第42話「元婚約者との再会」

城門の前に立つ女性を見た瞬間、レオンの心臓が跳ねた。金色の髪が朝日に輝き、青い瞳がこちらを見つめている。一年前と変わらない、美しい顔立ち。だが、その表情には、以前にはなかった翳りがあった。エリーゼ・ヴァレンタイン。レオンの元婚約者が、王国軍の使者として、そこに立っていた。


「レオン、罠かもしれないぞ」


カイルが、レオンの腕を掴んだ。その声には、警戒が滲んでいる。


「わかっている。だが、会わないわけにはいかない」


レオンは、城壁を降りる決断をした。カイルの手を振り払い、階段を降りていく。ルリアが、心配そうな顔でレオンを見送った。彼女の表情には、不安と、わずかな嫉妬が混じっている。


「レオン、気をつけて」


ルリアの声が、背中に届いた。レオンは、振り返らずに手を振った。城門が、ゆっくりと開いていく。


レオンが城門を出ると、エリーゼが数歩前に出た。二人の間には、十メートルほどの距離がある。周囲を、王国軍の兵士と防衛隊の兵士が取り囲んでいるが、誰も声を発しない。静寂が、二人を包んでいた。


「久しぶりね、レオン」


エリーゼが、最初に口を開いた。その声は、以前と変わらず優雅だった。だが、どこか疲れているように聞こえる。


「ああ、久しぶりだ、エリーゼ」


レオンは、冷静に答えた。だが、その心の奥底では、様々な感情が渦巻いている。懐かしさ、怒り、失望、そして哀れみ。


「あなたは、変わったわね」


エリーゼは、レオンを見つめた。


「以前より、強くなった。目の色が、違う」

「君も、変わった」


レオンは、正直に言った。


「以前より、疲れているように見える」


エリーゼは、わずかに笑った。だが、その笑みは悲しげだった。


「そうね。この一年、色々あったから」

「何のために、ここに来た」


レオンは、本題に入った。感傷に浸っている時間はない。


「王国の使者としてか?それとも、個人的な用件か?」

「両方よ」


エリーゼは、深く息を吸った。


「まず、王国からの伝言を伝えなければならない」


彼女は、懐から一通の書状を取り出した。だが、それをレオンに渡すことはせず、ただ手に持っている。


「王国は、最後の機会を与える。レオン・アーデルハイト、あなたが自首すれば、この町と住民の安全を保証する」

「自首、か」


レオンは、冷たく笑った。


「つまり、俺を殺すということだな」

「いいえ、殺しはしない。ただ、投獄するだけ」

「同じことだ」


レオンは、首を振った。


「そして、俺が自首を拒否すれば?」

「次の攻撃で、この町を焼き払う」


エリーゼの声が、わずかに震えた。


「容赦なく」


レオンは、しばらく黙っていた。やがて、はっきりと答えた。


「断る」

「レオン......」

「この町は、もう俺だけのものじゃない。みんなのものだ」


レオンは、城壁を見上げた。そこには、仲間たちが立っている。


「俺が自首しても、王国は約束を守らない。俺が死んだ後、この町を攻撃するだろう」

「そんなことは......」

「君も、そう思っているんじゃないか?」


レオンは、エリーゼをまっすぐに見た。エリーゼは、何も答えられなかった。その沈黙が、答えだった。


「私も、そう思う」


エリーゼは、ようやく口を開いた。


「だから、あなたに逃げてほしい」

「逃げる?」

「この町を捨てて、どこか遠くへ。東の大陸でも、南の連邦でも。王国の手が届かない場所へ」


エリーゼの声が、切実になった。


「私も......一緒に行く」


レオンは、驚いて目を見開いた。


「君は、何を言っているんだ」

「私、あなたのことを忘れられなかった」


エリーゼの目に、涙が浮かんだ。だが、彼女はそれを堪えている。


「追放の日、あなたを見送った時から、ずっと後悔してた。なぜ、あなたを庇わなかったのかって」

「君には、選択肢がなかった」


レオンは、静かに言った。


「君を責めるつもりはない。君も、被害者だった」

「でも、私は何もしなかった」


エリーゼの声が、震えた。


「あなたが追放される時、私は黙って見ていた。父に引きずられて、城を去った」


エリーゼは、涙を拭った。


「あなたを庇えば、私の家も取り潰される。父も、母も、弟も。みんな、路頭に迷う。だから、私は何も言えなかった」

「わかっている」


レオンは、エリーゼに近づいた。


「君は、家族を守ろうとした。それは、間違いじゃない」

「でも、あなたを失った」


エリーゼは、レオンを見上げた。


「貴族社会での生活が、どれだけ息苦しかったか。毎日、笑顔を作って、言いたいことも言えず、ただ家のために生きる」

「ここに来て、あなたの作った国を見て、羨ましいと思った」


エリーゼは、城壁を見た。


「自由に生きている人々。身分に縛られない社会。笑顔が、作り物じゃない」

「君も、そうなれる」


レオンは、エリーゼの肩に手を置いた。


「君も、選べるはずだ。自分の人生を」

「私には、あなたほどの勇気がない」


エリーゼは、首を振った。


「家族を捨てることができない。父の期待を裏切ることができない」

「それは、勇気じゃない」


レオンは、静かに言った。


「それは、恐れだ。新しい人生を始める恐れ」

「そうかもしれない」


エリーゼは、小さく笑った。


「でも、私はそれを乗り越えられない」


彼女は、レオンから一歩離れた。


「だから、私は王国の貴族。ヴァレンタイン家の娘として生きる」

「そして、俺と戦うのか」

「ええ」


エリーゼは、覚悟を決めた表情で頷いた。


「明日、私が指揮を執る。私は、炎の魔法使い。あの城壁を、内部から焼く」

「炎、か」


レオンは、城壁を見た。確かに、再構築の力では炎は消せない。石を直すことはできても、燃えている炎を止めることはできない。


「あなたの再構築では、私の炎は止められない」


エリーゼの声は、自信に満ちていた。


「私の炎は、特別よ。王国でも、五本の指に入る威力」

「なら、俺たちは戦うしかない」


レオンは、剣の柄に手を当てた。


「たとえ、君が相手でも」

「私も、本気で戦う」


エリーゼは、杖を取り出した。それは、美しい装飾が施された、高級な魔導杖だった。


「これが、私の選んだ道だから」


二人は、しばらく見つめ合った。かつて、婚約者だった二人。幸せな未来を夢見ていた二人。だが、今は敵同士だ。明日、戦場で剣と魔法を交える。


「レオン」


エリーゼが、背を向けながら言った。


「もし、私が負けたら......その時は、自由にしてくれる?」

「自由に?」

「ええ。この息苦しい貴族社会から、解放してほしい」


エリーゼは、振り返った。その目には、わずかな希望が宿っている。


「私が負けたら、それは私が貴族社会に負けたということ。その時は、あなたの国で、自由に生きてみたい」


レオンは、エリーゼの本心を理解した。彼女は、本当は自由になりたい。だが、自分からは踏み出せない。だから、戦いという形で、決着をつけようとしている。


「ああ。約束する」


レオンは、真剣な表情で答えた。


「君が負けたら、この国で自由に生きるといい」

「ありがとう」


エリーゼは、微笑んだ。それは、この一年で初めての、本当の笑顔だった。


「では、明日」


エリーゼは、王国軍の陣営へ向かって歩き出した。その背中は、まっすぐだが、どこか寂しげだった。レオンは、その姿が見えなくなるまで見送った。


レオンが城壁に戻ると、ルリアが待っていた。彼女の表情は、複雑だった。不安と、嫉妬と、理解が入り混じっている。


「あの方は......」


ルリアが、小さな声で聞いた。


「昔の、婚約者だった人だ」


レオンは、正直に答えた。隠すことはない。


「エリーゼ・ヴァレンタイン。俺が追放される前、婚約していた」

「そう、ですか」


ルリアの声は、平静を装っているが、わずかに震えている。


「彼女は、明日、敵の指揮官として戦う」


レオンは、ルリアの肩を抱いた。


「だが、俺の心に、彼女への未練はない」

「本当ですか?」


ルリアは、レオンを見上げた。


「本当だ」


レオンは、ルリアの目をまっすぐに見た。


「彼女は、過去の人だ。俺の未来には、君がいる」


ルリアの目に、涙が浮かんだ。だが、それは悲しみの涙ではなく、嬉しさの涙だった。


「レオン......」

「明日は、厳しい戦いになる」


レオンは、北の方角を見た。


「炎の魔法使いか。厄介だな」

「大丈夫です」


ルリアは、杖を握りしめた。


「私も、炎の魔法使いです。彼女の炎を、私の炎で相殺します」

「ルリア......」

「私は、あなたの味方です」


ルリアは、決意に満ちた表情で言った。


「誰が相手でも、あなたを守ります」


レオンは、ルリアを抱きしめた。彼女の体は、小さく温かい。この温もりが、自分を支えている。


「ありがとう、ルリア」


その夜、王国軍の陣営では、エリーゼがグレイソン将軍と会談していた。将軍の天幕の中で、二人は向かい合って座っている。


「どうだった」


グレイソンが聞いた。


「彼は、降伏しません」


エリーゼは、冷静に答えた。


「予想通りですか」

「ああ。だが、無駄ではなかった」


グレイソンは、地図を広げた。


「お前は、彼の表情を見た。動揺していたか?」

「......少し」


エリーゼは、正直に答えた。


「でも、彼の決意は揺らぎませんでした」

「そうか」


グレイソンは、地図に印をつけた。

「では、明日、お前の出番だ。城壁を内部から焼き払え」

「わかっています」


エリーゼは、立ち上がった。


「必ず、成功させます」



天幕を出たエリーゼは、夜空を見上げた。星が、無数に輝いている。あの星の下で、レオンも同じ空を見ているのだろうか。


「レオン、あなたは強いわね」


エリーゼは、呟いた。


「私には、あなたのような勇気がない。だから、戦いで決着をつける」


彼女は、自分の杖を握りしめた。


「もし、私が負けたら、それは運命。その時は、あなたの国で、本当の自由を見つける」


エリーゼの目に、決意の光が宿った。明日の戦いが、彼女の人生を変える。勝っても、負けても。


リコンストラクト自由国では、兵士たちが最終準備をしていた。明日は、炎との戦いだ。城壁だけでは守れない。魔法で、魔法を相殺しなければならない。


セリアは、防護壁の魔法陣を調整していた。炎に対する耐性を高めるために、氷の魔力を組み込む。複雑な作業だが、彼女の手は正確だ。


「炎の魔法使い、か」


セリアは、呟いた。


「ルリアさんだけで、対応できるだろうか」


彼女は、追加の魔法使いを城壁に配置することを決めた。総力戦になる。


ルークは、工房で武器の最終点検をしていた。炎に強い盾を追加で作る。鉄に特殊な処理を施して、熱に耐えられるようにする。


「明日は、燃える戦いになりそうだな」


ルークは、豪快に笑った。


「だが、負けねえ。俺たちの町を、燃やさせるか」


カイルは、連合軍の部隊と最終打ち合わせをしていた。明日、エリーゼの炎が城壁を攻撃する時が、挟み撃ちのチャンスだ。王国軍が城壁に集中している隙に、側面から攻める。


「タイミングが、すべてだ」


カイルは、部隊長たちに言った。


「早すぎても、遅すぎてもダメだ。俺の合図で、一斉に突撃する」

「了解しました」


部隊長たちが、敬礼した。


深夜、レオンは執務室で一人、地図を見ていた。明日の戦いをシミュレーションする。エリーゼの炎が、どこから来るか。どう防ぐか。どう反撃するか。


「炎、か」


レオンは、呟いた。


「再構築では、消せない。なら、別の方法を」


彼は、世界の断片のことを考えた。あの力を使えば、炎さえも構造を変えて消すことができるかもしれない。だが、リスクも大きい。前回の使用で、魔力を使いすぎた。次に使えば、命に関わるかもしれない。


「だが、他に方法がないなら」


レオンは、決意を固めた。町を守るためなら、自分の命も惜しくない。


ノックの音がして、ルリアが入ってきた。


「まだ起きていたんですか」

「ああ。明日の作戦を考えていた」

「眠らないと、体が持ちませんよ」


ルリアは、温かいお茶を持ってきた。


「これを飲んで、少し休んでください」

「ありがとう」


レオンは、お茶を受け取った。一口飲むと、体が温まる。


「ルリア、明日、君は危険な役割を担うことになる」

「わかっています」


ルリアは、微笑んだ。


「でも、私にしかできないことです」

「無理はするな」

「あなたこそ」


ルリアは、レオンの手を取った。


「無理をしないでください。あなたが倒れたら、みんなが困ります」

「わかっている」


レオンは、ルリアの手を握り返した。


「でも、俺は町を守る。それが、俺の役割だから」

「では、一緒に守りましょう」


ルリアは、レオンに寄り添った。


「二人なら、どんな炎も乗り越えられます」


二人は、しばらく黙って寄り添っていた。明日、運命の戦いが待っている。炎との戦い。そして、過去との決別。


夜明け前、エリーゼは一人、天幕の外に立っていた。東の空が、わずかに明るくなり始めている。もうすぐ、朝が来る。そして、戦いが始まる。


「レオン、私はあなたと戦う」


エリーゼは、呟いた。


「これが、私の選んだ道。でも、もし私が負けたら」


彼女は、城壁を見た。


「その時は、あなたの隣で、本当の自由を知りたい」


太陽が、地平線から昇り始めた。新しい一日が、始まる。そして、炎と再構築の、壮絶な戦いが始まろうとしていた。


リコンストラクト自由国と王国軍。レオンとエリーゼ。過去と未来。すべてが、今日、決着する。


運命の炎が、燃え上がろうとしていた。

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