藤嶌古書店1


 神保町。


 東京三大古書街の一つにも挙げられ、200店舗を越える古書店のみならず、出版社や大型ブックセンターが軒を連ねる、正に「本の町」。


 その一角に、私の知り合いが経営する店がある。


 藤嶌ふじしま古書店と筆書きで記された看板は、本屋というより料亭のそれのようだ。


 過去、都内にある古書店を特集する記事の仕事があった際、こちらの店舗でインタビューをさせてもらったのが付き合いの切っ掛けだ。


 30年近く続く、中々の老舗である。


 看板の下の入り口を潜ると、古書の詰まった本棚がずらりと並ぶ圧巻の光景が目に入る。


 本棚に入りきらない本も何らかの収納家具に納められており、店の中は古い紙とインクの匂いで満たされている。


 きっと、古書店好きの人には堪らない空間だろう。


「お久しぶりです、マスター」


 店内を真っ直ぐ進むと、奥にカウンターがある。


 そこに座った老年の男性に、私は挨拶する。


「アンタは……いらっしゃい、久しぶりだね」


 老眼鏡を傾けて私を見ながら、彼は表情を変えることなくそう返す。


 まばらな頭髪に蓄えられた白髭。


 彼こそ、この藤嶌古書店の店主である。


 私はマスターと呼んでいる。


「一体全体、何の用だい?」

「実は、マスターのお知恵を拝借したくて」


 挨拶もそこそこに、早速本題に入る。


 私は、ここ最近調べ纏め上げた『イワナベミズコ』に関する資料を取り出しながら、尋ねた。


「『イワナベミズコ』……この文字に、見覚えや聞き覚えはありませんか?」


 マスターは、資料をパラパラと捲って流し読みした後、「うん……」と一拍挟み、髭を撫でる。


「見たことも聞いたこともないねぇ」

「そ、そうですか……」


 思いの外ハッキリと言われてしまった。


「もうちょっと記憶を辿ったりとか、考えていただけると助かるのですが……これだけ古今東西の本が集まる、歴史ある古書店を営んでるマスターなら、何か知ってるかなと思って来た次第なので」

「前にも言ったかもしれないけど、私は仕事で古書を取り扱ってるだけで別に本が好きってワケではないよ」


 またしてもハッキリと、マスターはそう言った。


 ……そういえば、そうだった。


 マスターは別に本が好きだから古書店を営んでいるわけじゃなく、父親である先代が亡くなった後、自分も暇だからと、その跡を継いだだけだった。


 働かなくても不動産の収入があるので、この古書店は暇潰しでやってるみたいなもの。


 店内の本などほとんど読んだこと無いし、興味も無い。


 以前インタビューに訪れた際も、開口一番そう言われて空気が凍った記憶がある。


 そこで、ふわりと香ばしい香りが漂ってきた。


「コーヒー、淹れてるんですか?」


 またしても思い出した。


 マスターは本よりもコーヒー好きで、この古書店でコーヒーを淹れながらゆったりとした時間を過ごすのが好きなんだと言っていた。


「ああ、ちょうど今し方ね。南米から良い豆が届いたんだ。アンタも飲んでかないかい?」


 思い掛けないお誘いを受け、私は「では、是非」とお言葉に甘える事にする。


「じゃ、用意するから向こうの席で待っててくれ」

「ありがとうございます」


 この古書店の奥には、一席だけテーブルと椅子が置いてある。


 私は、マスターに言われそちらへと向かった。


 すると――。


(……あれ?)


 窓辺のテーブル席。


 机を挟んで二つの椅子があるのだが、その一方に、既に一人の青年が座っている事に気付く。


 片足を折って、半分体育座りのように胸の前に持ってきており、その曲げた足を抱くように腕を回している。


 手には本を持っているので、それが彼の読書の姿勢なのかもしれない。


 髪は白髪だ。


 いや、窓から注がれる陽光を反射して輝いているから、銀髪という方が近いのかも。


(……お客さん、かな)


 このお店に、こんなに若い子がいるなんて珍しい。


 そう思いながら、私が軽く会釈すると、青年は目線だけ一瞬こちらに持ち上げ、すぐに手元の本に落とした。


「おい、ちゃんと挨拶せんか」


 そこで、マスターがやって来た。


 手にしたトレイには、コーヒーの注がれたカップが三つ乗っている。


 マスターに「さぁ、掛けて」と言われ、私は青年と向き合うように反対の席に着いた。


「ええと……」


 持っていた資料をテーブルの上に置き、私は居心地悪く目線を泳がせる。


「こいつは親戚の子供でな」


 そんな私の様子を察し、マスターが青年について説明を始めた。


「大学生なんだが、サボってばかりでいつもこの店に入り浸っとる」

「単位は取ってる」


 だから問題無い――とでもいうように、青年は口を開いた。


 大学生……ということは、二十歳近い年齢なのかもしれないけど、顔立ちも声音も、少年のように幼い印象を受ける。


「お名前、聞いても良いかな?」


 会話をする気はあると判断し、私は青年に尋ねた。


「………」


 が、青年は一瞥もくれない。


 手元の本のページが、ぱらりとめくれる。


「この通り酷い人見知りでね、全く困っとる。名前はゆうというんだが、ま、適当に“ユーレイ君”とでも読んでやってくれ」

「ゆ、幽霊?」


 マスターの口から飛び出した予想だにしない発言。


 私も思わず、戸惑いを隠せずリアクションしてしまう。


 青年も、ジロリと視線を上げてマスターを睨め上げた。


「大学の他の生徒からそう呼ばれとるんだろ? サボってばかりでほとんど学校に顔を出さない。が、単位は取得してるから存在はしてる。まるで時々大学に出没する浮遊霊。だから、ユーレイ君なんだと」


 はぁ、と鬱陶しそうに溜息を吐く青年――ユーレイ君は、手持ち無沙汰からコーヒーを啜っていた私に視線を移した。


「アンタ誰?」


 やっと会話が始まったと思ったら、余りにも無愛想すぎる質問に面食らう。


「ええと、私はフリーのライターをやってる、三星という者です」


 一応、仕事用の名刺を差し出す。


 ユーレイ君はそれを受け取り、ジロジロ眺めた後、テーブルの上に置いた。


 そこで。


 彼が、私が持ってきた資料の存在に気付き、一番上の紙に視線を走らせたのがわかった。


 ちょうど、『イワナベミズコ』という名称と、関連する怪異“真っ赤な人”について書かれた部分だ。


「ああ、ええと、今日はね、仕事……じゃないんだけど、ちょっと調べ物があってお邪魔させてもらったんだ」


 まるで言い訳するみたいに説明する私。


 何やってんだろう――と、現状に対し別の私が呆れながら心の中で呟いた、ところで。


「……“キジムナー”」


 ユーレイ君が、そう呟いたのが聞こえた。


「キジムナーみたいだね、この変なの」

「……え?」

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