いせてん~異世界演出部ですが、転生者がバカすぎて現地フォローしてきました~

月祢美コウタ

第6話「全知全能と知りたくなかった真実」

【第一幕】全知全能の日常地獄


 華やかな音楽と歓声が響くカジノ。色とりどりの魔法照明が煌めく中、冒険者たちがテーブルを囲んでいる。

「ご主人様!カジノですよ!楽しそう!」

 獣人元奴隷(少女)が尻尾を振りながら、神崎悠人(ユート)の腕を引っ張る。

「よし、ポーカーで稼ぐか」

 盗賊(イケメン)が自信満々に笑う。

「たまには息抜きも必要ですよね」

 神官(女の子)も微笑んでいる。

 依頼の報酬で手に入れた金貨を手に、仲間たちが楽しそうにゲームテーブルへ向かう。

「ああ……そうだね」

 ユートは曖昧に頷いた。

 獣人元奴隷はルーレットに駆け寄る。盗賊はポーカーテーブルに座り、神官はスロットマシンを眺めている。

 皆、本当に楽しそうだ。

 その時、ユートの頭の中に冷たい機械音声が響いた。

『現在のテーブルにおける勝率を算出。結果:0.3%』

 ユートの顔が引きつった。

(うわあ……ほぼ負けるじゃん……)

『ディーラーによる不正行為を検出。左袖内に追加カード3枚。右手指輪は魔力増幅装置』

「知りたくなかった……」

 ユートは思わず頭を抱えた。

 仲間たちは気づかない。獣人元奴隷がルーレットに賭けて、盗賊がカードを配られて、神官がスロットのレバーを引いている。

 皆、笑顔だ。

 でも、ユートだけには見えてしまう。結果が、全部。

(全知全能、絶対に勝つ方法は?)

 心の中で呼びかける。

『……本気でおっしゃっていますか?』

(本気だよ!)

『ため息。では演算を開始します。最適解:ディーラーの動作パターンを0.03秒単位で観察し、カード配布の7番目と12番目のタイミングで介入。同時に他プレイヤーの視線誘導を3方向に分散させ、魔力を0.2単位で……』

「っ、無理無理無理!!もっと簡単に!」

 思わず声が出た。

『何度言えば理解していただけるのでしょう。これ以上の簡略化は勝率を23.7%低下させます』

(……役立たずなスキルすぎる……)

『聞こえています。指摘させていただくと、スキルの活用能力不足は使用者側の問題です』

「うるさーい!」

 完全に声に出てしまった。

「ご主人様?どうしました?」

 獣人元奴隷が心配そうに振り返る。

「な、なんでもない……」

 ユートは慌てて笑顔を作る。

「また全知全能と喧嘩してる……」

 神官が小声で盗賊に囁く。

「いつものことだな」

 盗賊が肩をすくめた。

 結局、ユートはカジノで一度も賭けることなく、仲間たちが楽しむのを見ているだけだった。

 全知全能が教えてくれる「確実な結果」を知りながら。

   ◇

 カジノから切り上げ、ユートパーティは次の依頼のため古代迷宮へ向かった。

 石造りの通路を進む。壁には古代文字が刻まれ、天井からは微かに魔力の光が漏れている。

「この先に宝物庫があるはずなんだが……」

 盗賊が先頭を歩きながら、床を注意深く観察する。

「ご主人様、大丈夫ですか?さっきから元気ないです」

 獣人元奴隷が心配そうにユートを見上げた。

「だ、大丈夫だよ。ちょっと疲れてるだけで……」

「全知全能と喧嘩してたからですか?」

 神官が苦笑する。

「喧嘩じゃないよ!ただ……ちょっと使いにくいだけで……」

 その時、盗賊が手を上げて一行を止めた。

「おい、罠だ」

 床の一部に、わずかな魔力の痕跡が見える。盗賊は膝をついて、石畳を指でなぞった。

「解除できるか見てみる」

「待って!」

 ユートが慌てて声を上げる。

「全知全能に聞いてみるよ。解除方法が分かるかもしれない」

 盗賊は振り返り、

「お、おう。頼むわ」

 ユートは目を閉じ、心の中で呼びかけた。

(全知全能、解除方法は?)

『罠解除手順を提示。床石第三層の魔力回路に対し、北東27.5度方向から魔力注入。同時に天井第五魔法陣との共鳴を0.02秒誤差以内で調整』

「難しい!もっと簡単に言って!」

『ため息。簡略化レベル2:床石魔力回路へ3.7ヘルツ波長で魔力注入。天井魔法陣との位相差を調整』

「まだ難しい!もっと簡単に!!」

『呆れ。簡略化レベル3:床に魔力を流し、タイミングを合わせて天井接触。誤差許容±0.5秒』

「もっと簡単に!!!」

『限界です。最大簡略化レベル4:床を踏みながら天井に触れてください』

「……いや、俺それできないから。床と天井、距離ありすぎるし」

『物理的制約は使用者側の問題です。提案:まず体力づくりから始めてはいかがでしょうか』

「またそれ言うー!?」

 ユートが頭を抱える。

「おい、全知全能がなんて言ってるか教えてくれよ」

 盗賊が不思議そうに尋ねた。

「えっと……床を踏みながら天井を触るって……」

「ああ、なるほどな」

 盗賊はすぐに理解したように頷き、身構えた。

「ちょ、ちょっと待って。どうやって……」

 ユートの言葉が終わらないうちに、盗賊は素早く動いた。

 助走をつけて跳躍。壁を蹴り、さらに高度を上げる。

 床石を靴底で正確に踏み込みながら、天井の魔法陣に手を伸ばした。

 指先が天井に触れた瞬間、カチリと音がして、床に潜んでいた罠の魔力が霧散する。

「よし、解除完了」

 盗賊は軽々と着地して、手を払った。

「なんで君はできるの……?」

 ユートが呆然と呟く。

「盗賊だからな」

 盗賊があっけらかんと答えた。

「さすがです!」

 獣人元奴隷が拍手する。

「すごいですね」

 神官も感心している。

 ユートは肩を落とした。

(結局、全知全能の言う通りにしても俺には無理で、簡略化された答えを盗賊に伝えるだけ……俺、何のために全知全能持ってるんだ……)

『聞こえています。学習能力はお持ちですか?』

(うるさい……)

「ご主人様、行きましょう!」

「あ、ああ……」

 ユートは力なく頷き、仲間の後を追った。

 全知全能スキル。

 すべてを知る力。

 だが、ユートにとっては、ただの「使えない情報」でしかなかった。

   ◇

 迷宮の最奥。

 長い通路の先に、広大な円形の空間が広がっていた。

「おお……これは……」

 盗賊が息を呑む。

 部屋の中央に、巨大な魔法陣が床一面に広がっている。古代文字が複雑な幾何学模様を描き、微かに青白い光を放っていた。

「すごい魔力です……」

 神官が警戒するように杖を構える。

「ご主人様、これって……」

 獣人元奴隷がユートの袖を引いた。

 その時、ユートの頭に冷たい声が響く。

『警告:古代封印術を検出。接触禁止』

 ユートは魔法陣を見つめた。

「触れちゃいけない……?」

 ユートの目が輝く。

「ってことは、これ裏ルートとか隠し報酬のヒントだ!ゲームでよくあるやつ!」

『否定:隠しイベントは存在しません』

「いやいや、『触るな』って言われたら触りたくなるのが冒険者ってもんでしょ!」

 ユートは興奮気味に魔法陣に近づく。

「それに、君の言う通りにしても結局使えないし!さっきの罠だって、盗賊が解除したんだし!」

『ため息。最終警告:接触により崩壊起点発生。範囲10キロ。死亡確率100%』

「ご主人様、どうしたんですか?」

 獣人元奴隷が不思議そうに尋ねた。

「全知全能が『触るな』って言ってるんだけど、これ、絶対隠しイベントだって!前も罠で大げさなこと言ってたし」

「ああ……」

 神官が納得したように頷く。

「いつも大げさですもんね、その全知全能。さっきの罠も、結局盗賊さんが簡単に解除しちゃいましたし」

「だよね!」

 ユートが嬉しそうに頷く。

「だったら触ってみれば?」

 盗賊が軽い調子で言った。

「どうせまた大げさなんだろ」

「だよね!やっぱり!」

 ユートは魔法陣の中心へ歩み寄った。

『最終警告を繰り返します。接触により崩壊起点発生。範囲10キロ。死亡確率100%』

「はいはい、100%死ぬとか大げさ大げさ」

 ユートは片手を魔法陣にかざす。

「どうせいつもの脅しでしょ。それに君の言うこと聞いても、結局うまくいかないし!」

『もう知りません。警告を繰り返します。絶対に触れては──』

「えーい!」

 ポチッ。

 ユートの手のひらが、封印魔法陣の中心に触れた。

 そして、一瞬の静寂。

 次の瞬間──

 ゴォォォォォン!!

 魔法陣が眩い光を放った。青白い光が円形に広がり、床を、壁を、天井を駆け巡る。

「え……?」

 ユートの顔から血の気が引く。

 轟音と共に、迷宮全体が激しく震動し始めた。壁から石が剥がれ落ち、天井に亀裂が走る。

『だから言ったのに。警告無視を確認。崩壊起点発生。座標X253.64、Y189.47、Z-42.38に中心核形成。爆発予測時刻:2時間59分43秒後。死亡確率:100%』

「ええええええ!?」

 ユートの絶叫が迷宮に響いた。

「本当に100%で死ぬ!?」

 魔力の波が周囲に広がる。封印魔法陣から無数の光の糸が伸び、迷宮の深部へ潜り込んでいく。

「ご、ご主人様!?何が!?」

 獣人元奴隷がユートにしがみついた。

「おい、何をやった!?」

 盗賊は剣を抜いた。

「これ、まずいです……すごくまずいです……!」

 神官は魔力の流れを感じ取り、顔を青ざめさせた。

『中心核形成完了。爆発カウントダウン開始:2時間59分38秒』

「やばい、やばい、やばい……」

 ユートは頭を抱えた。

「隠しイベントじゃなかった……今回は本当にやばいやつだった……!」

 迷宮の震動が激しさを増す。

 封印が解かれた。

 そして、崩壊が始まった。

   ◇

【第二幕】緊急出動

 異世界演出部のオフィスは、いつもより静かだった。

「これで業務延長問題は解決……」

 田中美咲は、分厚いマニュアルを机の上に置いた。表紙には『対・王宮スタッフ用 業務延長交渉マニュアル』と書かれている(全128ページ)。

 昨夜、午前2時37分まで執筆した労作だ。

「想定されるあらゆるシチュエーションに対応しています。これで、サクラさんの定時退社問題も──」

 美咲がドヤ顔で締めくくった。

 その時。

 ピーーーーーーーッ!!

 けたたましい警報音が鳴り響いた。

「……業務延長問題は解決したはず、なのに!?」

 美咲が端末を見る。

「崩壊起点発生!」

 田村麻衣が別の端末を操作しながら叫んだ。

「場所は……ノースフィールドの古代迷宮!規模は……特大級!」

「特大!?」

 サクラが椅子から立ち上がる。

 麻衣は端末に表示されるデータを確認しながら、こめかみを強く押さえた。

「周辺10キロに影響……誰かが封印を解いちゃったパターンね」

「……転生者ですか」

 美咲が冷静に端末を操作する。

「該当者を検索……」

 数秒後、画面に情報が表示された。

「該当者、神崎悠人。転生後の名前:ユート。チートスキル:全知全能」

「全知全能!?」

 美咲の声が上ずる。

「なのになんで封印解いちゃうんですか!?」

 サクラが不思議そうに尋ねた。

 麻衣は遠い目をして、ゆっくりと答えた。

「……転生者(ばか)だからよ」

 そして、小さく呟く。

「それに、またマニュアル改訂ね」

「と、とにかく現地に向かいましょう!」

 サクラが立ち上がる。

 美咲は慌ててマニュアルをめくった。

「全知全能型転生者……項目がない!想定外です!」

「急ぎましょう、美咲さん!」

 サクラが転移ゲートへ向かおうとする。

 その時、扉が開いた。

 ギデオン騎士とエレオノーラ侍女長が、静かに入室する。

「我々も同行します」

 ギデオンが胸に手を当てた。

「えっ」

 美咲は二人を見た。

「ついてくるんですか?いえ、別の異世界なので、そのーちょっと……」

「美咲さんの邪魔はしませんので」

 エレオノーラが姿勢を正した。

「当然です」

 ギデオンが頷く。

「陛下の護衛は騎士の務め」

「いや、護衛っていっても、魔力の暴走ですから、戦闘じゃなくて……」

 美咲が説明しようとする。

「3人ぐらいなら担いで逃げられます」

 ギデオンが真面目な顔で答えた。

「3人!?」

 美咲が目を見開く。

「いや、担がれるのはちょっと……」

「美咲さん、ちょっと太ったって言ってましたもんね」

 サクラが無邪気に言った。

「太ってない!成長よ成長!」

 美咲が慌てて否定する。

「健康的でよろしいかと」

 エレオノーラが冷静に頷く。

「健康的って言い方!?」

「では、4人でも問題ありません」

 ギデオンが力強く頷いた。

「いや、そういう問題じゃなくて!」

 美咲が叫ぶ。

「崩壊起点の対処には魔力探知が必要で、サクラさんにしかできないんです!」

「ですから、護衛します」

 ギデオンがきっぱりと答える。

「あの、時間が……!」

 サクラが慌てる。

「ですから、同行します」

 エレオノーラが頷く。

「話が進んでない!?」

 美咲が頭を抱えた。

 麻衣は席に座ったまま、虚ろな目で押し問答を見ていた。

「はーい、みんなーしごとしよー」

 遠い目だった。

「……分かりました」

 美咲が深くため息をついた。

「ご一緒にお願いします。でも、担ぐのは無しで」

「承知しました」

 ギデオンとエレオノーラが頷く。

「体重のことは気にしなくて大丈夫ですよ、美咲さん」

 サクラが優しく言った。

「気にしてない!!」

 美咲、サクラ、ギデオン、エレオノーラの四人は、ぞろぞろと転移ゲートへ向かった。

 オフィスに残った麻衣は、胃薬を一錠飲み、カレンダーを見た。

「次の休日まで……あと何日だっけ……」(虚ろ)

 端末の画面には、『特大級崩壊起点』の文字が赤く点滅していた。

   ◇

【第三幕】現地到着と独自分析


 転移ゲートの光が収まる。

 美咲、サクラ、ギデオン、エレオノーラの四人が、古代迷宮の入口に降り立った。

 石造りの巨大な門。その奥から、低い振動が伝わってくる。

 美咲が端末を操作しながら言った。

「転移ゲート固定完了。これで何度でも往復できます」

「迷宮が……揺れてます」

 サクラが不安そうに呟く。

 その時、美咲の端末から麻衣の声が響いた。

『崩壊起点の魔法陣の近くに、該当の転生者パーティを確認』

「転生者がいるんですか!」

 サクラが端末に向かって尋ねた。

『どうやら、転生者が何かを"やらかし"た直後で、パニック状態のようね』

「やらかし……」

 美咲が端末を操作する。

「転生者の行動パターン分析……『パニックによる自発的逃走』の確率は75%」

「と、とにかく、現場へ!」

 サクラは走り出そうとする。

「お待ちください、陛下」

 ギデオンが前に出た。

「私が先に安全を確認します」

「いえ、待ってください。安全確認の時間は計算外です」

 美咲がきっぱりと言った。

「崩壊起点の拡大を止めるのが最優先です。プロトコル通り、ギデオンさんはサクラさんの護衛に専念してください」

「……承知しました」

 ギデオンは短く頷いた。

 四人は迷宮の奥へと急ぐ。

 通路を抜け、階段を下り、長い廊下を走る。

 床が震え、壁から石が剥がれ落ちる。

「陛下、お足元に気をつけて」

 エレオノーラが後ろから声をかけた。

「大丈夫です!」

 サクラが走りながら答える。

「陛下、走るペースが速すぎます」

 エレオノーラが追いかける。

「体力を温存してください」

「でも急がないと……!」

「後で疲れが出ます」

「大丈夫です!」

「いいえ、大丈夫ではありません」

 エレオノーラが真面目な顔で指摘する。

「陛下の健康管理は侍女長の責務です」

「エレオノーラさん、今は……!」

 美咲が振り返って叫んだ。

 そして──

「あそこです!」

 サクラが指差した。

 円形の広間。床一面に広がる巨大な魔法陣。

 そして、その前で頭を抱えてうずくまる青年の姿が見えた。

   ◇

 ユートは必死の形相で、何かに呼びかけていた。

「やばい、やばい、やばい……」

『爆発まで残り2時間27分。死亡確率:100%』(ユートの頭に響く声)

「全知全能!これ、止める方法は!?」

『解決方法を提示。崩壊起点の中心核は座標X253.64、Y189.47、Z-42.38に位置。魔力を3.742秒間、波長7.2ヘルツ、振幅±0.3の範囲で……』

「簡単に!!」

『簡略化レベル2:中心核に魔力を正確に注入。誤差0.01秒以内』

「もっと簡単に!!!」

『最大簡略化:中心核を見つけて魔力を流す』

「中心核ってどこ!?」

『座標X253.64、Y189.47、Z-42.38』

「数字で言われても分からない!!」

「ご主人様、落ち着いて……」

 神官がユートの肩に手を置く。

「落ち着いてられるか!100%死ぬんだぞ!?」

「ご、ご主人様……」

 獣人元奴隷が泣きそうになる。

「と、とにかくひ、ひ、避難だぁー!!」

 ユートが叫んだ。

「全知全能!みんなを安全なところまで運べ!」

 そして──

 ポンッ!

 光と共に、ユートパーティ全員が消失した。

   ◇

 美咲たちが広間に駆け込んだ時、そこには誰もいなかった。

「……逃走しましたね」

 美咲が冷静に呟いた。

『転生者パーティの位置を特定』

 麻衣の声が端末から響く。

『迷宮外の塔の最上階に転移したみたい』

「追跡しますか?」

 ギデオンが尋ねた。

「いえ」

 美咲はきっぱりと首を振った。

「マニュアル通り『パニックによる転生者逃走』パターンです。転生者への聞き取りは後回し。まずは崩壊起点の分析を優先します」

「陛下、水分補給を」

 エレオノーラが水筒を差し出した。

「え、今……?」

 サクラが困惑する。

「はい。走った後は水分補給が重要です」

「いや、今は崩壊起点の……」

「陛下の健康管理は侍女長の責務です」

 エレオノーラが真面目な顔で水筒を押し付ける。

「エレオノーラさん……!」

 美咲が頭を抱えた。

「私の魔力探知で何か分かりますか?」

 サクラが水筒を受け取りながら前に出る。

「お願い、サクラ。崩壊起点の構造を調べて。」

 美咲が端末を構えた。

   ◇

 サクラは目を閉じ、両手を前に掲げた。

 淡い光が手のひらから溢れ、魔法陣へと伸びていく。

「魔力の流れが……」

 サクラの眉が寄る。

「複数に分散してます!」

「陛下、眉間に皺が寄っています」

 エレオノーラが指摘した。

「え?」

「美容に良くありません」

「今それどころじゃ……!」

 サクラが叫ぶ。

「複数……?」

 美咲が端末を操作する。

「封印魔法陣のデータと照合……」

 数秒後、画面に結果が表示された。

「これは分散型崩壊起点です」

『分散型?』

 麻衣の声が端末から響く。

「崩壊の中心核が1か所ではなく、複数に分かれているタイプです」

 美咲は魔法陣を見つめた。

「全ての中心核を同時に、もしくは短時間で封印しないと……」

「中心核は……」

 サクラが集中する。

「1、2、3、4……5か所です!」

「5か所……」

 美咲は端末で計算を始めた。

「各ポイントの座標を特定するから。サクラ、それぞれの方向と距離を教えて」

「はい!」

 サクラは魔力探知の範囲を広げた。

「1つ目は……北側、上層です」

「北側、上層……」

 美咲が端末に入力する。

「2つ目は東側、中層」

「東側、中層……」

「3つ目は中央、最上層」

「中央、最上層……」

「4つ目は西側、地下」

「西側、地下……」

「5つ目は……ここ、最上部の塔です」

「最上部の塔……」

 美咲は端末の画面を見つめた。迷宮の構造図が表示されている。

「北側は第5層、東側は第3層、中央は第7層、地下は地下2層、塔は最上部……」

 美咲の指が端末の上を滑る。

「位置確認完了」

 そして、さらに計算を続ける。

 移動ルート。

 作業時間。

 余裕時間。

 数字が画面に次々と表示される。

「各ポイントまでの最適ルートと作業時間を計算します」

 数秒後──

 美咲は顔を上げた。

「……間に合う」

「本当ですか!?」

 サクラが目を輝かせる。

「大丈夫」

 美咲は端末を見せた。

「ただし、最短ルートで回って、各ポイントで迅速に再封印を施す必要があるわ」

「分かりました!」

「行こう、サクラ」

 美咲とサクラが顔を見合わせ、頷き合う。

『美咲ちゃん』

 麻衣の声が端末から響いた。

『計算通りに行けば午後4時55分に全作業完了ね。ギリギリだけど……定時には間に合うわ』

「ええ」

 美咲は端末を見た。

「計算通りに行けば」

「陛下、私も作業を手伝いましょうか」

 ギデオンが申し出る。

「いえ、ギデオンさんはサクラさんの護衛に専念してください」

 美咲はきっぱりと言った。

「承知しました」

 エレオノーラが頷いた。

 美咲とサクラは、互いに決意を込めた視線を交わした。

 四人は、最初のポイントへ向かって走り出した。

 迷宮の震動が、少しずつ強くなっていく。

 残り時間は、2時間13分。

   ◇

【第四幕】5か所の再封印作業


 迷宮の第5層。北側の通路を抜けた先に、広い石室があった。


 床に、亀裂が走っている。その亀裂から、青白い光が漏れ出していた。


「ここです!」


 サクラが魔力探知で確認する。


「崩壊ポイントを確認!」


「再封印開始!」


 美咲が端末を操作し、術式の構築を始める。


 サクラは両手を床にかざした。淡い光が溢れ、亀裂へと吸い込まれていく。


 魔力が崩壊ポイントを包み込み、徐々に安定させていく。


 美咲の端末が、複雑な魔法陣を投影する。古代文字が空中に浮かび、回転しながら床へと降りていく。


「もう少し……」


 サクラが額に汗を浮かべる。


「あと10秒……5秒……」


 美咲が端末を見つめる。


 パァン!


 光が弾け、亀裂が閉じた。


「封印完了!」


 美咲とサクラが同時に叫んだ。


「陛下、汗を」


 エレオノーラがハンカチを差し出した。


「あ、ありがとうございます……」


 サクラが受け取る。


「次のポイントへ!」


 美咲が端末を確認する。


「陛下、お気をつけて」


 ギデオンが護衛として警戒しながら後を追う。


「お足元にご注意を」


 エレオノーラが姿勢を正して同行する。


『1か所目完了確認』


 麻衣の声が端末から響いた。


『順調ね』


 四人は、次のポイントへ走り出した。


   ◇


 第3層の東側。広い倉庫のような空間に、崩壊ポイントがあった。


 壁一面に魔力の痕跡が広がり、石が浮遊している。


「2か所目、確認!」


 サクラが魔力探知を展開する。


「封印開始!」


 美咲が再び術式を構築する。


 サクラの魔力が壁を包み込む。浮遊していた石が、ゆっくりと元の位置に戻っていく。


 美咲の投影した魔法陣が、壁に吸い込まれる。


「封印完了!」


 二人が息を合わせて叫んだ。


「陛下、呼吸が乱れています」


 エレオノーラが心配そうに見る。


「大丈夫です!」


 サクラが笑顔で答える。


「深呼吸をしてください」


「え、今……?」


「はい、今です」


 エレオノーラが真面目な顔で頷く。


『2か所目完了』


 麻衣の声。


『予定より2分早いわ』


「順調です。次へ!」


 美咲が端末を確認し、走り出す。


 サクラがその後を追った。


「陛下、走るペースを落としてください」


 エレオノーラが追いかける。


   ◇


 第7層の中央部。天井が高く、円形の大広間になっている。


 その中心に、巨大な崩壊ポイントが形成されていた。空間が歪み、魔力が渦を巻いている。


「3か所目!」


 サクラが息を切らしながら到着する。


「あと2か所!」


 美咲が端末を構える。


「時間は十分あります!」


 二人が同時に作業を開始する。


 サクラの魔力が渦に向かって伸びる。美咲の術式が空間の歪みを正していく。


 ギデオンが周囲を警戒し、エレオノーラが時計を確認する。


「封印完了!」


 渦が消え、空間が安定した。


「陛下、お疲れではありませんか」


 エレオノーラが尋ねた。


「大丈夫です!あと2か所ですから!」


 サクラが拳を握る。


「水分補給を」


 エレオノーラが再び水筒を差し出す。


「エレオノーラさん……!」


 美咲が頭を抱えた。


『3か所目完了』


 麻衣の声。


『このペースなら……余裕ね』


「はい!あと2か所です!」


 サクラが笑顔で答えた。


 四人は、次のポイントへ急いだ。


   ◇


 地下2層の西側。薄暗い通路の奥に、崩壊ポイントがあった。


 床が大きく陥没し、その底から光が溢れている。


「4か所目!」


 サクラが陥没の縁に立つ。


「あと1か所!」


 美咲が端末を操作する。


「計算通りです、間に合います!」


 二人が最後の力を振り絞る。


 サクラの魔力が陥没した床を満たし、美咲の術式が地盤を安定させる。


「封印完了!」


 陥没が埋まり、床が元に戻った。


「あと1か所……!」


 サクラが拳を握る。


 美咲が時計を確認した。


「午後4時32分。最後のポイントまで移動15分、作業8分……午後4時55分完了予定!」


『ギリギリだけど、定時には間に合うわね』


 麻衣の声が安堵の色を帯びていた。


「行こう、サクラ!」


「はい!」


「陛下、最後です。お気をつけて」


 ギデオンが声をかける。


「陛下、体力は大丈夫ですか」


 エレオノーラが心配そうに見る。


「大丈夫です!最後まで頑張ります!」


 サクラが笑顔で答えた。


 四人は、最後のポイントへ向かって走り出した。


   ◇


 長い螺旋階段を駆け上がり、最上部の塔に到着した。


 開けた空間。そこに、最後の崩壊ポイントがあった。


 空中に浮かぶ、光の球体。それが脈動するたびに、迷宮全体が震える。


「これで最後!」


 サクラが両手を掲げる。


「最後の封印、開始します!」


 美咲が端末を構える。


「予定では8分で完了……!」


 美咲が時計を見た。


「午後4時51分……急ぎましょう、サクラさん!」


 二人が同時に作業を開始する。


「封印術式、第一段階……第二段階……」


 美咲の声が緊張に震える。


「崩壊ポイント、特定しました!」


 サクラの魔力が光の球体を包み込む。


「第三段階……あと5分!」


 美咲が端末を見る。


「もう少しで……!」


 サクラが額に汗を浮かべる。


「第四段階……あと3分……!」


『順調ね』


 麻衣の声。


『午後4時58分完了予定……間に合うわ』


「最終段階……あと1分!」


 美咲が叫んだ。


「もうすぐ完了……!」


 サクラの声も高まる。


『美咲ちゃん』


 麻衣の声が響く。


『あと2分で定時よ!急いで!』


「分かってます!」


 美咲が答える。


「あと30秒……!」


 光の球体が縮小し始める。封印が、ほぼ完成している。


 その時──


 カチリ。


 静かな音が響いた。


 エレオノーラが、懐中時計を取り出していた。


「お時間でございます」


「えっ!?」


 サクラが振り向く。


「あと30秒で封印が……!」


 美咲が叫んだ。


 エレオノーラは、時計を静かに見せた。


「午後5時00分です」


 時計の針が、ちょうど5時を指している。


「お帰りの時間です」


「で、でも!」


 サクラが必死に訴える。


「流石に最後まで見届けないと~!あと30秒なんです!」


「規則は規則です」


 エレオノーラは、きっぱりと言った。


 そして、美咲に向き直る。


「では、美咲さん、あとはよろしく」


「ええええ!?」


 サクラの悲鳴。


「ちょ、ちょっと!?」


 美咲の叫び。


「あと30秒なのに!?」


「陛下、参りましょう」


 エレオノーラが、サクラの手を取った。


「陛下、お時間です」


 ギデオンが護衛として立つ。


「で、でも美咲さん一人じゃ……!」


 サクラが振り返る。


「美咲さんは有能ですから、大丈夫です」


 エレオノーラがきっぱりと言った。


「30秒なら問題ありません」


「え、あ、あの……」


 美咲が呆然とする。


 エレオノーラは、サクラの手を引いた。ギデオンが護衛しながら、転移ゲートへ向かう。


「美咲さーん!ごめんなさーい!!」


 サクラの声が遠ざかる。


「あと30秒頑張ってくださーい!!」


 その声が、塔の階段に消えていった。


「……30秒って言われても、プレッシャーが……!」


 美咲が一人、取り残される。


『美咲ちゃん、落ち着いて!』


 麻衣の声が端末から響いた。


『あと20秒よ!』


「……やるしかありません」


 美咲は深呼吸した。


 そして、一人で術式を完成させる。


「封印……完了!」


 光の球体が消滅した。


 迷宮の震動が、ピタリと止まった。


「……間に合いました」


 美咲は、その場にへたり込んだ。


『お疲れ様、美咲ちゃん』


 麻衣の声が優しく響く。


『午後5時00分28秒、完了確認』


 そして、呟く。


『やっぱりマニュアル改訂が必要ね……』(遠い目)


 美咲は、塔の床に座り込んだまま、天井を見上げた。


「……定時退社は、絶対なんですね」


 塔の窓から、夕日が差し込んでいた。


   ◇


 迷宮外・高い塔の別の階層。


 ユートパーティが転移した場所。


 塔の中層、窓から封印魔法陣のあった広間が遠くに見える。


 四人は、床に座り込んでいた。


「……」


 重い沈黙。


 獣人元奴隷は膝を抱え、神官は杖を握りしめ、盗賊は壁にもたれている。


 そして、ユートは頭を抱えたままだった。


「……あれ?」


 獣人元奴隷が顔を上げた。


「揺れが止まりました」


「本当だ……」


 神官が立ち上がる。


「もしかして……解決したんでしょうか?」


「誰かが解決したのか?」


 盗賊も立ち上がった。


 ユートは、恐る恐る心の中で呼びかけた。


(全知全能、爆発は?)


『崩壊起点の消滅を確認。死亡確率:0%』


「……助かった」


 ユートの声が震える。


「よかったです、ご主人様!」


 獣人元奴隷がユートに抱きつく。


「本当に……よかった……」


 神官も安堵のため息をついた。


「……でも、お前、全知全能で止めればよかったのにな」


 盗賊が腕を組んだ。


「え?」


 ユートが顔を上げる。


「転移できたんだろ?だったら、爆発も止められたんじゃないのか?」


「……あ」


 ユートの顔が固まる。


「最初から転移できるなら、爆発も止められたのでは……?」


 神官が首を傾げた。


「お前、何のために全知全能持ってるんだよ……」


 盗賊が呆れた表情を浮かべる。


「う、うわあああああ!!」


 ユートが再び頭を抱えた。


「そ、そうだよ!転移できたんだから、止められたかもしれないのに!なんで逃げることしか考えなかったんだ、俺は!」


 ユートは床を転げ回る。


「でも……助かったんですよね?」


 獣人元奴隷が心配そうに言った。


「ああ」


 盗賊が頷く。


「誰かが解決してくれたみたいだな」


「そうですね……」


 神官も頷いた。


 緊張が解ける。


 ユートは、ゆっくりと立ち上がった。


「ふう……でも助かった……」


 深呼吸をする。


「誰かが助けてくれたんだ……よかった……」


 その時。


『獣人元奴隷(少女)の感情分析結果:表面的好意度92%、真実の恋愛対象:盗賊(イケメン)』


 全知全能の声が、ユートの頭に響いた。


 ユートは、ぽつりと呟いた。


「獣人元奴隷、『ご主人様大好き』って言ってるけど……本当は盗賊(イケメン)のことが好きなんだ……」


 一拍の沈黙。


「ええええ!?」


 獣人元奴隷が顔を真っ赤にした。


「ち、違います!ご主人様が……」


「マジかよ……」


 盗賊が目を見開く。


『神官(女の子)の思考パターン分析:全知全能スキルへの評価「実用性:低」「コメディ価値:高」』


「神官も、全知全能スキルのこと『ぷぷっ、役立たずな能力』って心の中で笑ってたよね……」


 ユートが続ける。


「や、やめてください!」


 神官が慌てる。


「そんなこと普段は思ってません!」


「いや、さっき『全知全能(笑)、毎回"簡単にして"って言わないと使えない』って……」


「やめてええええ!!」


 神官が顔を覆った。


『盗賊(イケメン)の評価分析:リーダーシップ評価「不適格」、判断力評価「要改善」』


「盗賊も、僕のこと『頼りにならない』って……」


「おい、それ以上言うな!」


 盗賊が手を振った。


「ご主人様、それ全部言わなくていいです!!」


 獣人元奴隷がユートの口を塞ごうとする。


「スキル、オフにできませんか!?」


 神官が叫ぶ。


「お前、マジで空気読めよ……」


 盗賊が頭を抱えた。


「ご、ごめんなさい……」


 ユートは肩を落とした。


「全知全能のせいで、知りたくないことまで全部わかっちゃって……」


 ユートは床に座り込む。


「友達の本音とか……全部見えちゃうんだ……これからもずっと……」


『指摘:情報管理は使用者の責任です』


「うるさーい!!」


 ユートが叫んだ。


 重い沈黙。


 しばらくして。


「……まあ、でもお前のおかげで助かったんだからいいだろ」


 盗賊が肩をすくめた。


「結果的には」


「誰かが解決してくれたみたいですしね」


 神官も頷く。


「ご主人様は、ご主人様です!」


 獣人元奴隷が笑顔を作った。


 でも、顔は赤い。


「みんな……ありがとう……」


 ユートが顔を上げる。


『分析:パーティメンバーの好感度は維持されています』


「……それ、今言わなくていいから」


 ユートが小さく呟いた。


 塔の窓から、夕日が差し込んでいた。


   ◇


 演出部オフィス(翌日)。


 美咲は、マニュアルに追記していた。


「『分散型崩壊起点の対応手順』」


 ペンを走らせる。


「『魔力探知による複数ポイント特定』」


 さらに書き込む。


「『全知全能型転生者:パニック時は放置して独自分析』」


 ページをめくる。


「『警告を無視する転生者への事前教育の必要性』……」


 麻衣が肩を落としながら呟いた。


「あと『定時退社は何があっても守られる』も……」


「『30秒でも容赦なし』も……」


「……それは項目というより、現実です」


 美咲がため息をついた。


「美咲さん、昨日は本当にごめんなさい……」


 サクラが申し訳なさそうに言った。


「最後の30秒……」


「いえ、エレオノーラさんの判断は正しいです」


 美咲は首を振った。


「規則ですから」


「当然です」


 エレオノーラが頷く。


「陛下の安全が第一です」


 ギデオンも胸を張った。


「……マニュアル、また20ページ増えました」


 美咲がため息をついた。


 麻衣はカレンダーを見た。


「次の休日まで……あと3日……」(ぼそりと)


 そして、デスクの引き出しから何かを取り出す。


「残業代、計算しておかないと……」


「麻衣さん、お疲れ様です……」


 サクラが心配そうに声をかけた。


「大丈夫よ、サクラちゃん」


 麻衣は営業スマイルを浮かべた。


「慣れてるから」


 でも、目の奥が死んでいた。


 オフィスの窓から、朝日が差し込んでいる。


 マニュアルは、また分厚くなった。


 転生者は、また問題を起こす。


 そして、定時退社は守られる。


 異世界演出部の、いつもの日常だった。


   ◇


── 第6話「全知全能と知りたくなかった真実」完 ──

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いせてん~異世界演出部ですが、転生者がバカすぎて現地フォローしてきました~ 月祢美コウタ @TNKOUTA

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