愛されヒロインと悪役令嬢、どっちに転生する? もちろんヒロインで! って言ったのに。~担当神(松戸在住・時給800円)のせいで転生ライフがなんか違う~

夏目 蓮

第1話 ヒロインと悪役令嬢、どっちに転生する?

どこまでも続く純白の空間で、私は目を覚ました。

柔らかな光に満ちたその場所の中央には、黄金の玉座。そこに腰かけているのは、神々しいローブをまとった――いかにも“それっぽい”存在。


ああ、これがいわゆる転生トラックのあとに来るお決まりのやつね。

そう納得した瞬間、その存在が厳かに口を開いた。


「あなたが転生したいのはー……ヒロインと悪役令嬢、どちらデスカー?」


……うん、語尾の“デスカー”が妙に気が抜ける。


思わずまじまじと神様を見つめると、彼は軽く咳払いをした。


「すっごいカタコトなのに、 発音はネイティブスピーカー並みにきれい」

「まぁ、松戸に来て七年だからね」


(千葉県の……松戸?)

玉座にふんぞり返ったまま、神様はしれっとカミングアウトした。その日本語はどこか不安定なのに、「松戸」という単語のチョイスだけはやたら流暢で具体的だ。神様、常磐線ユーザーなの?


「てかこのローブ、寒いからジャージに着替えていい?」

「神様が寒がるなよ」

神様は平然と答えながら、ローブの裾をバサバサさせている。どう見ても寒そうだ。


「いや、ここ空調が効きすぎてるのよ。てか冬になると毎年思うんだよね、『地球温暖化ってほんとに起きてんの?』って」

「あんた、夏になったらなったで『温暖化ふざけんな!』って叫ぶタイプでしょ。ってかここ空調あるの?」


軽口を叩き合っているうちに、神様はローブをあっさりと脱ぎ捨てた。その下から現れたのは、ヨレヨレのTシャツと、どこかで見たことのある三本線の入ったジャージだった。


そそくさとジャージに着替える神。三本線はアディダスのように見える。

「アディダス持ってんの!?」

「いや、“アジデス”。ロゴが魚のアジ。メルカリでだまされたんだよな。出品者の評価、『良い』にしちゃった後に気づいたんだから、もう最悪」


……この神様、完全に俗世に染まりきっている。神々しさの欠片も残っていない。もはや神というより、近所のコンビニ前でだべっているおじさんだ。


「で、どっち選ぶの?ヒロインと悪役令嬢。」

私の根本的な疑問――なぜ神が松戸に住み、メルカリで偽ブランド品を掴まされているのか――はきれいさっぱりスルーされ、神様はジャージ姿でぐっと身を乗り出してきた。その仕草は、もはや威厳ゼロ。


「急にフランクになったわね……。まあ、主人公でお願いするわ。ヒロインのほう」


色々ツッコミたいことは山ほどあるが、ここはひとまず王道を選んでおくのが賢明だろう。生前は仕事に追われるしがない会社員だったのだ。来世くらい、破滅フラグが林立するようなハードモードな人生はまっぴらごめんである。愛され、守られ、平穏に暮らしたい。


しかし、私の堅実な選択を聞いた瞬間、神様はあからさまに肩を落とした。その落胆ぶりは、まるで宝くじが目の前で一枚違いだったかのように劇的だった。


「はぁ……なんで悪役令嬢にしないんだよけ?」

「え、なんでそんなにがっかりするの?」


その露骨な態度に思わず聞き返すと、神様は切実な声でぼやき始めた。


「俺ら転生を授ける側ってさ、時給八百円なんだよ。悪役令嬢に転生させることができたら、一件につき特別ボーナスが出て、今後の展開次第ではさらにインセンティブがつくんだよ。なのにヒロインルートなんて選ばれたら、基本給しかもらえない。今後の展開も楽だけど、楽なだけじゃ稼げないの!」

「時給制!? ていうか八百円って……平成の青森県の最低賃金くらいじゃない?」


どうやら神界の労働基準は、日本の地方都市レベルか、それ以下らしい。頭を抱える神様を前に、私は静かに悟った。――どうやら、私の来世は相当に安っぽい、そして切実な大人の事情で決められようとしているらしい。


私の言葉に、神様がカチンときたように顔を上げた。


「青森バカにするならもう一生りんご食うなよ。あと平成バカにするならもうプリクラ撮るなよ。最近のアプリの加工なんかより、あの頃のプリクラのほうがよっぽど“盛れた”んだからな」


神様が急にムッとした顔で言い放った。語彙のチョイスが完全に平成初期のそれだ。嫌な予感しかしない。


「あなた、もしかして青森出身の三、四十代??……というか、なんでそんなにヒロインより悪役令嬢を推してくるわけ?」


図星を突かれた神様は、一瞬バツの悪そうな顔をしたが、すぐに気を取り直したようにどこからともなく会議用の折りたたみ机を出現させ、それをドンと叩いた。荘厳だったはずの空間が、一気に「松戸の公民館」っぽく見えるのは気のせいだろうか。


「なんでって…! 君が『悪役令嬢』になってくれれば、転生先でのイベントが多いだろ! 断罪回避、ざまぁ、逆ハーレム! どれもこれもシナリオの作り込みが必要で、その分、俺たちのボーナスポイントに加算されるんだよ! それに比べてヒロインなんて、ただ王子様に愛されて終わりだ。全然面白くない! 平坦! 退屈!」


語るほどに熱がこもり、ジャージ姿の神様はすっかりプレゼンモードに入っている。


「いやいや、私がこれから送る人生なんだから、面白くなくたって平坦で結構なんですけど!」


「ちっ…ちがうんだよ!」


神様は両手をぐっと握りしめ、必死の形相で続けた。さっきまでの軽口が嘘みたいに、目がマジだ。その瞳には、生活のかかったサラリーマンの悲哀が滲んでいる。


「俺らはな、このつまんないヒロイン転生を一件こなすより、ド派手にざまぁされてから逆転する悪役令嬢転生を一件決めた方が、この『転生事業部・日本支部』内での評価が爆上がりするんだよ! そうすりゃ、俺の松戸での生活が少しは豊かになるの! 今の家賃じゃ駅から徒歩二十分なんだ! ボーナスが出れば、駅近のオートロック付き物件に引っ越せるかもしれない! ねぇ、お願い。俺の未来のために、悪役令嬢になってくれないかな?」


神様は机越しに両手を合わせ、まるで下請け会社の営業マンみたいな声で訴えてくる。神って、こんなに人間臭くて、生活に困窮しているものだっただろうか。私の知っている神のイメージがガラガラと崩れ落ちていく。


私は思わず深いため息をついた。

「神様がそんなに必死なの初めて見たわ。ていうか、転生って“転生事業部”の管轄だったのね……。でも、どう考えても悪役令嬢より愛されヒロインの方が楽じゃない? 破滅したくないんだけど」


「いい加減にしろ! 俺のボーナスと駅近物件を横取りする気かァッ!」


神様が感情のままに机をバンッと力強く叩いた。その乾いた音が、静まり返った白い空間にやけに大きく響き渡った。

……もうだめだ。この人、神様じゃなくて、完全に「社内会議で理不尽にキレる中間管理職の上司」にしか見えない。


一瞬の激情の後、重い沈黙が落ちる。

白く広がる空間に、神様のジャージの肩を上下させる荒い息遣いだけが残った。その姿はあまりにも哀愁に満ちていて、なんだか少し、ほんの少しだけ、可哀想に思えてきてしまった。


私はぼんやりと、その光景を見つめながら、ぽつりとつぶやく。


「悪役令嬢…ね」


その言葉は、肯定でも否定でもなかった。ただ、私の来世が、この俗物的な神様のボーナスに左右されるという、あまりにも理不尽で、そして少しだけ面白い運命を、受け入れ始めるための第一声だったのかもしれない。

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