第2話 十一月六日


          ◇◇◇◇◇◇


 十一月六日。月曜日。曇りのち晴れ。朝。

 家を出る。

 歩きながら片手で持っていたヘッドホンを頭に装着する。

 肩に掛けたスクールバックに、プラグを繋いだスマホを仕舞った。

 憂鬱。

 歩くことも考えることも、呼吸することすらしたくない。

 装着したヘッドホンから西洋の音楽が流れる。音量を車の音を把握できるぐらいのささいなBGMに調節する。

 鳥の鳴き声、枯葉を引きずる風の音、歩けば歩くほど増えていく足音の数。目的地に近づいていくほどに増えていくそれらに呑まれないように、歩く歩幅、スピード、目線を変えずに次は音量を上げた。

 ちょっかいを掛け合う二人組の男子達、横一列の女子集団、自転車を押して歩いている女子達、汗だくになりながら走っている男子。

 そんな人たちを横目に学校に登校した。


 午前授業は終わり昼休み。

 移動する人達が弁当を持って一斉に動き出す。

 ごたごたとした一時の喧騒に巻き込まれないように席で待機する。

 教室は数分もしないうちに男子の数人と女子のグループ数組しかいなくなった。

 落ち着いたところでひとけのない屋上へ移動する。

 屋上の開けた空間に一人。 

 ご飯は家にあった菓子パンを二つ、スクールバックからヘッドホンを取り出し、屋上扉に背中をつけて目を閉じる。昼休みの時間はラジオに切り替える。

 今どきの流行っていそうな音楽が流れている。

 秋風にしては静かな風に揺られて、目を閉じて音に集中することで思考を停止させる。


『お昼にこんにちはっ! 十二月生まれの坂本唯と申します! みなさん、お元気ですか?』


 ――っ⁉

 突然の声にびっくりしてヘッドホンを耳元から遠ざける。

『……て、…よですね』

 かなりの衝撃を受けて自分の耳を疑って、思考した。

「げんき、か……」

 空を見つめて、ボリュームは下げずにヘッドホンを首元にかける。

『朝のニュースで……言ってた……、曇り……ですよね!』

 時おり訪れるノイズによって会話内容がまったくわからなかった。

 聞こえた言葉的に今日の天気の話で、曇りだっていう事なのだろうと推察する。

 ガシャガシャ、と屋上扉のドアノブの音と共に体に振動が伝わる。

 たまに一、二週間に一度ぐらいの頻度で、屋上が開いてないか挑戦にくる人達だ。

 ゴンッゴンッ、と諦めの悪いタイプが来た。

 ゴン! ゴンゴンッ! ゴンゴンッ!

 こういう時は扉前を離れてあぐらをかく。

 空は分厚い雲が太陽光を遮ってどんよりしていた。

 諦めの悪いタイプはチャイムの鳴る五分前まで粘っていた。

 確か先週来ていた人もそうだった気がする。なにか大事な用でもあるのか、諦めの悪さには関心してしまいそうだ。


 担任が教卓でホームルームしているのを一応視界端にいれて終わりを待つ。

 両手を軽く合わせた動きに、席を引く音が終わりを知らせる。

 机にかけたバックを取り、左耳につけた無線のイヤホンをヘッドホンに変え、後ろの扉から退出した。

 午後四時半、帰りも朝と何ら変わらない西洋の音楽を聞いて、朝と何ら変わらない憂鬱に駆られながら家の前に着く。

 僕は玄関を前になんとなく一礼をして、そのまま来た道の反対側に向かって歩いた。

 先には町と町を結ぶ大きな橋があって、真ん中まで歩き、フェンスに手をついて景色を眺めた。季節はとうに秋を迎えているのに、夏のような強い日差しの晴天だった。今日の天気予報は曇りだと、昼のラジオで言っていた覚えがあったけど、間違っていたみたいだ。

 照り付ける太陽に手を伸ばすと顔に影ができ、ずっと憂鬱だったこの日々が晴天で終わると悟った。気持ちが高揚して、つけていたヘッドホンをスクールバックにしまって足元に置き、フェンスを掴み乗り越える。

 神様なんて信じてはないけど、最後に曇り空じゃなくて、晴天の下で終わるチャンスをもらえた気がした。

 後ろでフェンスを掴んでいる手を離し、ギリギリの位置まで足を前進させる。

 川の流れは速く音も大きく感じる。まだ実行していないはずなのに、川はどんどん近づいているように感じる。妙な既視感を感じた。

 両手を広げて瞼を閉じ、重心を前にかける。

 前からくる風が徐々に強くなって、体の上半身が橋から離れていくのをスローモーションに実感する。

 脳裏に隣の席の枝元の顔、校長室にいた面々の顔、枝元の友達と両親の顔、病院の先生の顔、そして、両親の顔がよぎった。これが走馬灯というものなのかと、あっけらかんと口を開けて笑っていた自分に気づいた。     

 足が橋から完全に離れ、風が頭から下半身にかけて強く押してくるのを感じる。その一方で自分がまるで固い石になっていくように、足先から重い重力も感じた。体感で一分近く、水の音が徐々に爆音になっていく。微かに匂いみたいなものを感じ、死というものを間近に――。


 刹那、僕はまだ橋の上に立っていた。

 水の衝撃はなく、間近に感じた風や匂いは消え、瞼の裏で覚えのある熱を感じた。顔を触り、体を触り、ゆっくりと瞼を開くと、数秒前のフェンスの内側だった。

 変だった。

 気持ちが先行して錯覚したんじゃないかって考えた。

 それか……まさか、ビビってる?

 そんなことあるはずがないのに。

 もう一回フェンスを乗り越えて、目を閉じて飛び込んだ。

 なんの迷いもなかった。

 結果、同じことが起きた。


 ――僕はまた、フェンスを乗り越える前に戻っていた。


 次は目を開けたまま飛び降りた。水面に体が衝突するコンマ一秒、反射的に目をつぶってしまった。何度飛び降りても橋上に戻っての繰り返しになって、一度冷静になろうとフェンスから手を離して考える。


[諦めましたか?]


 そのとき、突如少年の声が聞こえた。

 小学校高学年、中学生ぐらいのあどけなさが残る少年の声だ。

 僕は声が聞こえたことに対して、かなりの衝撃と不信感を抱いた。

[反応なしですか?]

 声が聞こえてはいるけど、どこから声を掛けられているのか全く分からない。

 不思議な感覚。方向は分からないけど近くに聞こえる。

「あっ、あー、あー」

 耳で聞こえた、右側からだ。

 今までに感じてなかった距離感を声で認識できた。

 バス一台分くらいの距離に少年はいた。

 首元に手を当てながら傾げて、声が出しにくいのか「あー、あー」と発声を調節しながら歩み寄ってくる。

 見た目は少年で、全身白いスーツをピタッと着こなしていた。

 美形と言うのだろうか整った顔立ちで、金髪の髪が似合った少年だった。

「あー、あー。まぁ……こんな感じか……」

 少年は発声の調節が終わったのか視線をこちらに向ける。

 距離にして一メートルにも満たない場所から僕を見つめた。


「初めまして、名前はテンと言います。呼び捨てで大丈夫ですよ。あなたは今月、もう自殺できません」


 少年は流れるようにすらすら言った。

 話すことが決まっていて、ただそれをなぞるように。

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