ぬくもりのかたち
午後四時、フォルトゥナの店内には、女子高生たちの笑い声がさざ波のように広がっていた。
ステンドグラス越しに落ちる光が、頬の赤みや制服のリボンをやわらかく染めている。
どうやら桃瀬未桜が、クラスメイトたちにこの店を紹介してくれたらしい。
放課後になると、数人のグループが連れ立ってやってきては、ショーケースの前で賑やかに声を上げるのが日常になっていた。
「未桜ー、これとこれ、どっちがいいと思う?」
「んー、こっち! 青い方が似合うよ!」
軽やかな声が、風鈴のように店内に響く。
柚希は、そんな会話を聞きながら、そっとレジ奥の摩耶に囁いた。
「魔法使う回数が増えてるけど……大丈夫?」
「うん、平気。あの子たちの気持ち、まっすぐで心地いいの。
ああいう“光”に触れると、少し元気になるんだ。」
摩耶の声は静かだが、その瞳はどこか柔らかな光を宿していた。
ショーケースの前で、ひとりの少女がブレスレットを手に取る。
「ねえ、なんか温かい感じしない? これ。」
「うん。他の店の石と違う。光ってるっていうか……包まれてる感じ。」
そんな声が聞こえてくると、柚希も自然と笑みをこぼした。
やがて、少女たちがドアベルを鳴らして去っていく。
カラン、と軽やかな音が響き、店の空気が静まり返る。
「よかった……ずっと見てるから、ちょっと怖かったけど。」
「うん、ハラハラしたけど、嬉しそうだったね。」
摩耶は小さく息をつき、胸に手を当てる。
ほんの少しだけ、肩の力が抜けていた。
――扉が再び開いた。
入ってきたのは、スーツ姿の若い男性だった。
「わあ……こんなお店があったのか。」
男性は、店内をゆっくりと見渡す。
仕事帰りなのか、ネイビーのネクタイが少し緩んでいる。
「いらっしゃいませ。」
柚希が声をかけると、彼は少し照れたように頭をかいた。
「すみません、ちょっと外から見てて……。内装がすごく綺麗だったので、つい。」
「よく言われます。世界観強めなお店なんです。」
「その“世界観”がいいんです。」
琢磨は店内の光を見回す。
「木の温度、石の反射、光の粒の配置……。
まるで、呼吸する照明みたいだ。教科書に載せたいくらいですよ。」
柚希が目を丸くして笑う。
「そんなふうに言われるの、初めてです。もしかして、照明関係のお仕事ですか?」
「ええ。ルミネシアという会社で照明デザインをしています。
部長が“面白い店を見つけた”って言ってて、つい気になって。」
琢磨の目が、どこか懐かしそうに細められた。
「この町に来るのは、あの火事以来なんですよ。もう、十年ぶりくらいかな。」
その言葉に、柚希は無意識に息をのむ。
「……火事、ですか?」
「ええ。昔、隣の家が火事になってね。うちも少し焼けたんです。
でも、不思議なことがあった。――炎の中に、人が入っていったんです。」
琢磨の声は穏やかだが、その奥には微かな震えがあった。
「紺色のマントを羽織った、背の高い男でした。
まるで、風がその人を守っているみたいで……炎が割れて道ができたんです。
その人は子供を抱えて出てきて、救急隊に預けたあと、ふっと消えた。
まるで、夢みたいだった。」
その話を聞いていた摩耶の指先が、わずかに震えた。
柚希は、琢磨に気づかれないよう、静かに彼女の方へ目をやる。
摩耶の顔は青ざめていた。
琢磨は気まずそうに咳払いをし、慌てて話題を変えた。
「こっちのネクタイピンをください。」
「あ、はい。ガーネットのデザインですね。」
柚希は笑顔を保ちながら会計を始める。
「摩耶、少し休んでて。」
摩耶は小さく頷き、奥へと姿を消した。
「すみません。具合が悪かったみたいなので。」
「いえ、僕の方こそ……不用意な話をしてしまいました。」
琢磨は深く頭を下げ、包みを受け取ると静かに店を出ていった。
扉のベルが鳴る。
琢磨の背中が裏路地に消えていくのを、柚希はしばらく見つめていた。
* * *
アーケードの光が、夕暮れに溶け始めていた。
琢磨は歩きながら、ふと立ち止まる。
街灯が薄暗い空の下でちらちらと点滅している。
その瞬きが、十年前の炎を呼び覚ました。
――あの夜。
ストーブの消し忘れから始まった小さな火は、
あっという間に風に煽られて、空を焼くほどの炎となった。
野次馬のざわめき、焦げた匂い、赤く染まる夜。
「子どもが中にいる!」
悲鳴が上がったが、誰も近づけなかった。
炎の熱気が肌を刺し、空気が割れるように震えていた。
その中で、紺色のマントの男が現れた。
歩くたびに、風がその足元で渦を巻く。
両手を広げると、炎が左右に割れ、そこにひとすじの“道”が生まれた。
男はその道を進み、少年を抱えて現れた。
光と熱の境界線を超えて。
男の顔は見えなかった。ただ、その背中が――
“光の中に沈む影”のように、琢磨の記憶に刻まれた。
* * *
柚希は看板を「CLOSE」に返し、扉に鍵をかけた。
奥の作業室の机に伏している摩耶の肩に、そっと声をかける。
「……摩耶。」
「ごめんね、柚希。」
摩耶はゆっくり顔を上げ、かすかに笑った。
「さっきの人……魔法をかけずに渡しちゃった。」
「急だったから、仕方ないよ。」
柚希は摩耶の隣に腰を下ろし、静かに肩を抱いた。
「しばらく、お店休もうか?」
「ううん、大丈夫。……やるよ。」
摩耶は首を横に振り、遠くを見るように呟いた。
「“先生”が言ってた。
人は大きな光を恐れることがある。
でも、それでも灯す手を止めちゃいけないって。」
「摩耶……」
「だから、私は灯し続ける。誰かの中に、ちゃんと光が届くまで。」
柚希は何も言わず、摩耶の頭を撫でた。
その手のひらから伝わる体温は、確かに“生きている光”だった。
――十年前のあの火事。
この街の人々の間で、「得体の知れない力を使って子どもを救った不審な男」の噂は、いまだに語り継がれている。
「禁忌の力」「人ならざるもの」。恐怖の象徴として。
摩耶はそれ以来、誰かに魔法を知られるのを極度におびえるようになった。
もしも魔法を使えるとわかったら、自分も”先生”のように恐れられるのではないかという恐怖が、摩耶の心に深く刻み込まれていた。
けれど、柚希は知っている。
摩耶が使う魔法は、誰かを傷つけるためのものではない。
そっと温もりを渡し、心に光を灯す――ただ、それだけの優しい力だ。
人々の言葉と、彼女の真実。
その間にある深い溝は、簡単には埋まらない。
だからこそ、摩耶には信じる人が必要だ。
その光を恐れず、そばに立ち続ける人が。
その時、柚希は決意した。
――摩耶は、私が守る。
店のランプが、静かに明滅する。
フォルトゥナの夜が、更けていく。
外では、雨が降り始めていた。
屋根瓦を叩く細かな音が、
まるで遠い記憶のざわめきのように、店の奥まで染み込んでいった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます