたのですよ! ようやく……」
俺の胸元で、恐怖ではなく喜びに震える王女の声は、消え入りそうなほど掠れて、その頬には涙が伝っていた。その小柄な体を、俺も抱き締めて迎え入れた。
「ずいぶんと待たせてしまいました。王女殿下。しかし、いまは急ぎませんと」
こんな場所でぐずぐずしているわけにはいなかった。隊商が打ち上げた花火は、もちろん放火の意図などないのだから、適切に対処されればすぐに混乱も収まる。この場所はいまも至って危険なのだ。
「再会の祝杯は、用意してくださいね」
なおも泣いてはいたものの、顔を上げた王女が俺に迫る。この顔を、俺は一生忘れることはないだろう。ぐしゃぐしゃに崩れた、それでいて喜びに満ちたそれは、いかに王女がこの時を待ちわびていたのかを示していた。
「仰せのままに、殿下」
そう応えると、クレアに目で合図を送る。彼女もまた声を出さずに頷く。その瞳にも安堵の色が浮かんでいたが、決して気を抜かず周囲の警戒を怠ってはいなかった。その表情は感情を押し殺しているようにも見える。
王女と合流したいま、長居は無用だ。俺の意を汲んだ彼女が先に梯子を降りていく。今度は下りる先の安全を確保しなければならない。王女は俺が抱えて降りる。それまでの間、俺は片手に王女を抱え、もう片方の手は梯子を掴む、完全な無防備だ。
もうすぐ。もうすぐ地に足が届く。それを意識し、気が緩みかける。あと少し、あと少しだけ計画通りに進めば……
しかし不吉な無数の足音が響き、それは確かに俺たちに近づいてくる。
「曲者だ! 応援を呼べ!」
この脱出劇は、まだ終わらない。
――次幕、王弟。
王宮に巣食う毒蛇が再び姿を現す。
―――――――――――
【ウィリアムの幕間メモ】
王都で上がる花火は、再会の合図であり祝福。
健気な王女の姿に胸打たれたなら、ぜひ劇の寸評(=レビュー)を。
毎夜20:05、舞台の幕は上がる。
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