家路の灯

 土曜の午後、曇り空。

 アーケードのガラス屋根を、どんよりとした光が淡く覆っている。

 人の波を避けるように、桃瀬浩紀ももせひろきはゆっくりと歩いていた。


 スマホの画面には、「未桜」の文字。

 メッセージ欄に「最近どうだ?」と打ちかけては、結局消して閉じる。

 その繰り返しに、自分でも苦笑が漏れた。


「まったく、どう話しかけりゃいいんだか……」

 声に出して呟く。

 仕事では部下に厳しく指示できるのに、

 娘相手となると、言葉がどこかぎこちない。


 高校二年の娘は、この頃少しずつ家での会話が減ってきた。

 反抗期というほどではないが、

 いつもスマホを見ながら、何かを考えているような顔をしている。

 その表情の奥に、何があるのか。

 父親として覗き込むのも怖くて、浩紀はただ距離を取ってきた。


 ふと、アーケードの角で足が止まる。

 見慣れない立て看板が、曇り空の下で淡く輝いていた。

『パワーストーンとアクセサリーの店 フォルトゥナはこちら』


「……フォルトゥナ?」

 どこかで聞いた名だと思った瞬間、記憶が繋がった。

 未桜が「かわいいお店を見つけたんだよ」と言っていたのが、確かこの店だ。

 娘の話題の“とっかかり”になれば――。

 そう思うと同時に、心の奥が少しざわめいた。

 ため息まじりに、浩紀は扉を押した。


 カラン……

 ベルの音が、やさしく空気を震わせる。

 外のざわめきが遠のき、

 そこだけ時間が少し遅く流れているようだった。


 アンティーク調のランプが、淡く金色の光を放つ。

 ガラスケースの中で並ぶ石たちは、

 まるで呼吸をしているようにわずかに光を揺らしていた。

「いらっしゃいませ。」

 カウンターの奥から、桜庭柚希が柔らかく微笑んで現れる。

 その笑顔に、浩紀は一瞬たじろぎ、背筋を正した。

「あ、あの……アクセサリーを見せてもらいたいんですが。」

「もちろんです。贈り物ですか?」

「ええ、娘の誕生日に。高校生なんです。」

「まあ、それは素敵ですね。」

 柚希の声は、曇り空の下に差し込む光のように柔らかい。

 その後ろから、静かに白羽摩耶が顔を出す。

 黒髪の少女のような横顔。

 彼女が動くと、店内の空気が少し澄んでいくのを浩紀は感じた。


「高校生の女の子なら、こちらが人気ですね。」

 柚希が、淡いピンクのローズクォーツと、

 乳白色のムーンストーンを並べてみせる。

「ローズクォーツは“優しさ”。

 ムーンストーンは、“心を照らす光”。

 どちらも、女の子にとって大切な石です。」

「ほう……なるほど。」

 浩紀は思わず身を乗り出した。

 そして、ふと自分でもおかしくなって笑った。

「すみません。つい、仕事のくせで。

 私、照明デザインの会社でしてね。

 光の“色味”に敏感なんです。

 若い連中は、波長だの反射率だの、理屈ばかりで……」

 柚希が楽しそうに笑う。

「理屈っぽいのは、いいデザイナーの証拠ですよ。

 光を“感じて”考える人なんて、なかなかいません。」

「そうですかね。」

 浩紀は少し照れくさそうに笑い、

 ムーンストーンのブローチを手に取った。

 乳白の中に淡い青が浮かぶ。

 まるで、雲の隙間から月が覗く瞬間のようだった。


 そのブローチを、摩耶がそっと両手で受け取る。

 指先が石に触れた瞬間、

 店内の空気が、かすかに震えた。


 柚希はその変化を感じ取って、動きを止める。

 ――魔法が、始まる。


 摩耶は目を閉じ、静かに息を整えた。

 白い指が、光を撫でるように石を包む。

 口の端が、祈りを紡ぐ。


「……あたたかさは、光の中に。

 灯りは、帰る場所を照らす。」


 ふわり――。

 ムーンストーンの奥に、淡い光が生まれた。

 乳白の輝きがゆらりと揺れ、

 まるで人の息づかいのようにやさしく震える。


「……これは?」

 浩紀は思わず声を漏らした。

 “照明の調光テスト”だと思いかけて、

 けれど、その光にはどんな人工の明かりにもない“ぬくもり”があった。


 柚希は静かに包み紙を取り、リボンを結ぶ。

 その一連の動作の中で、言葉は何もなかった。

 だが、空気の奥に確かな“祈り”が残っていた。


 浩紀は包装を受け取りながら、

 少し照れたように笑った。

「こういうお店、初めてでして。

 ……喜んでもらえたらいいんですけど。」

「ええ。きっと嬉しいと思います。」

 柚希が言うと、浩紀の目尻がやわらかくほころんだ。

「……なんだか、照れくさいですね。」

 出口までの数歩が、思いのほか軽かった。

 扉を出た瞬間、アーケードの外の光が、

 ほんの少しだけ柔らかくなったように感じた。


 店の中に、再び静寂が戻る。

 柚希は摩耶の方を見て、微笑んだ。


「今日の光、すごくきれいだったね。」

「……あの人、光の仕事をしてるんでしょ。」

「うん。話してたね。」

「“色”の話をしてたとき、石が少し笑ってた。」

「笑ってた?」

「うん。“この人は、光の意味を知ってる”って。」

 摩耶の言葉に、柚希は小さく息をついた。


 窓の外では、雨が降り始めていた。

 しとしとと、ガラスを打つ音。

 フォルトゥナのランプがその水の音を吸い込み、

 まるで外と内の境目が曖昧になるように、光を揺らした。


 柚希はその光を見ながら、心の中でそっと思う。

 ――娘のために選んだ“光”は、

 いつか父と娘の言葉をつなぐ灯りになるのかもしれない。


 雨の匂いが、静かに店に満ちていった。

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