エピローグ 光のつづき

 このところ、店内での摩耶の笑顔が増えた。

 以前は少し控えめだった彼女が、今では常連のお客様に積極的に声をかけている。

「この石ね、今日はとても穏やかな音がしてるの。だから、きっといいことがありますよ。」

 柔らかな声に、お客さんがふわりと笑う。

 その笑顔を見て、柚希もつられて微笑んだ。

 フォルトゥナの午後は、今日もゆっくりと流れていく。

 ショーケースの中の石たちは光を受けてきらめき、ガラス越しに差し込む日差しが虹色の粒を散らしていた。

 お客さんたちが去ったあとも、その温度がまだ残っているように感じられた。


 閉店の時刻。

 柚希は入口の看板を裏返し、「CLOSE」に変える。

 カラン、と鈴の音が静けさの中に響いた。

 照明を少し落とすと、店内の石たちが淡く揺らめく。


「最近、すごく楽しそうだね。」

 柚希が声をかけると、摩耶は少し首をかしげ、それからうれしそうに笑った。

「うん。……なんかね、やっと幸せってこういうことなんだってわかったの。」

「文化祭のとき?」

「そう。あのとき、悠真くんの笑顔とありがとうっていう言葉がとてもうれしくて、胸の奥があったかくなったの。……それで、あぁ、これが幸せってことなんだな、って思ったんだ。」

 摩耶は指先で、カウンターの上の水晶をそっと撫でた。

 透明な石の奥に、小さな光が息をするように瞬く。

「それからね、不思議なの。石だけじゃなくて、歌声や風の音にも――

 少しだけ魔法を響かせることができるようになったんだ。」

「……摩耶の魔法、強くなったんだね。」

 柚希の瞳が驚きと喜びで丸くなる。

「うん、きっと私がやっと幸せを信じられたからだと思う。」

 摩耶は照れくさそうに笑った。

 そのとき、風鈴のような音がして、店の奥の石たちが一斉にきらめいた。

 まるで彼女の言葉に応えるように。


* * *


 紅茶の香りが漂う夜。

 二人は作業机に並んで、いつものようにアクセサリー作りを始めた。

 小さなランプがひとつ、琢磨と知也が初めてデザインした手作りの照明だ。

 二人の女性が向かい合い、ランプの光に祈りをささげている姿のステンドグラスから、やわらかな光が広がって石たちの影をそっと揺らしている。


 窓の外では、街灯が灯りはじめていた。

 アーケードの向こうから、人々の笑い声が聞こえる。

 風に運ばれてくる音は、今日も少しだけ楽しそうだ。

「……フォルトゥナには、魔法が息づいてるね。」

 柚希がぽつりとつぶやく。

「うん。」

 摩耶が微笑んでうなずく。

「でもね、魔法ってきっと――誰かの優しさやぬくもりそのものなんだと思う。」

 その言葉に、柚希は静かに頷いた。

 フォルトゥナという店は、最初からそういう場所だったのかもしれない。

 傷ついた心が少しずつ癒えて、誰かの笑顔を通してまた新しい光が生まれる。

 そうして、この小さな店の中に、目には見えない魔法が積もっていく。

 二人はしばらく黙って手を動かした。

 ペンチの音が、金属の小さな鈴のように響く。

 机の上では、石が静かに光を宿していく。

 ひとつの作品が完成するたび、摩耶の横顔に灯りが反射して、柔らかな輝きを描いた。

「ねえ、柚希。」

「うん?」

「幸せって、誰かと分け合うと増えるんだね。」

「うん。……そうだね。」

 柚希は微笑みながら、紅茶のカップを手に取った。

 窓の縁に反射するランプの光が、まるで星のように瞬く。

 夜が深まるにつれて、外の喧騒は遠ざかっていく。


* * *


 片付けを終え、摩耶がそっと照明のスイッチを落とした。

 ランプの明かりだけが残り、部屋の中に柔らかな影が広がる。


「おやすみ、摩耶。」

「おやすみ、柚希。」


 それは、二人にとって何よりも大切な日課の言葉。

 毎晩の小さな“魔法の合図”。

 今日も確かに、幸せの証だった。

 柚希は階段を上がり、部屋の扉を閉める。

 布団の中に潜り込むと、下の階から微かに聞こえる音があった。

 摩耶が作業机に向かう気配。

 ペンチの音、糸を通す音、そして時折、何かをつぶやく摩耶の声。


 その音を聞きながら、柚希はまどろみに落ちていく。

 明日の朝も、きっと同じように笑い合える。

 そんな確信が、心の中に小さな灯をともした。


 摩耶は部屋の窓を開けた。夜風にカーテンがふわりと揺れる。

 夜空に伸ばした摩耶の指先に、ほんのりと灯りがともった。

「幸せは、触れた手のぬくもりに」

 摩耶の小さな声と共に、指先の灯りが、夜に溶けていった。

 それは祈りのようで、約束のようで――

 静かに、確かに、誰かの元へ飛んでいく。


 やがて夜が更け、世界が眠りにつく。

 フォルトゥナの窓辺では、まだ小さな光が瞬いている。

 今日も誰かの幸せを見届けるように。

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幸福のともしびと 宮沢春日(はるか) @haruka_miyazawa

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