背徳の螺旋:幼馴染の呪縛~大好きな幼馴染に裏切られた~

舞夢宜人

第1話 短絡的な依頼と、冷めた決意

(篠宮 陽菜 視点)


 生ぬるい風が、大学のカフェテラスに置かれた観葉植物の葉を、緩やかに揺らしていた。まるで、私たちの関係が、外的な力によって、ゆっくりと崩れていくのを暗示しているようだった。


 テーブルを挟んで向かいに座る恋人、望月悠人は、いつものように短絡的な話題を口にしていた。その軽薄な短絡性は、高校時代に彼が陸上部で専門としていた短距離走そのものだった。短距離走は一瞬の瞬発力だけが求められる。深く考える必要もなく、長時間の持続力も必要とされない。彼の愛もまた、常に刹那的な衝動によって突き動かされていた。


「ねえ、陽菜、聞いてくれよ。これってさ、すごくね?」


 悠人は、スマートフォンに表示させたアダルト動画のサムネイルを、隠すこともなく私に見せつけた。画面には、見知らぬ女性が二人の男性に囲まれている様子が映っている。私はショートヘアでボーイッシュな外見だが、それでも自分の胸元に置かれたCカップの膨らみが、彼に見られているような、奇妙な錯覚を覚えた。その感覚は、不快感と、自分の身体に対する道具化への不安の混濁だった。


「またそういう動画見てるの、悠人くん。アタシとのデート中だよ」


 私が少し声を潜めて注意すると、彼は大して悪いとも思っていない様子で、アイスコーヒーを一口啜る。その無関心な態度が、私の中に残る彼への情熱を、少しずつ確実に冷やしていく。彼の関心は、常に瞬発的な刺激を求める、短距離ランナーの視点に固定されていた。


 悠人は、私と同じく陸上部の短中距離走グループに属していた。ハードル走を専門としていた私にとって、練習中は常に彼の姿が視界の端にあった。私たちは物理的に近く、汗を流し、互いを励まし合った。その日常的な近さが、彼からの告白を私が受け入れた最大の理由だ。一方、清水玲央は長距離走。練習時間も場所も違い、黙々とトラックの周りを周回していた。私たちは、練習後のわずかな時間にしか顔を合わせることができなかった。


 今思えば、愛とは距離ではなく、相手への持久力と責任で測るべきだった。玲央の愛は長距離走のように地道で、長く続いた。だが、私は目の前の短距離を選んでしまった。その選択の誤りが、今、私に背徳という名の屈辱的な代償を求めようとしている。


「違うんだって、陽菜。これを見て、すげぇ興奮したんだ」


 悠人の瞳が、アダルト動画の光を受けてギラギラと輝いていた。その瞳には、私の姿は映っていない。映っているのは、彼自身の倒錯した欲望だけだった。彼は、私の存在を完全に自己の欲求の拡張として捉えている。


「陽菜がさ、玲央と――」


 そこまで聞いて、私の体は一瞬で氷のように冷たくなった。彼の口から出てきた名前。私たち三人の間で、決して触れてはいけない、長年の片思いという爆弾を抱えた名前だった。玲央は、悠人と私の関係を、誰よりも深く静かに見守ってきた幼馴染だ。その玲央を、彼が自らの倒錯的な願望の道具として利用しようとしている。


「やめてよ、悠人くん。冗談でもそういうこと言うの」


 私の声は震えていた。強く拒絶したいのに、なぜか強く拒絶できない自分がいた。それは、悠人への愛が冷めきっているがゆえの、自暴自棄にも似た無関心だった。この停滞した関係が、悠人の手によって破壊されるのなら、それはそれで解放かもしれない。


 悠人は、椅子に座り直すと、真剣な顔つきになった。その顔に「短距離ランナーとしての瞬発的な情熱」が宿っているのを見て、私は深くため息をついた。彼の短絡的で自己中心的な情熱は、一度走り出したらブレーキが効かない。そのゴールが、私たち三人の関係の破滅であったとしても、彼は顧みないだろう。


「冗談じゃねえよ、本気だ。玲央なら、絶対黙ってる。俺たちの秘密、絶対に誰にも言わないって約束させる。それにさ、玲央、陽菜のこと好きだったろ、ずっと」


 私の知られたくない過去の事実を、彼は平然と、交渉の材料のように利用した。その軽薄な言葉は、私の心を深く抉った。彼の顔には、嫉妬ではなく、倒錯的な興奮だけが満ちている。私の体は、彼にとって愛の対象ではなく、自分の欲望を満たすための装置でしかなかったのだ。


「アタシが、玲央に体を差し出す動画を撮って、それを悠人くんが見るっていうことね」


 喉が張り付いたように、声がかすれた。その問いに対し、悠人は嬉しそうに頷いた。彼の行動原理は、常に衝動だ。短距離走のように、走り始めたらゴールまで止まらない。


「そうだよ、陽菜。最高じゃねぇか。玲央は長距離ランナーだからさ、きっと体力もすげぇよ。陽菜がどんな顔するのか、俺、見てみたいんだ」


 彼の言葉の端々に、自分の性的能力への劣等感が透けて見えた。彼は、私と行為に及ぶ際、早漏気味でいつも一回が限界を迎えていた。その短距離ランナーとしての持続力の欠如を、玲央の長距離ランナーとしての強靭なスタミナに代行させたい。これが彼の真の欲望なのだと理解した。私の身体は、彼の満たされない欲望を測る定規に成り果てた。


 その瞬間、私の中の悠人への愛は、完全に冷めきった。残ったのは、絶望的な嫌悪感と、この関係を破壊したいという背徳的な自暴自棄だった。


「わかった、悠人くん。玲央に頼むよ」


 そう答えたとき、私の心臓は一つも脈を打っていなかった。悠人は満面の笑みを浮かべ、喜びの声を上げる。彼の歓喜は、私の心の死を証明していた。


「やったな、陽菜! やっぱお前は最高の彼女だよ」


 彼は私の手を握り、祝福するように強く振った。しかし、私はその手に温もりを感じなかった。悠人への復讐。そして、長距離走のように静かに私を愛してくれた玲央への罰。それが私の唯一の動機だった。


 私は目線を上げ、遠くに見える陸上競技場のトラックを思い浮かべた。悠人が瞬発力で走り抜ける二十秒間と、玲央が静かに何十周も走り続ける時間。その時間の長さが、そのまま愛の重さの違いなのだと、今、はっきりと理解した。そして、この行為は、短距離ランナーの軽薄さによって引き起こされた、長距離ランナーの愛への屈辱的な報いとなるだろう。


 私はスマートフォンを取り上げ、玲央の連絡先を表示した。指先が震えていたのは、恐怖からか、それとも破滅への背徳的な期待からか、自分でも判別できなかった。


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