第41話 泥沼と翔ける

夜が明けた。

 だが、俺たちの心に深々と突き刺さった棘は、昇り始めた頼りない朝日ごときでは抜けそうになかった。

 雨上がり特有の湿った森の空気が、肺に入るたびに冷たく重くのしかかる。

 早朝の鳥のさえずりさえも、今の俺たちには耳障りなノイズにしか聞こえなかった。


「……くっ、すまない、環……」


 俺の左肩に全体重を預けながら、片岩が苦しげに呻く。

 その体は岩のように重いが、今は高熱を帯びており、足取りはひどく覚束ない。右腕の傷は応急処置で塞いだが、戦闘など不可能な状態だ。


「喋るな、傷が開くぞ。今は少しでも距離を稼ぐんだ」


 俺は片岩の脇を支え、一歩ずつ泥濘んだ地面を踏みしめる。反対側では、拓馬が沈痛な面持ちで片岩のもう片方の腕を支えていた。 


「俺が……不甲斐ないばかりに……。リーダーとして、幸人を守れなかった……」


 片岩の声が震える。

 昨晩の襲撃。ガトリングの男と、鏡の女。

 俺たちはなんとか生き延び、こうして朝を迎えることができた。だが、その代償として失ったものは、あまりにも大きかった。


「ボス……自分を責めないでくださいよ……」

 

拓馬が、噛み殺したような声で言う。


「俺だって、何もできなかった。俺も早く気づけていれば、あんな……あんなことには」

 

拓馬は相棒同然だった幸人を失ったショックから、まだ立ち直れていない。彼の視線は虚ろで、足元ばかりを見ている。


「……うぅ、幸人お兄さん……」


 そのさらに後ろを、愛理が小さな声ですすり泣きながら歩いている。

 いつもなら水でできたカエルたちを連れて、無邪気に場を和ませている彼女だが、今は肩を落とし、小さくなっていた。


「……怖い。ねえ、またあの人たちが来たら、どうするの?」


 愛理の影に隠れるように歩く夢が、怯えた声で呟く。

 眠たげな瞳は大きく見開かれ、周囲の木々の影に過剰に反応している。


「もう、嫌だ……。帰りたい……」


 彼女たちの言葉が、俺たちの現状を残酷なほど正確に表していた。

 昨日の出来事は夢ではない。首元のチョーカーが冷たく肌に触れ、これが現実のサバイバルであることを突きつけてくる。


「……幸人の『全眼』があれば、こんなぬかるんだ道、選ばなかっただろうな」


 拓馬が悔しげに吐き捨てる。

 彼の言う通りだ。幸人の索敵能力の不在は、物理的な視界だけでなく、チームの指針さえも奪っていた。どこに敵がいるかわからない恐怖。それが、俺たちの歩みを鉛のように重くさせている。


「今は前に進むことだけを考えろ。止まれば、また狩られる。幸人の脱落を無駄にするつもりか」

「分かってる……分かってるけどよぉ!」


 拓馬が唇を噛み切りそうなほど強く食いしばる。

 チームの空気は最悪だ。まるで泥沼に腰まで浸かっているような閉塞感。

 このままでは、敵に会う前に心が折れる。

 その時だった。

 最後尾を歩いていたナツメが、パン!と乾いた音を立てて両手を叩いた。


「はーいはいはい! ストーップ! 湿っぽいのはそこまで!」


 ギャルっぽい派手な口調だが、その声には努めて明るく振る舞おうとする強がりと、年長者としての気遣いが滲んでいた。

 彼女は愛理と夢の背中をバンバンと叩き、強引に前を向かせる。


「あんたら男連中がメソメソしててどーすんの! 見っともないよ!」

「ナツメ姉ちゃん……でも……」

「『でも』じゃない! 幸人はチョーカー壊されて転送されただけ! 死んだわけじゃないし! アタシらがここで全滅して試験落ちたら、それこそあいつの犠牲が全部パーでしょ!?」


 ナツメは腰に手を当て、拓馬と片岩を睨みつける。


「ボスも! いつまでも垂れてないでシャキッとしな! あんたが選んで、あんたが守るって決めたチームでしょ! 最後まで責任持ちな!」


 ナツメの叱咤に、片岩がハッとしたように顔を上げた。

 その瞳に、消えかけていた理性の光が微かに戻る。


「……ああ。そうだな。……すまない、ナツメ」


 片岩は俺と拓馬の肩からわずかに体を離し、自らの足で立とうと力を込めた。


「俺たちは、まだ終わっていない。……進もう」


 そうだ。俺たちはまだ負けたわけじゃない。

 首元のチョーカーにある原石は、まだ砕かれていない。

 俺たちは顔を見合わせ、小さく頷き合った。

 重苦しい空気は完全には晴れないが、少なくとも顔を上げることはできた。

 俺たちは森を抜け、視界が開けた岩場に出ようとした。

 ここを越えれば、少しは隠れやすい地形があるはずだ。

 そう思った、その瞬間だった。

 ヒュンッ、と風が鳴いた。


「――おやおや。随分とボロボロじゃないか」


 その声は、あまりにも唐突に、そして軽快に響いた。

 俺たちが反応するよりも速く、目の前の小高い岩の上に、ひとつの影が立っていた。

 朝日に輝く金髪。

 整った顔立ちに浮かべた、余裕綽々の笑み。

 そして、獲物を見定める冷徹な瞳。


「白恩……!」


 俺は片岩を拓馬に託し、反射的に前に出て鎖を構える。

 白月も即座に反応し、空間の穴を展開するが、相手があの『超速』の男では、反応速度が間に合うか賭けになる。

 白恩翔。第2試験のグループランキング2位の実力者であり、俺がこの学園で最初に「壁」と感じた男。


「おいおい、そんな殺気立つなよ。朝の散歩中だぜ」


 白恩は岩から軽やかに飛び降りると、音もなく俺たちとの距離を詰めた。

 速い。

 以前見た時よりも、さらに動きに無駄がなくなり、洗練されている。


「……何のようだ、白恩。見ての通り、俺たちは手負いだ。戦うメリットはないぞ」


 俺は牽制する。

 今のこの戦力で、彼とやり合うのは自殺行為だ。

 片岩は重症、白月も消耗している。まともに動けるのは俺くらいだが、彼の『加速』に翻弄されれば、後ろにいる拓馬や愛理たちを守りきれない。


「見逃してくれとは言わないが、俺たちとやり合っても消耗するだけだ。お前だって、無駄な体力は使いたくないはずだろ?」


 俺の言葉に、白恩はつまらなそうに鼻を鳴らした。

 そして、冷徹な捕食者の目で、俺たちの首元――チョーカーをじっと見据える。


「……それは無理な話だな、環輪」

 

白恩が重心を低くし、今にも飛び出しそうなクラウチングスタートの姿勢をとる。

 全身から発せられるプレッシャーが、肌をチリチリと焼く。


「俺は一人なんだ」

「え……?」

「グループ組んで交代で見張りもできるお前らと違って、こっちはカツカツなんでな。寝る間も惜しんで動いてる。物資も尽きかけてる」


 彼の瞳の奥には、疲労の色が見え隠れしていた。

 どんなに強くても、人間である以上、休息と食事は必要だ。単独行動の限界が、彼を焦らせている。


「だからこそ、手っ取り早く『成果』が欲しい。弱った獲物の集団なんて、今の俺にはご馳走なんだよ。……さっさとその首、もらおうか」

「『加速アクセレイト』」

「来るぞ!」

 

俺が叫ぶのと同時、白恩の姿が掻き消えた。

 『加速』による超高速移動。

 目で追うことは不可能。残像すら残さない速度で、彼は俺たちの懐へと飛び込んでくる。

速すぎる……ッ!

 俺は勘を頼りに鎖の盾を展開しようとするが、恐らく間に合わない――!

 その時だった。


「――させないよッ!」


 俺の後ろから、ナツメが飛び出した。

 彼女は白恩が踏み込もうとした地面に向かって、両手を叩きつける。


「沈め、『愛より深き泥沼ラバーパウンド』!!」


 ズズズズズッ……!

 地響きとともに、白恩の進行方向の地面が、一瞬にしてドス黒い泥の沼へと変貌した。

 硬い岩場だったはずの足場が液状化し、泡を吹く。


「なっ!?」


 消えていた白恩の姿が、再び現れる。

 超高速で地面を蹴ろうとした彼の右足が、泥に深く沈み込んでいた。

 自慢の『加速』は、強固な足場があってこそ発揮される能力。足場を失えば、その速度は強制的にゼロになる。


「足元がお留守だっつーの! 速いのが自慢なら、動けなくしてやるよ!」


 ナツメが脂汗を流しながら叫ぶ。


 彼女の創造能力――対象の地面を底なしの沼へと変える地形操作。


 直接的な攻撃力はないが、相手の機動力を奪うことに関しては天下一品だ。


「チッ……泥沼かよ、最悪だ」


 白恩が舌打ちをし、足を抜こうともがく。

 だが、ナツメの泥はただの泥ではない。粘着質で、動けば動くほど深く彼を拘束していく。


「今だ環! 行くなら早くしな! こいつの足止めは長くは持たない!」


 ナツメの叫びが響く。

 白月が攻撃の構えを取り、拓馬が片岩を連れて下がろうとする。

 俺の手には鎖がある。今なら、動けない白恩のチョーカーを破壊できるかもしれない。あるいは、この隙に全員で逃走することも可能だ。

 戦うか、逃げるか。

 俺の脳内で、選択肢が高速で明滅する。

 この場で白恩を脱落させれば、脅威は減る。だが、彼をここで消すことが、本当に正解なのか?

 俺は鎖を握りしめ、泥沼でもがく白恩を見据えた。

 そして、結論。


「……ナツメ、その拘束、解かなくていい。維持してくれ」

「はぁ!? 何言ってんの環! 今倒さないとヤバいって!」


 ナツメが驚愕の声を上げるが、俺は構わずに白恩へと歩み寄る。

 攻撃の間合いギリギリの場所で、俺は立ち止まった。


「おいおい、情けでもかけるつもりか? 舐められたもんだな」


 白恩が殺気を孕んだ目で俺を睨む。泥に嵌まっていても、その覇気は衰えていない。

 俺は首を振った。


「違う。取引だ、白恩」

「あ?」

「俺たちのチームに入れ。白恩翔」


 一瞬、その場に静寂が落ちた。

 白月が目を見開き、拓馬が正気か!?と声を上げる。

 白恩本人も、虚を突かれたようにポカンと口を開けたあと、乾いた笑い声を上げた。


「ハハッ……お前、頭湧いてんのか? 俺はお前らを狩りに来たんだぞ?」

「ああ。お前はソロの限界を感じてる。寝てないんだろ? 腹も減ってるはずだ」


 俺は冷静に畳み掛ける。


「お前は強い。間違いなく最強クラスだ。だが、この試験は長丁場だ。いつまでも一人で張り詰め続けてたら、いつか必ず格下の集団に搦め手で潰される。……今のようにな」


 俺は足元の泥沼を指差す。

 白恩の顔から笑みが消えた。図星だからだ。彼は速すぎるがゆえに、搦め手や状態異常への耐性が薄い。そして何より、休息を取れないことが彼のパフォーマンスを確実に蝕んでいる。


「俺たちのチームには、索敵役だった幸人がいなくなった。だから、お前の『速度』と『戦闘力』が必要だ」


 俺は背後の仲間たちを示す。


「代わりに、俺たちはお前に『休息』と『サポート』を提供できる。交代で見張りもできる。」

「……俺に、弱者の群れに加われってか? 2位の俺が?」

「あのランキングは、あくまで俺たちがいた『グループ』での順位だろ?」


 俺の指摘に、白恩の目が細められた。


「お前も分かってるはずだ。他のグループには、まだ見ぬ化け物がいるかもしれないってな」

「……ああ、否定はしねぇよ。実際、この島には得体の知れない気配がウジャウジャいるからな」

 

白恩は周囲の森を一瞥する。彼ほどの使い手なら、肌感覚で理解しているのだろう。俺たちのグループ内だけで最強を気取っていても、生き残れる保証はないことを。


「実際に俺たちは昨晩、別グループの奴らに襲われた」

「それはご愁傷様だな」

「俺の鎖も、片岩の鎧も通用しなかった」


 俺の言葉に、白恩の瞳がわずかに揺れた。

 俺の実力は、彼も多少は認めているはずだ。その俺が「通用しなかった」と断言し、さらに片岩の防御すら通用しないと言った。その具体性が、未知の敵への警戒心を抱かせる。


「俺たちと組めば、お前は万全な状態でその『未知の強敵』とも戦える。俺たちも、お前がいれば生存率が上がる。……ウィンウィンだろ」


 俺は手を差し出した。

 握手か、それとも拒絶の攻撃か。

 白恩は泥沼の中で、じっと俺の手を見つめていた。

 その瞳の中で、冷徹な計算機が回っているのが分かる。プライドと実利。感情と論理。

 やがて、彼は長く息を吐き出すと、泥に沈んでいた足を強引に引き抜き、泥だらけの手で髪をかき上げた。


「……たくッ、変な奴だぜ、お前は」


 殺気が、霧散する。


「いいぜ。乗ってやるよ、その話」


 白恩はニヤリと笑うと、俺の手をパチンと強く叩いた。


「ただし、勘違いすんなよ。俺は馴れ合うつもりはねぇ。利用価値があるうちは利用してやるってだけだ。……そいつが、本当に俺を楽しませてくれるんだろうな?」

「ああ、保証するよ」


 俺が答えると、後ろで見ていた白月が、深いため息をつきながらも、どこか安堵したように肩の力を抜いた。

 ナツメが「マジかよ……敵を口説き落としたし」と呟きながら、泥沼を解除する。


「よろしく頼むぜ?人数が±0にならないといいな」


 白恩が片岩の方を向いて皮肉っぽく笑うと、片岩は苦笑いを浮かべながら、それでも力強く頷いた。


「……歓迎する、白恩」


 失った穴は埋まらないかもしれない。だが、俺たちは新たな武器を手に入れた。

 この泥沼のような状況を、駆け抜けるための足を。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

3日ごと 08:00 予定は変更される可能性があります

創造のコネクト〜鎖で挑む異能力バトル〜 プロトルート 鷹缶 @TAKAKAN_

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ