長い1日、終わり始まり 4

 視線を下に落として、胸部に目を向けるオレ。

「……」

 鏡に映るのは、なだらかな山。

 肌色の膨らみ。胸に付いた二つの丘陵が、一糸まとわぬ姿で鏡に映る。

 や、やばっ。

 なんか、見ちゃイケナイもの見てる気がするっ。

 とたん罪の意識に襲われて、ふいっと視線を逸らすオレ。視界の端に映る自分の姿に気を取られつつも、鏡を見ないよう魚のごとく視線を宙に泳がせる。

 どくどく、どくどく。

 高鳴る胸。

 胸打つ鼓動。

 けたたましく跳ねる心臓。

 心臓、うるさい。めっちゃドクドクいってる。

 胸の奥で太鼓みたいな音ドンドコドンドコ鳴ってる。心臓が太鼓の達人みたいな爆音かき鳴らしアゲインなんですけど。どんどん、かっかっ。

 ど、ドキドキする。

 自分の身体なのに。自分の身体を鏡で見てるだけなのに。

 そういえば、自分の身体を直に見るの初めて。今朝は朋花に下着を着せてもらったし、まじまじと眺めるほどの余裕なかったし。自分のハダカを見るの、なんだかんだ初じゃない?

 薄目をあけて、そぉ〜っと鏡に目を向けるオレ。

 少しばかりの緊張と罪悪感を覚えつつ、あられもない自分の姿を鏡で確認する。覗き魔さながらの気分。

 や、知らないけどね。

 覗き魔の気持ちなんて、ワテクシ知りませんけど。

 そんな、マンガとかアニメでは許されてるけど現実でやったら一発アウトな女性の入浴シーンを覗くみたいなこと人生で一度もやったことないですけど。ほ、ホントだからね?

 視界に映り込む自分の姿。

 上半身だけを映す洗面台の鏡に、一糸まとわぬ女性の姿が映り込む。すっぽんぽん。

 や、まだ下は穿いてます。すっぽんぽんではないです。

 そんな、死語に認定されちゃいそうな勢いの『裸を表す日本語の表現』でお茶を濁そうったってダメなものはダメです。現代っ子に伝わんないから。ワテクシの良心が咎めますから。

 あらためて、鏡に映る自分の姿を見る。

 大きな胸。二つの膨らみ。

 ボリュームのある大きな丸みが、自分の胸に二つくっ付いている。

 思わず、胸部に注意が向いてしまう。ボールのように弾みそうな二つの膨らみに、糸で縫い付けられたかのように目を引かれる。

 好奇心に駆られて、そっと胸に手を伸ばすオレ。そぉ〜っと。

「……」

 二つの山に触れる直前で、ピタッと動きを止めるオレ。なけなしと良心と道徳心が、好奇心という魔物の手を止めた。

 い、いや。

 すとっぷ、ストップ。

 ちょっと待って。うぇいと・あ・もーめんと。

 触って大丈夫かな。

 そりゃ、自分の胸だけど。自分の身体に付いてるものだけどさ。

 麻衣みたいに他人の胸もぎゅっとするわけじゃないし、ハタから見れば女の子が自分の胸を揉む絵面なわけだし。

 第三者視点で見れば、女子が自分の胸もぎゅっとしてるだけ。健全を地でいくような動作だし、やましいことなんて一つもないから。「自分の胸もにゅもにゅして、あの娘なにやってんだろ?」的なツッコミはあるかもだけどさ。

 いちおう、法には触れないはず。

 法律的にはギリギリ合法っていうか、訴えられる可能性は低いと思われます。

 訴えられたとしてもギリギリ勝訴。裁判官も女子高生には甘いだろうから、きっと生ぬるい温情にあずかれるはず。多分ね、たぶん。

 か、確認作業ですから。

 なにかあってからじゃ遅いしさ。ちゃんと自分の身体について知っておかなきゃじゃん? ねっ?

 これは確認作業。やましい気持ちなんか1ミクロンもないんだから。毎年のように飛沫量を増やす花粉さながらの勢いで、好奇心がムクムク膨れ上がってるのは気のせいのはず。確実に気のせい。『気』が悪い。完全に悪者。ぷーちん。

 心のなかで、ぐだぐだと自己弁護をくり返すオレ。

「よ、よし……」

 意を決して、鏡をジッと見つめる。姿見に映る自分が決意を固めたような顔をしている。

 これは合法、これは合法……。

 捕まるわけじゃないから大丈夫。朝のニュースで報道されたりしないから……。

 自分を正当化するための言い訳を立ち並べつつ、ぷっくりとした山の頂に向かって手を伸ばすオレ。山頂アタックです。

 胸に触れたとたん、嬌声にも似た声がもれる。

「ん……っ」

 艶っぽい声が出ると同時に、ぴくんと小さく跳ねる身体。そよ風のような息が鼻からもれた。

 ちょ、ちょっとっ!

 変な声もらさないでください。まるでオレが犯罪まがいのことしてるみたいじゃないですか。手錠がちゃんこ。

 気を取り直して、胸の感触を確かめるオレ。

 自分の胸に付いた二つの膨らみに直に揉んでみる。下から持ち上げるようにしたり、手のひらで包み込むようにしたり。もにゅもにゅ。

 わ、しっとり。

 吸い付くような肌。指が胸に沈み込む。

 今さらだけど、けっこう重量感ある。ずっしり来る感じの重み。胸に小ぶりのスイカが二つくっ付いてるみたい。

「おぉー……」

 思わず、感嘆めいた声がもれる。

 わぁ、すごぉい。

 人体の神秘。人間の身体ってフシギ。

 ずっしりと重みは感じるけど、触れた感触はスライムみたい。『脂肪のカタマリ』って表現がジャスト・ミート。ちょうど肉。

 けっこう弾力もある。今朝みたいに布越しで触るのとは違って、直に触れると柔らかいボールっぽい手触り。よく弾むボールみたいに指を跳ね返してくる弾力。『若さ』ってスゴいねー?

 ふいに、身体がブルっと震える。

 さすがに、上裸のままだと肌寒い。時期的に暖かくなってきたとはいえ、裸で過ごせるほどの気温はないもよう。ふつーに寒い。

 あぁ、ほら。

 鳥肌立っちゃってるし。

 すっかり身体が冷えちゃって、チキン肌ブワってしてるじゃん。

 オレ、ひとりで何やってんだろ。脱衣所で胸もぎゅっとしてる場合じゃないっての。ふっつーにカゼ引いちゃうから。悦に浸ってないで、はやくお風呂はいろ。

 下に穿いているショーツを脱いで、洗濯ネットに入れてカゴに放り込む。

 浴室のドアを開けて、お風呂場に入るオレ。そっと後ろ手に扉を閉めてロックをかける。カギをかけるときの無機質な音が、静けさを溶かす浴室内に響きわたる。がちゃんこ。

 足場、濡れてる。母さんが先に入ったのかな。

 まだ熱気が残ってる感じもするし、脱衣所よりも若干あったかい気がする。

 ハンドルをひねって水を出すオレ。温かくなるまで待ったあとで、温水のシャワーを頭から被った。思わず、ほっと息をつく。

 タイル貼りのバスルーム。

 蒸気がこもった浴室で、シャワーを浴びるオレ。

 身体を伝う温かな水。シャワーヘッドから噴き出される温水が、日中の疲れまで洗い流してくれるかのよう。汗と疲労感が溶け出した水が太ももから膝下へと伝い落ちて、ぴちゃぴちゃと音を立てながら排水溝へと吸い込まれていく。

「はぁ……」

 シャワーを浴びながら、そっと溜め息をつくオレ。

 身体、自分で洗うんだよね。

 や、当たり前だけど。すっごい当たり前なんだけどね?

 で、でも……その、ちょっと刺激が強いっていうかさ。オレ、昨日まで男だったわけだしさ。思春期まっただなかの男子高校生だったわけだし。

 性に目覚め始めた思春期男子の脳みそのままだと、さすがに刺激におぼれちゃいそうかなって思うよね。ノルアドレナリンとかドーパミンみたいな興奮性の神経伝達物質が、喜び勇んで渦巻きみたいに脳内をグルグル駆けまわるような気がするしさ。そういうの、あると思います。あ、あるよね?

 無心。

 無心でいきましょう。

 だいじょぶ。きっと大丈夫だから。

 オレ、もう初めてじゃないもん。さっきも、自分の胸にあるスライムもにゅもにゅしたもん。今日で、胸揉みバージン卒業したんだもん。かるだもん。

 今朝だって、麻衣に胸もにゅっとされたから。

 更衣室で着替えてるときも、廊下で鈴木と話してるときも。今日、二度にわたって胸もぎゅイベント起きたから。

 平気、平気だって。罪深き幼なじみが起こした『胸もぎゅっと腕に押し付けられ事件』の際に経験した悟りをひらいたブッダさながらに心を無にしたときのロボットみたいな感覚を思い出せば平気。心の長文。

 衆人環視のなか幼なじみに胸を押しつけられたときの「うぃーん、がしゃん。うぃーん、がしゃん」的な電池きれかけのロボットが憑依したときの感じを思い出せば無我の境地的なアレで煩悩に囚われることなく心を無にして乗り切れそうな気がしないでもないかもしれなくもないもん。日本語の乱れ。

 無に。心を無に。

 ブッダを見習って、煩悩も雑念も払って。


 こころを、むに——


 シャワーヘッドに手を伸ばすオレ。もちろん、無心。

 まずは、髪の毛を予洗い。シャワーの水を頭からかぶる。もちろん、無心。

 あらかた髪の汚れを落とし終わったところで、ディスペンサーのポンプ部分を数回プッシュ。ノズルから出てきたシャンプーを手のひらに広げる。もちろん、無神。神などいない。『神は死んだ』って、にーちぇ先生も言ってたもん。

 手で揉むように髪を洗いつつ、ついでに頭皮も優しくマッサージ。指の腹で揉み洗いしているうちに、だんだんとシャンプーが泡立ってきた。ふんわりした泡の手触りが気持ちいい。

 髪、洗うの時間かかる。けっこうボリュームあるもんね。

 男だったときは短髪にしてたから、なおのこと時間かかってる気がする。温泉みたく湯船に浸かるとかならまだしも、男の風呂なんてシャワー浴びてハイ終了だからさ。

 あ、ドライヤーも時間かかりそう。電気代ヤバい。

 ほんと、髪が長いと毎日の手入れが大変だね。全国の女性のみなさん、毎日の洗髪お疲れさまです。

 仕上げのすすぎ。

 ふたたび、シャワーの水を頭からかぶるオレ。

 髪の毛から伝い落ちる泡まじりの温水が、疲れも一緒に洗い流してくれるかのよう。ヘッドから噴き出るお湯を全身で浴びると、心までポカポカ温まっていくような気がした。

 次に洗うのは、首から下の部分。

「……」

 視線を下に落とすオレ。肌色が目を刺す。

 浴室を照らす電球の光を受けて、水で濡れた身体が艶やかにツヤめく。

 途端きまりが悪くなったオレは、ラックに顔を向けて視線を逸らす。ふいっと。恥ずかしくなって目を逸らす思春期男子のソレ。

 目を刺す光沢に誘われるように、金属製のハンガーに手を伸ばす。壁にかけられた垢すりタオルを手に取って、ボディーソープのポンプを数回ほどプッシュ。わしゃわしゃと揉むようにして、アカスリに溶けた石けんを泡立てる。

 じゅうぶんに泡立ったところで、首から下を洗う準備がととのう。準備完了。じゅんび、かんりょう……。

 ふたたび、目線を下に落とすオレ。

 視線の先には、水に濡れて艶めく肌色。蜜の甘い誘惑に惹き寄せられるミツバチさながらに、ゆっくりと手に持ったアカスリを上体に近づけるオレ。そぉ〜っと、そぉ〜っと……。

 ボディーソープを泡立てた垢すりタオルで身体を洗うとき、むにむにと柔らかな感触が神経系を通じて全身に伝うとともに、何やら自分の口から発される声とは信じたくない淫猥なハイトーンが聞こえたような気がしたけど、多分それは間違いなく気のせいであってオレのノドからカエルみたいにピョコンって飛び出した声では決してないはずだって今オレ無心で身体を洗ってただけだもんお風呂に入ってて声を出すことなんてないじゃん普通あえて言うなら一人カラオケおっ始めるときくらいのもんじゃないのお風呂場で声を出すときって熱唱ひとり大熱唱そういえば女子のあいだで流行ってる曲とかあるのかな是非とも教えてもらいたいな今は女の子なんだから最近の流行とかに興味を持つのは自然な流れだと思うんだよねホントそう思うから明日あたり麻衣に聞いてみよっと楽しみだなウフフそれで今日のことは忘れよう忘れちゃおうよウフフのアハハってかマジさっきから頭から湯気が出そうなくらい身体が熱いんだけど何コレもしかしてシャワーからマグマ的なもの出ちゃってませんか全身すっぽんぽんで溶岩を身体じゅうに浴びる女子高生の図だよレアだねユニークだね不思議な生き物だねハハッ⤴︎⤴︎(注:某ネズミの高笑い)。


 罪悪感に後ろ髪を引かれながら、オレはのぼせた頭で浴室を後にした。

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