ヘマドン鉱山襲撃

第4話 欲望の採掘場

 一月が経った頃、私たちはデヴォン州を訪れていた。

 列車の車窓から流れる景色を眺めていた。

 テーブルの上に置かれたカップを手に持つ。中にはレモンティーが入っており、すでにぬるくなっている。

 カインは魔道具が入った旅行鞄を大事そうに抱え私の様子を見つめている。


「珍しいですね。師匠がブルーノートからの依頼を受けるだなんて。

 どういう風の吹き回しです?」

「気まぐれ」

「気まぐれで動く人じゃないでしょう。

 それに、そのお茶もう冷めているんじゃないですか?」


 今回の依頼はマレットからのものではなくブルーノートからの依頼だ。

 私は基本マレットからの依頼しか受けない。

 組織が嫌いで彼らの言いなりになるのが心底嫌なのだ。そんな私がなぜ組織からの依頼を受けたか。

 それは先日のリヴァプールでの一件に後ろ髪を引かれるからだ。


 組織的な犯行と誘拐事件。

 悪魔事件の多くは刹那的な事件が多いが、あの事件の異様さに似た因果関係を感じてしょうがない。


「師匠って面倒事は毛嫌いする癖に自分の煮え切らないことに関しては頑なに譲りませんよね」

「悪いかしら」

「滅相もない」


 車内アナウンスがエクセター駅への到着を知らせる。

 私はフックにかけておいたコートに袖を通し、扉へ向かう。カインは旅行鞄二つを手に持って私の後を追う。


「行くわよ」

「愛想よくしてくださいよ」

「努力はする」


 列車を降りて私たちはロータリーへと向かう。下車した人々とタクシーやバスが行き交う中、黒色のベントレーが二台、そしてそこに黒スーツに身を包んだ人たちが屯していた。

 黒服の中に一人、見知った顔の人物がいた。


「カノン フラウト女史ですね、諜報局です。本日は協力していただきありがとうございます」

「お出迎えご苦労様。あら、ロベルトさん先日の一件はどうも」

「……」


 ロベルトは頑なに私の目を避ける。まるで煙たがるように。

 わからなくもない。私と親しくしているというのはマレット以外の上司からはよく思われない。


「さっそくですが現場に同行願います。監督官とほかのエクソシストが待機しています」

「観光ぐらいしたいものね」


 私とカインは車に乗り込み、目的地であるヘマドン鉱山へと向かった。

 車内は運転手とロベルト、そして私たち。

 ロベルトは無言でノートパソコンを膝の上に置き作業をしている。

 何もすることがない道すがら私たちはシートポケットにしまわれた資料に目を通す。


 へマドン鉱山。近年再稼働の動きが活発となっている鉱山だ。再稼働に向けた動きの中で、環境活動家テロリストたちがこれを地球の危機だと騒ぎ立てたのが事の発端らしい。


「反対運動が過激化した結果暴力沙汰に発展。

 暴徒となった環境活動家と出資会社が応援要請した警察との乱闘が発生。その時悪魔が出現。機動隊を一掃したと……」

「活動家の人たちはどこからウテルスを手に入れたんでしょうか?」

「現在調査中だ。フラウト、お前たちは悪魔に集中していればいい」

「もとからそのつもり」

「お前が何を企んでいるか知ったことではないが粗相をするな」

 

 頬杖を突き、移ろう景色をぼーっと見つめる。私は無意識に人差し指と中指で唇をなぞる。

 私らしからぬ行動によって起こる面倒事と、確かめずにはいられない名もなき不安が影のように付きまとう思考。

 煮え切らないこの二つを解決するために私は向かう。


 ※


 数刻の時間がたったころ、私たちを乗せた車は仮設拠点へと到着する。黒スーツや警察官たちが忙しくあちらこちらを走り回る。

 話さなくても現状況がひっ迫していることが伝わってくる。


「監督官は参謀本部でお待ちだ。早くいけ」

「はいはい」


 ここは採掘場のクレーターから数キロメートル離れた仮設拠点。車内からは聞こえなかった焦りと怒号、無線のノイズが入り混じったこの空気が現状を雄弁に物語る。

 カインのカバンのストラップを握る手が少し力む。そして空気を吞むように口をつぐむ。張り詰める空気に気圧されたか、それとも空気に煽られ覚悟を決めたか。

 カインの肩に手を乗せる。


「行くわよ」

「——はい」


 私たちは雑然と立ち並ぶテントの合間を縫って進んだ。足元にはむき出しのケーブルや土にまみれた器材が散らばり、誰かの怒声が背後で飛ぶ。

 そのすべてが、現場がまだ安定から程遠いことを教えていた。

 その中でもひときわ大きいテントへ到着する。

 入り口前に立つ武装した警備員ふたりと、テントの頭上に建てられた赤い旗。おそらくここが参謀本部なのだろう。


「身分証を」


 懐からエクソシストであることを証明する手帳を取り出す。それを見て警備員たちは警戒を解き、中に入るように促す。カインを外で待たせ私はテントに入る。

 中に入ると地図を広げたテーブルの奥に青い腕章をつけた白髪で立派なひげを蓄えた男が立っていた。


「ようやく到着か、カノン フラウト」

「今回はあなたの管轄なのね、プレトニェフ監督官」

「ああ、マレット局長からオマエも参加すると聞いたときは驚いたよ。

 反抗期は終わったのかね?」


 プレトニェフ監督官。ブルーノート作戦参謀局に所属する老男だ。強情でプライドが高く、態度に現れている通り私を嫌う組織の人間だ。


 作戦参謀局というのは悪魔による事件が発生した際に作戦立案や現場指揮、警察との連携を行う機関であり、実質的現場監督と言える。


「恩を売りに来ただけ。作戦資料には目を通している。さっさと終わらせて頂戴」

「(あいかわらず身の程もわきまえない無礼な女め)

 まあいい、今回討伐する対象は1体。活動家や他設備への被害を抑えるべく、悪魔を鉱山近くの平野まで陽動。悪魔がいなくなったところを特殊部隊Armed Response Units が鎮圧する。

 オマエにはその能力を活かし陽動を行ってもらう。何か質問は?」

「ウテルスの出どころは?」

「関係のないことだろう?今回は探偵ごっこは慎んでもらおうか」


 あざ笑うようにプレトニェフは睨む。すると、布がふわりと開く。踏み込んできたのは、黒と深緑の戦闘装束に身を包んだ2人の男女袖口には同じく組織ブルーノートの紋章が輝いている。

 一人目は紅髪の私よりも少し年上の女。笑みを浮かべ、腰に携えた双剣に手を置き余裕な態度だ。

 二人目は銃を肩から降ろした中肉中背の男。


「今回、悪魔祓いに参加してもらうエクソシストたちだ」

「カノン フラウト、よろしく」

「あんたがカノン フラウト? 話には聞いてたけど……

 ふーん、どんな奴かと思えば小娘じゃない。私はリアナ。カノンちゃん、外にいるのはカレシ?

 旅行気分とは随分と余裕なのね」


「ユ、ユアンです……! あ、よろしくお願いしますっ……!」


 肩が縮こまりそうな勢いで頭を下げる。どうやら新米らしい。

 私は目を疑いたくなる。自信過剰と弱気な新米。

 サーカス団と言われても驚きやしない。私は出かけたため息と言葉を飲み込んでこらえる。


「能力を教えてくれるかしら?」

「ぼ、僕の能力は―—」

「おっとユアン君、カノンちゃんは探偵なんだからお得意の推理でもうお見通しよ。きっとね!」


 チームプレイは期待できないらしい。

 プレトニェフが吹き込んだか、それとも私の悪評が組織の隅々にまで浸透しているのか。


「タイムリミットは2時間。それまでに悪魔の発見および陽動をしろ。

 くれぐれもなエクソシストの足は引っ張らないでくれたまえ」

「ではしないように近くでタクトでも振ってくださる?」


 私はわざとらしく肩をすぼめてプレトニェフの顔をのぞき込む。案の定、彼の顔は熟れたトマトのように赤く膨れる。


「作戦は明朝日の出とともに決行する。その減らず口が作戦終了後も聞けることを期待しよう」


 私はわざとらしく口角を上げながらテントを出る。ため息を一つつき、周囲に目をやるとテントの布に耳をくっつけて中の会話を聞こうとしているカインがいた。


「し、師匠⁉ おかえり…なさい」

「バカ弟子め、行くわよ」

「相も変わらずの扱いですよね。師匠、過去に何やらかしたんです?」

「見当がつかないわね」

「ですが納得できませんよ。いくら皮肉屋で面倒くさがりとはいえ、吹っ掛けてきたのはあっちじゃないですか。

 それに、戦いに行く人に対しての態度じゃないですよ」

「無粋な会話劇ダイアローグには興味ないわ。言わせておきなさい」


 そよ風に乗せて吐き捨てる。

 声を荒げれば同じ穴の狢、沈黙すれば都合よく利用される。

 どちらにせよ、組織の人間とは相いれない。


「それに、優雅に舞えばオーディエンスが花束をくれるかもしれないしね」

「まったく、そうやって身勝手なアドリブばかりやるから組織に嫌われちゃったんじゃないんですか?」

「さあね」


 風になびく髪を抑え、沈みゆく太陽を見守る。通り過ぎていく風が、木々のせせらぎがざわめく心を隠していく。

 今は忘れよう、尾を引く疑問を。後ろ髪を引かれる根拠なき不安を。

 私は用意されたテントへ行き、長旅で疲れた身体をベットへ投げる。

 唐変木になった身体は横になった瞬間、ゆっくりと体のスイッチを切っていく。

 外ではまだ誰かが怒鳴っていた。無線の音、足音、金属の軋み。

 それらすべてを遠くに感じながら、私はまぶたを閉じた。

 明日がくる。

 望もうと望むまいと、それはやってくる。

 だからせめて、眠れるうちに眠っておこう。

 ——嘘の羽衣を脱ぎ捨てる、わずかな時間のために。


 ※


 カノン師匠が床に就いてから数時間が立った頃。

 俺はカノンが眠るテントの傍で寝ずの番をしていた。

 目の前に置いたステンレス製のマグカップの底にはうっすらと黒いしみが残る。深夜とは言えど、警察官とブルーノートの職員の喧騒が収まることはない。


 しかし、まだ幼いせいかいくら騒がしかろうと眠くなってしまう。

 うとうとと舟をこいでは目をこすり、ミントタブレットを口にほおって眠気を紛らわす。

 耳にはめたワイヤレスイヤホンからは激しいドラムと、変則的なベースが特徴的なロックが流れている。


 「作戦までまだ時間はある。君も休んだらどうだ?」

 「ロベルトさん?」

 

 イヤホンを外し声のする方向に顔を向ける。

 そこにはロベルトさんがマグカップを二つ持ってカインを見下ろしていた。

 差し出されたカップを受け取り、一礼を述べて中身を啜る。

 インスタント特有の焦げ臭さと、やや酸味の強い苦みがのどを滑り落ちる。これが口の中に残ったミント香と混ざり合い、酷いハーモニーを醸し出した。


「師匠の朝の支度をするのも僕の務めですから。

 それに、万が一の時は、起こさないといけませんし」


 椅子の傍に置いた旅行鞄をゆっくりとなでる。その中には茶器一式が詰まっている。

 師匠は毎朝、必ず1杯の紅茶を飲む。

 それが彼女の一日の始まりである。

 彼女はレトルト食品が好みではない。できることなら口にするものは出来立てでありたいほどに。

 しかし切羽詰まった現場ではそうはいかない。

 だからこそせめて一杯の紅茶だけは守ってあげたいのだ。


「献身的だな」

「自分にできることをしているだけです」


 俺は揺れるコーヒーを見つめながら小さく笑う。

 ここにいることに居心地の悪さを感じていた。なぜなら自分には師匠を起こし、一杯のお茶と朝の支度以外に役割がない。

 ここにいる多くの人は自分の役割を全うしようと今も動き続けている。

 諜報局のロベルトさんだってそうだ。

 文字通り悪魔とその契約者に関する情報を事細かに調査し、師匠たちエクソシストへ提供する。その仕事はエクソシストと同様に危険と隣り合わせだ。


「しかし意外だったな、君たちは組織の仕事を受けないと聞いていたが」

「そうですか?」

「『カノン・フラウトは属さず命令を聞かない問題児トラブルメーカー』組織の中じゃ有名だ」

「否定できません……けど悪い人じゃないんですよ!

 口は悪いですけど強いですし、受けた仕事はしっかりこなしますし」

「たしかに彼女は強い。本来複数人で行う悪魔祓いを一人でやり遂げるのだから。

 だが、強ければ許されるわけではないよ。実際、君のような弟子を彼女に送ることはしないのだから。」


 ——異端。

 ロベルトさんが遠回しに言おうとしている言葉を察した。

 実際師匠がフリーランスを許されているのも、俺を弟子として傍に置いているのもマレットさんの庇護があってこそのものだ。傍から見ればその傍若無人さは異端者のレッテルを張られてもおかしくない。


「カイン君、君はなぜフラウトの助手をしている?」

「師匠のようなエクソシストになるためです」

「エクソシストを目指すなら奴の下に居ずともブルーノートの育成プログラムに参加すればいい」

「——助けられたからじゃダメですか」


 一瞬、全身に電流が走る。その言葉で先ほどまであった眠気が失せていった。

 山裾から流れる冷気に逆らうように俺の身体は沸々と煮えたぎる炎のように熱くなる。


 目に自然と力が籠る。——口を自然と結ぶ。

 どんな顔をしているか俺自身わからない。

 ——だがロベルトの一瞬強張った表情が写し鏡となっていた。


 「僕には師匠に助けられる以前の記憶がないんです。どんな家に生まれたのか、両親の顔すら覚えていやしない。

 そんな僕に師匠は手を差し伸べてくれた。

 空っぽな僕にはそれだけで十分な理由です」

「すまない、気を悪くさせてしまったな」

「いいえ、こちらこそごめんなさい」


 ※


 近づく足音。起こすまいと気を使った足取り。

 私はゆっくりと体を起こし、音の方向を見る。


「おはようございます、決行時刻2時間前です」

「おはよう、カイン」

「朝食をもらってきています。お茶もありますよ」

「——インスタントはイヤよ」

「お茶だけはちゃんとしたやつですよ」

「ありがとう。ふわぁ……」


 私は鈍い体を起こす。

 そしてカバンの中から皴一つないカッターシャツとズボンを取り出す。そして仮設の洗面台で顔を洗い化粧と髪を整え、身支度を終えテントの外へ出る。

 空はまだ蒼く夜と朝の境目にある。

 山裾を流れる冷たい風が、寝ぼけた体を容赦なく叩き起こす。

 空には雲一つなく、風に湿り気はない。

 目を覆いたくなるほどのビロードだ。


 朝食をほおばり、ティーカップに口をつける。

 舌に広がる複雑なコントラストはいつもの紅茶そのものだ。

 苦みと渋みそしてフルーツのような甘みがざわめきを落ち着かせる。


「師匠、武器装備の点検終わりました」


 私はテーブルの上に広げられた武器を順番に装備していく。氷の嬢王を差す、革手袋をはめる。

 そして立て掛けてあるコートを羽織れば準備は完了だ。


「ご苦労様、インカムは常に装備しておきなさい。いつでも出れるように」

「はい」

「最終確認終了。カイン、付き合いなさい」

「承知しました」


 私たちは準備運動という名の軽いスパーリングを始める。戦いの勘を呼び覚まさせるように少しずつスピードと威力を上げてゆく。

 強制的に起きた感覚をより正確により鋭敏に研ぎ澄ましていく。


「あら、朝からお盛んね」


 私は寸止めでカインへの攻撃を止めて声のする方向へ振り返る。その甲高い声の主はリアナだ。


「おはよう、今日はよろしく」

「——その化粧、正気?彼氏といい格好といい、ふざけてるの?」

「ッ——!」


 言い返そうとするカインの肩をやさしく掴んで静止させる。彼の事だ。私がひどく扱われることに腹を立てたのだろう。

 しかし、ここはおまえの出る幕じゃない。


カインコレは弟子よ。それと人のメイクにケチをつけるなんて淑女としていかがかしら?」

「弟子?探偵ごっこの次は師弟ごっこ?妄想も甚だしい。フリーランスなんて言ってただの——」

だったかしら?

 まあ、お互い生き残ったらこの話の続きをしましょう?」

「フン、泣きついても知らないわ」


 へそを曲げたようにリアナはテントの方向へ歩き去っていく。私は近くに置いたボトルを拾い上げ、中のスポーツドリンクを流し込む。

 乱れた髪を直す。

 気温が落ち着いているせいか汗はかいていない。


「すっごく腹立ちます」

「言わせておけばいい。行ったでしょう結果を御覧じろと」


 カインは煮え切らない顔をしているが、タオルで顔を拭き不満を吹き飛ばす。

 ―—作戦開始30分前。

 私たちはブリーフィングのために作戦本部へと向かった。

 作戦本部に到着すると、リアナとユアンそしてプレトニェフがすでに到着していた。

 昨日の装備に加え御大層なプロテクトを装着し準備は万端らしい。だからか、私のフォーマルな恰好を見てユアン以外は冷たい視線を送る。


「きょ、今日はお願いします」

「よろしく」


 冷めた視線など気にもしない。私は私のできることをやるだけなのだから。こぼれたミルクが床に広がるように蒼い空が白んでいく。

 私は左ポケットの中にしまっていた黒いルークの駒を強く握りしめる。

 劇場の幕を上げるように夜の戸張がゆっくりと開けていく。

 静寂の終わりを告げるように。




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