第4話 二人の休日

「日曜、もし予定なかったら……ちょっと出かけない?」


カフェでラテを飲んでいた健人に、美久がそう言った。

差し出されたスマホの画面には、

〈秋の街並みフォトイベント〉という文字。

商店街の企画で、参加者が街の風景を自由に撮影して回るというものだった。


「写真とか、俺あんまり撮らないけど。」

「いいの。カメラ持って歩くだけで楽しいんだよ。」

「……まあ、たまにはいいかもな。」


そう言って微笑むと、美久が少しだけ頬を染めた。

「やった。じゃあ決まりね。」


* * *


日曜の朝。

少し冷たい風の中、商店街は人で賑わっていた。

秋晴れの空、焼き栗の香ばしい匂い、子どもたちの笑い声。

どれも久しく感じていなかった“休日の温度”だった。


「はい、健人くんもこれ。」

美久が使い捨てカメラを渡してくる。

「スマホじゃないのか?」

「うん。こういうほうが、撮った瞬間の“感じ”が残るでしょ?」

「なるほど、保育士さんらしい発想だな。」

「えー、それ褒めてるの?」

「もちろん。」


美久はふふっと笑い、マフラーを少し巻き直した。

その仕草がやけに自然で、健人はシャッターを切るタイミングを逃してしまう。


「なに? 撮らないの?」

「いや……今、撮ろうとしたけど、目の前で笑うからさ。」

「じゃあ今のも撮ってよ。」

そう言って、美久はいたずらっぽくカメラの前でピースをした。

シャッター音が小さく鳴る。

レンズ越しの彼女の笑顔が、やけにまぶしく見えた。


* * *


昼は商店街の屋台で軽くランチ。

焼きそばを食べながら、美久が言う。


「健人くん、昔から変わってないね。」

「俺が?」

「うん。落ち着いてるけど、たまに子どもっぽいとこある。」

「……それ、褒めてるの?」

「もちろん。」

二人の笑い声が、秋風に溶けていく。


そのとき健人はふと気づいた。

笑うという行為が、こんなに自然にできたのはいつ以来だろうと。

美咲と別れてからの空白の時間が、まるで溶けていくような感覚だった。


「ねぇ、こっち来て。」

美久が手を引いた。

小さな路地を抜けた先に、川沿いの並木道が広がっている。

黄金色に染まる銀杏が、風に舞っていた。


「きれいだな……」

「ね。ここ、子どものころよく家族で来たんだ。」

「そうなんだ。」

「でも最近は、仕事で忙しくて全然来れなかったの。……今日は、来れてよかった。」


彼女の横顔は柔らかく、どこか切なげだった。

健人はカメラを構え、無言でシャッターを切る。

ファインダーの向こうに、陽射しに包まれた美久の姿。

その瞬間、胸の奥が少しだけ熱くなった。


「撮れた?」

「うん。いい写真になりそう。」

「現像したら見せてね。」

「もちろん。」


そのやり取りの中に、確かな温度があった。

恋という言葉をまだ口にするには早いけれど、

失った心の場所に、確かに何かが芽生え始めている。


* * *


夕暮れ時、駅前まで歩いた。

風が冷たくなり始め、街灯が灯り始める。

「今日は、ありがとね。」

「いや、こっちこそ。久しぶりに、ちゃんと休日を楽しんだ気がする。」

「よかった。」

美久は少し考えてから、ふと口を開いた。


「……健人くん、最初に来たとき、すごく寂しそうだった。」

「え?」

「カフェに来た日。あのときの顔、今とは全然違う。」

健人は言葉に詰まる。

心の奥を静かに覗かれたようで、少し照れくさかった。


「まあ、いろいろあったからな。」

「うん、話さなくてもいいよ。でも……」

美久は少しだけ言葉を探すようにして、

「これからは、少しずつ笑ってほしいな。」

そう言った。


健人は小さく息を飲む。

その優しさが、どこか痛い。

でも同時に、心の底から嬉しかった。


「……努力してみるよ。」

「うん。その顔、好きだよ。」


彼女のその一言に、胸が静かに波打った。

別れ際、手を振る美久の姿を見送りながら、

健人はふと、自分がまた“誰かに会うのが楽しみ”になっていることに気づいた。


失った恋の残像が、少しずつ形を変えていく。

それはまだ、名前のない優しい光のようだった。

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