長い1日、終わり始まり 6
いそいそと洗い物を進めながら、ふとテレビ画面に目を向けるわたし。
画面には二人の女性が映し出されていて、口論めいたようすで激しく言い合っている。睨むような目つきを見るに、口ゲンカをしているもよう。お互い眉間にシワを寄せていて、不快そうな表情を浮かべている。
朋花に倣うようにテレビを眺めていると、片方の女性がもう一方の女性をビンタした。頬を叩いたときの乾いた音が、スピーカーから聞こえてくる。ぱちん。
「え……」
おもわず、戸惑いの声がもれる。
うっそ、いきなりビンタ?
いきなり過ぎるんですけど。まだテレビ観てから三十秒も経ってないのに。ワテクシ、まだ話の流れすら掴めてないですのに。
アップで映し出される一人の女性。瞳が溢れそうなほどクワっと目を見開いて、縫い付けられたように相手を睨みつけている。怒りの色が見て取れるほどに険しい表情。
おなじくテレビ画面を眺めている朋花に、わたしは「なんのドラマ?」と訊いてみる。
「恋愛ドラマだよ。最近わりと人気のヤツ」と朋花が言った。「不幸な出自の幸薄めな美少女主人公が、悪い女たちにイジワルされながらも懸命に生きる〜……みたいな?」
淡々とした口調で話す朋花。スラスラと澱みなく解説するところを見るに、だいたいのストーリーは把握しているようす。
「恋愛ドラマかぁ……」
ひとりごとのように呟くわたし。
恋愛系のドラマ、あんま観ないなぁ。
ってか、そもそも日本のドラマを観ない。海外のドラマとか映画だったら、たまにサブスクで観るんだけどね。
一時期、韓流ドラマにハマってたときとかあったなぁ。サジェストに勧められるまま、何個もドラマ観てた記憶ある。ぶっ続けでドラマとか観てると、気づいたら深夜になってるよね。寝るタイミング逃しちゃうヤツ。サジェスト機能の魔力。
さらに解説を続ける朋花。
「ストーリーは結構ありきたりかもね。このあと出てくるイケメン御曹司くんに助けられて、晴れて幸薄な主人公ちゃんは幸せを手にするのだ〜的な感じだし」
「あ、そうなんだ」
たしかに、典型的なシンデレラストーリーって感じかも。
視聴者の同情を誘う幸薄な設定に、唯一の味方はイケメンの御曹司くん。
悪女たちからのイジワルに見舞われながらも、懸命に生きる主人公に救いの手が差し伸べられる。やがて資産家の王子さまと結ばれたお姫さまは、その後も幸せに暮らすのでしたチャンチャンのアレ。
主人公ちゃんをイジメてた悪女たちが、悔しそうに歯噛みするところまでがセット。ハンカチを噛みながら「キィーッ!」って悔しそうにするのがお約束だよね。ちょっと表現が古すぎ?
「女の嫉妬は怖いよねぇー」と朋花が言った。「ドラマで観てるぶんにはいいけど、現実にあったらマジたまんないでしょ。女同士のケンカは犬も食わないって言うしさ」
「夫婦喧嘩は、ね」
さらっと訂正するお母さんに、朋花が軽やかなトーンで返す。
「そうとも言う〜」
気づけば、三人ともテレビを観ている。画面に釘付けになる二人の姿を、わたしはキッチン越しに眺めた。
もの憂げに頬杖をつきながら、ため息まじりにお母さんが言う。
「でも確かに、女の嫉妬ほど面倒なものはないわよね」
困ったように笑いながら、さらに言葉を続けるお母さん。
「恋愛がらみの面倒なトラブルとか、友だち同士で陰口言い合ったりだとか。別のグループの子と仲良くした途端、次の日から素っ気ない態度とられたりね」
お母さんの声のトーンが、どこか憂鬱めいて聞こえた。
年長者は語る。
もしかしたら、お母さんにも経験あるのかも。
嫉妬とか、やっかみとか。いわれのない誹謗中傷とか、身に覚えのないウワサ話とか。
今朝も似たようなこと思った気がするけど、なまじルックスが良いと妬まれやすいよね。『嫉妬』っていうナイフを首に突きつけられて、とたん身動きが取りづらくなっちゃう感じある。無言の圧力で脅される感じというかね。あ、個人の感想です。
「あー、そういうのあるよねぇ」と朋花が言った。「あたしも小学生のころ、そんな感じでグループから外されたことあったわー」
「え、そうだったの?」
初耳なだけに、おもわず間の抜けた声が出た。調律がズレたピアノの音さながらに調子はずれの声。
こくり、と一つ頷く朋花。
「うん。あったあった」
「えと……そのとき、どうしたの?」
言葉を濁すような訊き方。おそるおそる。
あっけらかんとした朋花の態度に戸惑いつつも、わたしは輪郭をボカすように曖昧に訊ねてみる。
「や、そりゃ『アンタたちのことなんか知るか』って言ってやったけど?」
さも当たり前かのように、表情を崩さずに答える朋花。
「へ、へぇ……」
つ、つおい……。
うちの妹、すごく強い。メンタルお化け。
「ほかに受け入れてくれるグループがあったから、そっちの子たちと仲良くするようになったなー」
ケロリとしたようすで、さらに言葉を続ける朋花。
「元のグループの子からネチネチ言われることあったけど、あたしは別に気になんなかったかなぁ。正直、どうでもいいし」
「そ、そうなんだ……」
あっけらかんとした態度で話す妹に、わたしは思わずたじろいでしまう。
す、すごい……。
うちの妹ちゃん、メンタル強者なんだね。
豆腐さながらに弱々なおにえちゃんとは違って、修羅場を経験したすえに強い心を手に入れたのかも。社会の荒波に揉まれるなかで、だんだんと強くなったんだね。ワテクシ、参考にさせていただきますわ。
朋花先生のメンタル講義を、ありがたく拝聴するわたし。月々の受講料、おいくら万円です?
「朋花、強い子だね……」
わたしの言葉を受けて、こてんと首を傾げる朋花。
「え、そう?」
「あとでヨシヨシしてあげるからね」
「子ども扱いしないで!」
ムッとした顔で反論する朋花。ぷりぷり怒る仕草が可愛らしい。
かまわず、わたしは続けて軽口を叩く。
「じゃあ、ひまわりの種を……」
「ハムスターじゃないから!」
朋花の力強い声がリビングに響きわたる。
一連のやり取りを見ていたお母さんが、そっと口元に手を当てて控えめに笑う。忍び笑い。
拭き終えた食器を棚に片付けて、手を洗って洗い物を終えるわたし。
キッチンから離れてリビングへと向かう途中で、お母さんが「お疲れさま」と声をかけてくれた。ねぎらいの言葉を受けて、わたしは一つ笑みを返す。
立ったままテレビ画面を眺めるわたし。
ドラマは先ほどよりも話が進んでいて、液晶画面に映る女性の人数が増えている。
いまにも掴みかかりそうな勢いで対峙する女性たち。あいかわらず口ゲンカを繰り広げているようすで、スピーカーからは金切り声にも似た音が聞こえてくる。耳をつんざくような荒々しい声。不協和音。
ヒステリックな声って、すっごい耳に響くよね。『耳を刺す声』って感じがする。あ、個人の感想です。
「ケンカって、やるのも見るのもヤだよね……」
テレビ画面をジッと眺めながら、ひとりごとのように呟くわたし。
ワテクシ、ケンカ嫌いです。
口ゲンカはモチロンだし、殴り合いなんてもってのほか。他人が殴り合ってるところなんて、正直わたしはお金もらっても見たくない。
他人が喧嘩してるとこ見ると、しぜんと身体がこわばってくる。声を荒らげたりとか胸ぐら掴んだりとか、暴力的なシーンに出くわすと身体が萎縮する。胸が締め付けられる感じっていうか、とたん頭が働かなくなる感じっていうかね。
「葵は昔から、他人との争いを嫌うわよね」
お母さんの言葉に、ひとつ頷いて返すわたし。肯定を示すジェスチャー。
「まぁ、あんま好きではないかな……」
わたしは好きじゃないけど、男子には格闘技ファン多いよね。
オスの闘争本能なのか分からないけど、殴り合ってるところ見ると興奮するみたい。クラスの男子が楽しそうに格闘技の話してるとこ見たことある。ただ戯れ合ってるだけの遊びがエスカレートして、取っ組み合いのケンカに発展する流れも見たことある。
なんか『さいしょは遊びだった』って言うと、どことなく恋愛っぽいムードただよってくるね。「さいしょは遊びのつもりだったのに、気づいたらアノ人のこと……!」みたいなヤツ。ロマンス映画にありがちのアレね。
まぁ、そんな甘いムードないけどね。
男子同士の殴り合いのケンカだから、甘い雰囲気は微塵もないんですけどね。むしろ、暑苦しいくらいかもですけれども。
サッカーとか野球と同じように、スポーツ感覚で観てるのかもね。『殴り合うスポーツ』っていうのが、わたしは感覚的に理解できないけど。血が出るとか青タン作っちゃうとか、痛々しいものを見るのはツラいのです。こなみかん。まる。
「お姉ちゃん、平和主義だもんねー」
「そう、かな……?」
煮え切らない声を返すわたし。
平和主義、なのかな。
ただ単に、争いがキライってだけなんだけど。誰かをケンカに巻き込むのもイヤだし、巻き込まれたくもないってだけなんだけど。逃げ腰なだけの感じもするけど、それ平和主義って言っていいのかなぁ?
捉え方によっては、弱虫って思われちゃいそう。『臆病者』とか『チキン』みたいなね。鶏肉。
争 "え" ないと争 "わ" ないって、月とスッポンかってくらい明確に違うもんね。対抗手段を持たない人が言う『平和主義』って、ただの理想論っていうか机上の空論だったりするから。あえて悪く言えば、ただのキレイゴト。
わたしが個人的に好きなのが、永世中立国をうたうスイスの話。
じっさいスイスって、ちゃんと国防にお金を使ってる。なにかのキッカケで他国に攻撃を仕掛けられたとき、きちんと対抗できるだけの武力を自国で確保してる。
武装。
徴兵制。
軍備の増強。
軍事施設の配備。
傭兵の派遣と徴用。
それから、地政学上の緩衝地としての特異的な立地。
有事のさいの防衛手段を持っているからこそ、どこの国の争いにも参加しないでいられる。『中立』っていう平和的な立場を取れるのは、やられたときにやり返せるだけの軍事力を持ってるから。泣き寝入りせずに済むほど武装・軍装してるからこそ、敵にも味方にもならないっていう一匹狼を気取れるんだって。前に読んだ本に書いてあった。
強いからこそ、平和を守れる。
盤石な軍事力があればこそ、中立を謳っていられるんだね。
まぁ、一説に過ぎないけど。本とかネット記事で読んだフワフワ知識でしかないですけどね。
お母さんが会話に参加する。
「あんまり朋花ともケンカしないわよね、葵は」
「あー、たしかにねぇ」と朋花が返す。「つっても、あたしもお姉ちゃんとはケンカしたくないけど」
「喧嘩するの、疲れるしね」
わたしの返答を受けて、うんうんと頷く朋花。肯定を示す動き。赤べこ。
「わっかるぅ〜。無駄にエネルギー使うよねぇ」
「そうそう」
わたしもコクコクと頷いて、朋花の言葉に共感を示す。
感情を爆発させるときって、ほんとエネルギー使うよね。「むきーっ!」って怒った後とか、なにもしたくなくなるくらい疲れちゃう。あれ、ちょっと苦手。
ニガテっていうか、むしろ嫌いなくらい。
理由はシンプルで、単純に『疲れる』から。喧嘩することにエネルギー割くくらいなら、わたしは本の一冊でも読んでたいかもだなぁ。だれかと争うことにリソースを注ぐより、もっと有意義なことに労力を使うほうが合理的。時間もエネルギーも有限ですから。なんて、合理主義を気取ってみる。
まぁ、それは皆んな同じなんだろうけど。
わざわざ争いたい人なんて居ないよね。やむにやまれず、仕方なくケンカしちゃうってのが実情だと思われます。たぶん。きっと。
ってか、表現が古い?
いまどき「むきーっ!」て怒る人いないよね。
昭和後期〜平成初期にかけて使われた漫画的な表現で、ぷりぷり怒りを表現する人そうそう居ないはずだよね。「藤子・F・不二雄じゃないんだから」ってツッコまれちゃいそうだよね。ツッコまれちゃいません。
「そもそも、喧嘩にまで行かないんだよねー」と朋花が言った。「ケンカになりそうなとき、いっつもお姉ちゃんのほうが先に折れるからさぁ」
「そうだっけ?」
わたしが思わず聞き返すと、朋花はコクリと一つ頷いた。
「そうだよぉ。お姉ちゃん、急にスッと大人になるんだから」
「ふぅん……?」
曖昧に相づちを打つわたし。
へぇ、そうなんだぁ。
朋花のなかでは、そういう認識なんだね。
ケンカになる前に先に折れるのって、ただ単に打算的なだけの気もするけど。あらかじめ対策を打つっていうか、トラブルを未然に防ぐっていうかね。火の手があがってからじゃ遅いから。りすくまねじめんと。
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