生き残った理由を、今でも探してる
ネル
戦場の朝はいつも薄暗い
短編です。約4話で完結になります。
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夜と朝の境目が曖昧な、灰色の空の下。 焦げた風の匂いと、遠くで鳴る砲声。 この景色が、いつから日常になったのか――もう思い出せない。
私は塹壕の縁に腰を下ろし、無言で銀色のパッケージを破いた。 中から出てきたカロリーバーを、淡々と噛み砕く。 乾いた音だけが耳に残る。味は、ない。
「なぁ、本当に行くのかよ」
声をかけてきたのは、整備兵のキールだった。 手には油で黒ずんだレンチ。けれど、その手が震えていた。
「お前、もう限界だろ。昨日も寝てねぇじゃないか」
「平気だよ」
「平気じゃねぇだろ!」
彼の声が、かすかに割れた。 けれど私は、ただ視線を下げる。
「……私には、戦いしかないから」
それが口癖みたいになっていた。 言葉にするたび、自分を保てるような気がしていた。
「お前はもう十分やったよ」
副官のルカが静かに言う。
「このままだと、お前が壊れる」
「……壊れてもいい」
「そんなこと言うな!」
拳を握る音が聞こえた。
彼らの表情は、怒りでも悲しみでもなく、ただ怯えていた。 私の平気が、どれほど壊れた言葉かを、みんな気づいていたのだ。
早朝。 私は見張り台の下で、空を見上げながらカロリーバーを一本かじる。 昼。 砂塵の向こうで、仲間が叫ぶ声を聞きながら一本。 夜。 崩れた壁の影で、月明かりを頼りに一本。 そのたびに、誰かがそっと視線を向けていた。 言葉にできない痛みを、みんな抱えていた。
昔、ひとりの男を失った。 あの日、私の前で息絶えた彼の手はまだ温かかった。 守れなかった自分を、私は許せなかった。 だから、誰にも死んでほしくないと思った。 その想いが、私をここに縛りつけていた。
だが―― 気づけば、みんな私を避けるようになっていた。 笑顔も、冗談も、遠ざかっていった。 私が守りたかった仲間達の温度が、どんどん消えていった。
「もう、お前の目に俺たちは映ってねぇんだな」
キールがそう言った夜、私は初めて泣きたくなった。
でも涙は出なかった。
戦いが終わった日の朝、私は倒れた。 銃を握ったまま、動けなかった。 誰かの声が聞こえた気がする。
「もういいんだ……帰ってこいよ……」
その声が、遠くに霞んでいった。
――そして、気づけば白い天井。 ベッドの上。窓の外には、もう戦場の音がない。 腕に点滴。 視線を動かすことすら億劫だった。
「生きる意味って……なんだったんだろう」
呟いた声は、誰にも届かない。
しばらくして、扉がノックされた。 ルカが花を抱えて立っていた。
「……来るなって言ったのに」
「知ってる。でも来た」
後ろにはキール。頬には油汚れ、でも笑っていた。
「ほら、カロリーバーじゃねぇぞ。ちゃんとした飯だ」
手作りのスープ。温かい湯気が立っていた。
「……ありがとう」
その一言を言うのに、胸が痛かった。 でも、スープをひと口飲んだ瞬間、涙が勝手にこぼれた。 味なんて、ほとんど覚えていない。 ただ、久しぶりに生きていると感じた。
みんなが帰ったあと、静かな病室に残った匂いは、もう鉄でも血でもなく、スープの優しい香りだった。
外では子どもたちの笑い声が聞こえる。 戦いが終わった世界で、私は初めて――何も守らなくていい朝を迎えた。 カロリーバーを捨てて、代わりに花を抱いた。
静かな余生。 それは戦いよりも、ずっと勇気がいることだった。 でも今は、それでもいいと思える。 もう、ひとりじゃない。
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