悲しい日には、かにぱん
小鳥遊 愚香
第1話 ランチに誘われた
日記を書くことが苦痛だ。変わり映えのない毎日ばかりが積み重なって、辛くなるからだ。
何度も何度も挫折したのに、それでも、今回こそは行けるかもと意気揚々と購入した新品の手帳のカレンダー部分に、予定を書き入れる。
仕事と通院の予定しかない。ほぼシフト表である。挫折どころか複雑骨折と言った具合で、私は打ちのめされていた。
私は人類史を揺るがすレベルの超絶下戸で、家族と月島にもんじゃを食べに行き、青リンゴサワーを2杯飲んでもんじゃ(意訳)をリバースして以来、酒を一滴も飲んでいない。積極的に摂取したのは注射の前に看護師に塗布されるやつと、コロナ禍の過剰なアルコール消毒くらい。
そんな下戸な私に、飲兵衛の女上司はある日こう言った。「酒が飲めない人は、いつも正気でいるの辛いね」
あの日から、果たして私はいつも正気だといい切れるだろうかと自問自答し続けてきた。
そして、シフト同然のスケジュール手帳を前に、今、完全に正気を失った。
悲しい日には、かにぱんを食べることにしている。かにを食べる時、人は無心になれる。私は、かにぱんでそれをやろうとしている。
お気づきの通り、無様なのである。
私には、自分の感情の処理のすべてを後回しにして、没頭か睡眠に逃げる悪癖がある。
無論、無心になどなれず、食べながら「なるほど、それで人はご褒美だのなんだのと理由をつけては楽しい予定を入れるのだな」と思った。
そんな私がランチに誘われた。20以上年上の、同じ職場の先輩である女性に。なぜわざわざ私?と思った。プレッシャーだ。が、思い返せば、コロナ禍以前は、ちょくちょくふたりきりのランチに誘われていたことを思い出す。
ということは、あの時の私とのランチが楽しかったということ?ご本人には聞けず、GoogleのGeminiに聞いた。Geminiは全肯定した。
先輩はわざわざお休みの日に、私の仕事終わりを待ってまでランチの都合をつけてくださった。自分でいうのもなんだが、私とのランチにそこまでの負荷をかけられるとなんかプレッシャーだ。
しかも先輩がお店を調べてくれるらしい。任せきりは失礼だと思い、「私も調べておきます!」と答えた。後に知ることだが、これはあまり良くないらしい。誘った方が場をセッティングするのが定石で、それを無碍にするのは「あなたの選んだ店に不安がある」みたいな意思表示にもなりかねないらしい。
で、大人しく先輩からの提案のLINEを待つこととした。急かしても失礼だ。
せめて、完璧な手土産を持参してこの失敗を取り返そうと足掻いた。
先輩は健康志向な上、蒸籠蒸しにハマっているそうなので、茅乃舎のだしパックと成城石井の無添加ポン酢をラッピングして送ることとする。
これは、単なる手土産ではない。私の『正気』と、『無様ではない大人』であろうとする、すべての知性を賭けた献上なのだ。
約束の日を待つ。
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