第5話
「……ねえ、先生。どうして俺の父上を殺したの?」
tatsuがゆっくりと立ち上がった。
虎皮の男の方へと向き直る。
龍の姿の死体を背にそう訊ねた。
汗と汚れに塗れた浅黒い頬を、涙が静かに伝っている。
――本当だと思わなかったんだ。龍の子供なんて出鱈目な話。
――あれは龍を騙る化物だった。お前の父親ではないんだよ。
これらの言葉を、虎皮の男は口から出すことができなかった。
夜を昼に変える光を放つ存在。戦場の全てを吹き飛ばす力を有する存在。
それが真の龍であれ偽物であれ、荒唐無稽な事実を虎皮の男は目の当たりにした。
それでいて、どうして龍の子供があり得ないなどと言えようか。
tatsuの背後の死体が偽龍だったのか、虎皮の男にはわからない。
しかしそんな事とは関係なく、tatsuの黒髪を撫でる優しさは本物に見えた。
本物の父の優しさに見えてしまった。
わからなかった。虎皮の男にはわからなかった。愚か者だ。
tatsuの頬を伝う涙。
それが龍など居てはならないという信念を、龍を偽る凶獣は討滅するべきだという信条を揺るがしていた。
心と体がぐらついて、虎皮の男は言葉を発するための土台を失っていた。
「先生、どうしてなの? ねえ、どうして!!」
tatsuの声色が悲しみから憎しみを帯びたものへと変わる。
罪を糾弾する叫びへと。
この時、虎皮の男はtatsuに背を向けて逃げ出した。
どうして?
わからなかった。わからなかったんだ。
虎皮の男は愚か者なんだ。
どうして逃げてしまったのか、本当に。
ただ、tatsuからぶつけられた心の奥底からの憎しみに、敵意に怯えてしまったのは確かだ。
虎皮の男は臆病な愚か者なのだ。
U州から都までの帰路のことを、虎皮の男はよく覚えていない。
ただとりとめのない物事をぼんやりと考えていた気がする。
父の死因について。
星武帝の正統性について。
草原の夜空に現れた龍の姿について。
そしてtatsuについてだ。
不自然に曲がった右の上腕はきっと骨折していただろう。
手当をしてやればよかった。
tatsuの頬を伝う涙を、その瞳に宿った憎しみの眼差しを思いだす。
手当をしようとしても、触れさせてはもらえなかったかもしれない。
どうして逃げてしまったのだろうか。どうして今も逃げているのだろうか。
tatsuに向けられたあの敵意から逃げてしまった。
もうきっと、以前のようにtatsuと会うことはないのだろう。
もう二度と、tatsuから向けられた好意のくすぐったさを感じることは無いのだろう。
そんなことを、虎皮の男はとりとめもなく考えていた。
都に帰還した虎皮の男は、星武帝の朝殿へと参じた。
帝は玉座に御座す。
虎皮の男は恭しく頭を垂れる。
帝が問うた。
「竜は居たのか」
どう答えるか、虎皮の男は朝殿に入る前に既に決めていた。
――龍は居りませんでした。U州の者たちが流れる隕石を龍と見紛ったのです。
そう答えようと口を開いた時だった。
『龍ならば、ここにいるぞ!』
外から聞こえた声と共に朝殿がぐらりと揺れた。
建材が曲がり砕ける音がして、一際大きな揺れと共に屋根が剥がれる。
頭上に広がる白昼の空。
その空の下、日光を受けて一つの影が浮遊している。
朝殿内の臣下たちが逃げまどい、帝が玉座から転げ落ちて後ずさる。
そんな中、虎皮の男は浮遊する影と帝の間に割って入った。
それは帝への忠義からではなかった。
浮遊する影。その姿をはっきり見たくて近づいたのだ。
その浮遊する影は人のようであり、龍のようでもある奇妙な姿をしていた。
全体の形は人間だが所々が蒼い鱗で覆われて、大蛇のような尾が生えている。
背には蝙蝠に似た翼を有し、右手の五指には鷹の如く鋭い爪。
頭上には冠のような角を持ち、鬼の如き瞳で虎皮の男を睨みつける。
鬼の瞳が嵌まってしまったその相貌を、虎皮の男は見間違うことが無い。
――tatsu。
虎皮の男は思わずその名を呼んだ。
「軽々しく俺の名を口にするな。僭帝の手下よ。わが父の仇よ」
tatsuの声には虎皮の男への怒りと敵意が浸み込んでいた。
「俺は龍だ。天の意向を地に及ぼす存在。
ここへは天子を僭称する哀れな人間を誅しにきた。
が、僭帝の手下よ。わが父の仇よ。
貴様が立ちふさがるというなら先に屠ってやろう」
虎皮の男はtatsuの眼前から逃げたくて仕方がなかった。
半人半龍と化したtatsuは虎皮の男が相対した敵の中で最も強かった。
まず刃が全く当たらない。
浮遊されていてはそもそも届かず、間合いの内に入ってきても軽い身のこなしで避けられてしまう。
うまく刃が当たっても体表の鱗に弾かれる。
それでいてtatsuの攻撃は一撃喰らっただけでも致命傷となりうる。
右の五指の爪は虎皮の男の剣を布を割くかのように裁断した。
なんとか大振りの一撃は躱せても、小手先の軽い攻撃までは避けれない。
爪先で表皮は引っかかれ血が滲んだ。
大蛇のような尾が鞭のように肉や内臓を痛めつけた。
そしてなによりも、tatsuの鬼のような睨み目が打ち付けてくる、恨み、憎しみ、敵意が、虎皮の男には耐え難かった。
一方で虎皮の男は何故か、嬉しさや楽しさの類をも感じていた。
二度と会うことは無いだろうと思っていたtatsu。
二度と触れ合うことがないだろうと思っていたtatsu。
そんなtatsuが俺を求めて右手を伸ばす。
彼女の爪の先が、肌が、俺と触れ合う。
肌の痛みから、内臓の痛みから彼女の温もりを感じる。
彼女が怒気を顕わに俺を睨みつける。
彼女の瞳には俺だけが映っている!
虎皮の男は愚か者だ。
tatsuの戦いの中で、そのように倒錯した感情を抱いていた。
耐え難い苦痛と法悦の逢瀬もそう長くは続かない。
終わりが来る。
tatsuが隙を見せた。
虎皮の男の頭骨を砕かんと右の五指の爪を大きく振り上げる。
それによって無防備な首元が曝け出された。
首元には鱗が無く、柔らかな肌が残されている。
虎皮の男は腰の辺りの鞘から脇差を抜いた。
そうしてtatsuの首が来るであろう位置に脇差を添える。
tatsuが五指の爪を振り下ろす。
虎皮の男の頭骨が砕けることは無く。
tatsuの首に脇差の刃がストンと収まった。
「――――!」
tatsuが首から刃を抜いて後ろへ下がった。
尋常の人間なら絶命する筈の傷だ。
しかしtatsuは血の流れる傷口を左の手のひらで押さえ、痛みに顔を顰めるだけだった。
「……俺が認めた男の言葉だ。 『勝てないと思った敵からは逃げろ』 俺はこの言葉に従おう」
tatsuが空気の漏れ出るような掠れた声で言った。
「だがな覚えておけ、父の仇よ。 勝てると思ったときには、俺はお前を殺しに行く。 それまで俺は身を潜めよう。 俺は龍の子供だ。 お前らよりも長く長く生きる。
どれだけの年月を経てでも、必ず復讐を果たしてやる。 たとえそれが、幾つの輪廻を巡った後のお前だとしても。 帝を誅するのはそのあとだ」
そのように言い残してtatsuは空の彼方、太陽の光の中へと消えていった。
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「我が国に伝わる龍討伝説の内容はこうだ。 『かの星武帝の御世のこと。 天下を害する凶獣、龍が姿を現した。 龍が五指の爪で帝を害そうとしたその時だ。 虎皮の鎧を纏う勇者が帝の盾となり、龍を討った。 以来、龍の災厄が訪れるときには龍討の勇者の生まれ変わりが現れる。 そして再び龍を討ち、帝国はますます栄える』」
「これは、逆だ。 愚かな男の生まれ変わりが現世に出てしまったから、龍もそれに合わせて目覚めるのだ。 父の仇を討つために」
「伝説では龍が凶獣とされているが、龍よりも凶獣と呼ばれるに相応しい存在がいる。 それは伝説内で勇者などと呼ばれる愚かな男だ。 この男の最初の龍殺しこそがすべての災厄の原因、tatsuに斯様な宿命を負わせることになった原因なのだから」
「そして、俺にとって龍は瑞獣だ。 もちろんtatsuから憎しみや殺意を向けられるのは苦しくて辛い。 けれどそれ以上にtatsuと触れ合えることが嬉しくて仕方がないんだ。 楽しくてたまらないんだ。たとえそれが殺し合いであったとしてもだ」
「俺は確かに今回も龍を討ち、退けた。 けれど、俺は決して勇者などではない。 帝を、帝国を守るために戦ったのではないんだ。 ただ長い時の中で、ほんの刹那のような逢瀬を楽しんだだけなんだ」
「だから俺を憧れとして、英雄として見るのはやめた方がいい。 俺はただの愚か者なんだから」
龍の襲撃を受けた帝都。
高層建築群が悉く瓦礫と化したなかで、数少ない生き残りとなった少年と、龍討の勇者が向き合っている。
龍討の勇者は己の身の内話を聞き終えた少年の、その眼差しに宿るものが尊敬から失望に変わった様子を認めた。
そうして一人、瓦礫の街の中へと姿を消した。
瑞獣をもとめて。或いは、龍討伝説の仔細について。 @gagi
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