バグ。

3.

 あの子に恋人ができたことを私が知ったのは、その子が誰かと付き合い出してから三ヶ月ほど経った頃のことだった。あの子が言うには、あまり言いふらされたくなくて必死に隠していたらしい。その事実を知っていたのは私たちのグループの中で一番耳ざとく、噂話に敏感な子だけだった。

 そんな、高校一年生の冬にするにはありきたりな話題は、すぐさま横に流れていった。彼氏などという存在に興味がなく恋愛のれの字も経験していない私から見れば、クラスメイトが実は付き合っていたことなど些事に過ぎない。

 へぇと興味のない相槌を一つ打って、次の瞬間にはその話題をすっかり忘れてしまっていただろう。彼女たちがいつ付き合ったんだろうねと推測立て始める間にも、私はパソコンを開いて最近取り掛かっている小説の続きを打ち込み始めている。

 ただ、今回だけは話が違った。何かがおかしかった。私は、あの子をずっと見ているあの男が不快で不快でたまらなくて、元よりどうしようもないほどに毛嫌いしていたのだ。それが、裏を返してみれば、実はあの子と付き合っていた。私の知らないところで、あの子は誰かのものになってしまったのだ。私の知らないところで、彼女は彼に愛の言葉を囁き、彼もまた彼女に同じような言葉を返していたのだろう。

 ぱち、ぱち、と脳神経が弾けて私の頭が徐々に感情を出力していくのを肌で感じた。この時の私は、ともだちとして超えてはいけない線を危うく超えてしまいそうだった。優しい彼女に、もう友達ではいられないなんて言われてしまった日には私は、私は一体どうなってしまうんだろう。少しも予想はつかなかったが、とにかく何か大きなことをしでかしてしまいそうなことだけは、よくわかった。


「なんで教えてくれなかったの」


 冷たい私の声が、彼女に棘を刺すみたいに言い放った。眉を顰めて、困ったような顔をした彼女は笑った。


「気まずかったからかな。」


 中一から高一まで、4年間もの付き合いになってくるといちいち誰々と何をして今いい感じだとかそういう話をしなくなるらしい。よくよく思い返せば、彼女は少し前の日帰り研修で、あの男と一緒に行くからやっぱりごめんね、と私との約束を反故にしたことがあった。何度も繰り返し謝られたことを不思議に思えど、私はバンドの打ち合わせか何かかと深く気に留めなかった。あの男は、彼女と同じスクールバンドに所属していた。

 バンドの打ち合わせに行く彼女が、あの男とご飯を食べる彼女が、嫌に遠く感じた。昼下がり、吹き抜ける風を一緒に浴びてくれる人は私の隣にはいない。



4.

 私が、私という存在について考え始めたのはいつからだったか。おそらく、LGBTQ+だの、なんとかセクシュアル・なんとかロマンティックだの、そう言ったラベル付けが世間一般的に知られるようになった頃だろう。自己自認がどうにも曖昧なままに育ってしまった私は、どうにか自分に名前をつけようと躍起になってその類の言葉をたくさん調べ上げた。結局、何をとってもしっくりくるものはなくて、マイノリティーにもマジョリティーにも属せない私というちっぽけな存在だけが残った。私は自分を枠組みに当てはめることもできず宙ぶらりんのまま、あの子の友達という人であるに留まった。

 一緒に映画に行って、カラオケに行って、ご飯を食べに行って、たくさんのことをした。あの子は、友達と遊ぶことも喋ることも大好きな子だった。それは、私も同じはずだった。たまたますれ違った時に私にダル絡みをして笑うあの子に言い知れぬ感情を抱いた自分を、バグみたいなそれを、私はそっと胸の内で潰した。


 私たちは、友達だった。

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