怪異報告短編集

波多間 悠

S県 A樹海

─この物語はフィクションです─

あまり詮索しないことをおすすめします


報告者Yさん

「こんなはずじゃなかったんだ……どうせ熊か、猪か……なにかの動物だろうと思っていたんだ……あれは……あれは…… ! 」


もっと恐ろしい”ナニカ”だった。


二〇XX年 七月 十五日 (本人談)


いつも通り、登山の準備をしていた。登山が趣味なのだが、仕事の都合で月に一度くらいしか登山に行けないのだ。今回も楽しみにしていた。


今回の山は少し頑張って、普段登る山よりも高い山を登ることにした。オフィスワークばかりのアラサーには少々きつい、千二百メートル級の山だ。しかしそれは、山地のように連なったものではなく、たった一座の山。あまり知られていないようで、登る山をインターネットで探していると見たことないサイトに情報が掲載されていた。


その時は、運が良かったと思っていた。


仕事の休憩中に地図でその山を確認したところ、

実際に存在していた。たしかに、穴場だろう。

車道はおそらく通っていないようだし、地方で

あるS県の中でもさらに都市部から離れていた。


そして、山を囲うように全体に樹海があった。

しかし不思議なことに、樹海についての情報が一切ない。山の情報は少ないとは言え、調べればでてきたのだが、樹海については大きさや動物等の特徴どころか、名前すら出てこない。

まぁあまり大事なことでは無いか。

地図で見たところ、そこまでの大きさはなさそうに見える。一時間ほど歩けば無事に通り抜けられるだろう。そう思っていた。


登山決行日。その日は珍しく飼い犬の柴犬、タロ(仮称)を連れていた。なにせ普段よりハードな山なんだ、相棒がいた方が心強かった。車でS県まで行き、昼飯を済ませた後、少しだけ観光して手前の樹海で車を停めた。観光といっても、S県は田舎で、特に有名な建物も名産品もなかった。


樹海に入ろうとすると、ペンションのような

小さな木造の小屋を発見した。電気が点いているところを見るに、誰かいるのだろう。


「すいませーん、この山に登山に来たんですけど車を停めるところが無くて。どこに停めておけばいいですかね?」


そう声をかけると、建物の中からやや年老いた感じの猟師のような男が現れた。男は顔を見るなり


「あんちゃん、よそもんけ。今日はやめときな」


「えっ、どうしてなんですか?」


「今日っつうか、ここ最近の間みたいなんだよ。」


って、何かいるんですか?熊とか?」


「よそもんに教える義理はねぇ、まぁ、今日は帰るこったな。行ってもいいこたねぇぞ。」

そう言って男は小屋の中へと戻って行った。

一体何がいるんだ?何故行けないんだ?様々な疑問が頭の中で交錯し、中高生の頃に頭から抜け落ちていたであろう好奇心が、今、頭蓋の中で響いている。

確かめたい、確かめなくては

その日の夕方、車を少し遠くに停めて歩いて樹海へと戻ってきた。自転車を積んではいたものの、樹海の中を帰るついでに見たところ自転車なんかで走ることはできなさそうな道だった。リュックに荷物を詰め野営の準備まで済ませた後、こっそりと樹海の中へと入った。


この時から、招かれていたのだろう


樹海の中は涼しいものだった。いやなくらいに。

夕方とはいえ今は七月、気温も二十五度程度を超えるような季節のはずが、樹海の中はまるで十一月の下旬のような肌寒さだ。少し違和感を感じながらも、樹海の中は植物や虫の過ごす景色が美しく、進むほどにその違和感が消えていった。

いや、それすらも意図的に塗りつぶされていたのかもしれない。


樹海の中を歩いて二十分ほど経つと、困ったことが起きた。コンパスが効かない。とはいえ、樹海でコンパスが使えなくなることなど承知済み。持ち歩いていたスマホをポケットにしまい、普通の方位磁針が使用できるか確認し、諦めてカバンの底に詰め込んだ。それでも、樹海の幅はそんなに無かったはずだ、歩いていればいずれ抜けるだろう。そう思いながらタロを愛でつつ歩いた。


違和感に気づいたのは、いや、気付かされたのは五十分ほど歩いた頃。おかしいのだ。一時間ほどで抜けられるはずだろう。何故、光が上からしか差してこない?この辺りで私は身震いしたのを身体が憶えている。音が聞こえないのだ。あの感覚を思い出す度に、今でも体は鳥肌をはわせすぐに忘れろと、流し去ることを促すように滝汗を滴らせる。タロをよく見ると同様に感じ取っていたのだろう。普段は人懐っこく、警戒心のない子だが見た事のないような雰囲気をしていた。

帰ろうかと決心した、その時。


がさがさ


感覚的には五十メートルも離れていないだろうか、茂みの中で何かが動く音がした。反射。体は音の方を向く。額から冷や汗が流れ、体の全細胞と全神経が今すぐ逃げろと泣き叫ぶ。それに反して自身は時が止まったかのように動けずにいた。


四十メートル。まだ何も見えない。


三十メートル。未だ見えない。

タロが唸り出す


二十メートル。うっすらと大きな影が写る

タロが吠える。危険を遠ざけているかのようだ。


十メートル。熊だ、それも大きな個体。優に三メートルを超えるかのような巨体だった。


五メートル。振り上げた爪が見える。私は死を直感した。タロが飛びかかる。死神の鎌が首にかかる直前、一つの銃声が音の無い世界を動かした。

熊は驚いたようで逃げていった。


「おいあんた!大丈夫か?!」


小屋にいた猟師の声だった。

話を聞くに、私が静止を聞かず勝手に入っていると思い、心配で来てくれたようだ。かつて彼は、そうやって見過ごした人を亡くしたとのことだ。そして、樹海に入ってからの私の話を聞くなり、深刻そうな顔をしてあるものを渡してきた。


「鈴……ですか?これ」


鈴だということはわかるが、鈴というにはあまりにも奇妙な形をしていた。

鐘ではなく、人の形をしていたのだ。それも、首と体が分断、紐で繋がれ、その二つが当たることで音が鳴る仕組みになっているらしい。


「厄除けの鈴だ。昔っからこの樹海では奇妙な話が出てる。ツノの青い鹿だの、羽に人の顔がある蝶だの。そーいうのからひっくるめて俺達を守ってくれる厄除けの鈴だ。……今回は熊だった。

お前、あいつの背中ちゃんと見れたか?」


「いえ……爪と手しか見えてません。」


「そうか……あの熊な、背中に目が生えてたんだ

それも一個や二個じゃねぇ、全面にびっっしりと生えていた。」

鳥肌が止まらなかった。なんなんだそれ。まるでこの世のものじゃないみたいじゃないか。


「そんなことって……」


「とにかく!ここは長居するような場所じゃねぇそれに日も沈みかけてきてる。日が沈んだらここから出られなくなるぞ!」


そう言って私達は来た道を引き返すことにした。かなり早足で歩いたこともあり、三十分ほどで来た道の三分の二ほど進むことができた。すると、


「ク”ゥ”オ”ォ”ォ”ォ”ォ”!!!!……」


断末魔。おそらく、先程の奇妙な熊だろう。

何故?私達は見つかったのか?いや、それよりも何故私は断末魔だと思ったのだ?体が思考することを拒むほど、脳は思考を加速させる。その奥にある、最悪な何かを、ヒトという生物として少なからず感じていたのだろう。


その予感は案の定、当たることになった。

物事は思った通りに進むというものだ。

私達は、引き寄せてしまったらしい


「止まれ!……なんだ?あれ」


「……?どうかしましたか?」


「いや……なんか、人のような”なにか”が……」


たしかに、ひとのような”なにか”がそこには

突っ立っていた。その”なにか”は突っ立っているだけだった。まるで木のように。ただ、それは、ヒトと言うにはあまりにおかしかった。

再び、時が止まったかのような静寂が私達を

覆った。


肌が白い。まるでそこにペンキをぶちまけた人形を置いているかのように。体が大きい。ゆうに二メートルは超えているだろう。腕が長い。ヒトというよりもサルやチンパンジーのような種族に近い様相をしている。背骨が浮き出ている。浮き出ているというより、まるでむき出しになっているかのようだ。気配が一切しない。存在としてそこに突っ立っている、あの”なにか”を知覚していることすら忘れそうになるほどに。

ほんのわずかだったはずの気を取られた刹那。


その”ナニカ”は顔をこちらに向けた


気づいた頃には猟師に抑え込まれ、茂みの中に

隠れていた。口からは血の味と激痛がする。違和感を口に感じ吐き出したところ、白い欠片がいくつかでてきた。あぁ、奥歯だったものか。猟師のおかげで正気に戻ることが出来たんだな。


「あれ……なんなんだよあれ!」


「知るか!!こっちだって聞きてぇわ!あんなもん見た事も聞いたこともねぇ!ただ言えるのは……あれに見つかったらタダじゃすまねぇってことだな。幸い、まだ気づかれてねぇ。俺が囮になってやる。お前はその鈴握りしめて犬連れて走れ。どうせ出るにはあそこからじゃねぇとでれねぇ」


「どうやって逃げるんですか!!あなたはあんなやつからどうやって逃げ切るんですか!!」


「うるせぇ!!ごちゃごちゃぬかすな!どうにもならねぇ時はそん時だ……元はと言えば本気でお前をとめなかった俺が悪い……」


「で…でも…」


「いいか?三、二、一で飛び出すぞ。やつの気が俺にそのまま向いてるなら、お前はそのまま走ってここを出ろ。絶対に振り返るなよ。もしお前が狙われたら俺が気を引く。お前はとにかく走れ」


二人で話し合い、覚悟を決めた。手の筋がひきつりそうになるほど鈴を握りしめ、タロの手綱の余った分を腕に巻き付ける。タロは聞き分けのつく頭のいい子だ。私の考えていることを理解してくれているようだった。


「いいな?いくぞ……三、二、一!!」


二人同時に飛び出した、その二秒後に”ナニカ”は私達に気づいたようだ。今まで何も感じなかったはずが、今は内臓を絞られるかのように絡みつく殺気に襲われている。走れば一分、なんとか脱出できるかもしれない。火事場の馬鹿力とやらは、本当にあったようだ。気配が逸れ、十秒が経過した時、左後ろに三十メートルの場所から

「う”ぅ”わ”ぁ”ぁ”ぁ”!!!!ォ”コ”ッ”」

という叫びとともに

どしゃっ

なにかがずり落ちたようなそんな音を奏でた

間違いない。猟師が殺された。次は私だ。そう

思うと、生きようとする心に反して体は殺気に

まとわりつかれ、重く鉛のようになっていく。

─ここで死ぬのか─

走馬灯が走ろうとした時、不意に体が軽くなった。それと同時に、私は死ぬ気で残り数メートルを走りきった。


なんとか、脱出できたようだ。だが、おかしい

走っている際、気にする余裕がなかった。何故

手が軽くなったのだ?不意に確認するとリードが引きちぎられていた。タロは?タロはどこだ?

タロは─

「それ」は許されざる行為だった。離れなければ

ならなかった、今すぐに。後ろを振り返るなど、絶対に……

”ナニカ”の手にはタロだったであろうものが

広げられていた。まるで、子どもの遊ぶままに、

そしてそれを、母親に見せるかのように”ナニカ”はそれを楽しそうに見せてきた。そこで私は意識が遠のいていった。



Yさんが憶えているのはここまでらしい。曖昧な記憶として、最後に甲高い子供の声のような言葉が聞こえてきたらしいが、歯足らずな発音で何を言っているのかはわからなかったらしい。そしてこれは最近の出来事なのだそうだが、新しく新居を携え、嫁と夫婦二人で暮らしているそうだ。そして、めでたく子どもが出来たらしい。しかし、それ以来奇妙なことが絶えず起きていたようだ。そして、とあることをきっかけに私に報告をしてきた。子どもが「たんぼにかかし!かかし!」と

言って止まなかったそうだ。そんなものは前日まで無かったはずなのに。嫌な予感を携えながら、Yさんは見に行ったそうだ。

そこには、本当にかかしがあったという。

それも、見覚えのあるかかしだったとのことだ。

両手を広げ、皮だけにされた奇妙なクマ。その中には、内臓を全て引き抜かれた猟師の姿と、骨盤の上、胃や腸等があったところにかつての愛犬が無惨に並べられていたと。全て、この世のものではないものを見てしまったかのような顔で、苦悶に歪んでいたらしい。

そして、遠くで手を振っている”ナニカ”の姿があったらしい。顔の真ん中には孔が空いており、手や口は赤黒に塗れていたようだ。

この報告の二週間後にYさん、いや、Yさん一家は失踪したらしい。というか、いなくなったよりもというのが正しいだろう。

戸籍も、住所も、何もかものだ。

今となっては、彼の存在証明はこの報告と、ともに私に送り付けられたこの鈴だけとなってしまった。本人は知らなかったのだろうな。

─鈴の顔には孔が空いていた。


報告書作成日:二〇XX年、九月三十日

報告者:Yさん(データにのみ記録あり)

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