また、どこかで。

夕凪あゆ

第1話

桜の匂いがする放課後の教室には、淡い橙の光が差し込んでいた。風に吹かれ、カーテンが揺れている。

机に映る影がゆっくり伸びて、黒板の白が少しずつ金色に変わっていく。


私はノートを閉じながら、ちらりと横を見た。

彼は、いつものように窓際の席で、チョークの粉を払っている。

掃除当番でもないのに、黒板を丁寧に拭く癖がある。

そういうところ、昔から変わらない。


「帰るの?」

と、さりげなく聞いてみる。


「うん。……君は?」

…彼が聞き返してくるのは予想外だったかも。

「もうちょっと。数学のプリントまとめないと」


当たり障りのない会話。

でも、その中に、伝えられなかった何かがいつも漂っていた。

たぶん彼も、気づいている。

けれど、どちらも踏み込もうとしない。

まるで、壊れやすい硝子を間に置いたみたいに。


風が吹いて、カーテンがふわりと揺れる。

その向こうで、夕陽がゆらいだ。

私は一瞬、彼の名前を呼びかけそうになった。

けれど、声にならなかった。

それが、いつもの私だった。


――


夏の終わり、文化祭の準備で遅くまで残る日が増えた。

他のみんなはあまり準備しに来ないため、作業で二人きりになることもあった。

だから、この時間が永遠のものになる事を望んだ。

そんな叶いようのない願いを。


秋が来るころには、

彼の隣に、別の誰かがいるようになった。

同じクラスの女の子。

休み時間に一緒に話している姿を見た瞬間、

何もしていないのに、置いていかれた気がした。


「ねえ、最近あの子と仲いいね」

と、勇気を出して言った日のことを、今でも覚えている。

「うん、まあ……話しやすいからかな、お前も話せば良いじゃん。」

その言葉に、彼の笑顔がにじんだ。

私は無理に笑い返して、

それ以上なにも言えなかった。


――


冬の朝、雪が降った。

登校途中、偶然、駅で彼を見かけた。

隣には、あの子がいた。

席を隣にして、2人で笑い合っていた。


その光景が、胸の中の硝子を静かに砕いた。

ただ、冷たい風が、痛いほど頬を刺した。


その日を境に、私は彼とほとんど話さなくなった。

私が話したくないと思った。

でも、教室でふと目が合うと、

彼はいつも通り優しい目をしていた。

それがかえって、苦しかった。

どんなに私が君に恋していようと、運命の神様はそう簡単に微笑んでくれない。

その事実だけが私の心を蝕んでいる。


――


卒業式の日。

配られた卒業アルバムの裏表紙に、

彼の字で一行だけ書いてあった。


「また、どこかで。」


短い言葉。

それなのに、ずっと心に残っている。


教室を出るとき、

私は振り返って、空っぽになった席を見つめた。

春の風が吹いて、カーテンが揺れる。


――――あの日と同じ光景だった。



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また、どこかで。 夕凪あゆ @Ayu1030

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