静寂の中の声
チャイムの音が校舎中に響き渡り、1時間目の終わりを告げた。
廊下には笑い声や足音、椅子を引く音が混ざり合い、まるで波のように押し寄せてくる。
だが――ヒカル(ヒカル)が教室のドアを押し開けた瞬間、そのざわめきが一瞬で止んだ。
視線が一斉に彼へと向かう。
好奇、驚き、不信――さまざまな感情が入り混じった眼差しが、彼の一挙手一投足を見つめていた。
そう、今日の話題の中心は彼だった。
ヒカルは空気の重さを感じながら、静かに息を吸う。
ざわざわとした声が、まるで遠くから押し寄せる波のように耳に届いた。
「……あれがヒカルでしょ?」
教室の後ろの方で、女子の声がささやいた。
「朝、ミユ(ミユ)と一緒に登校してたって聞いたけど。」
「俺も見た! 二人、手つないでたんだぜ!」
「えっ、本当? じゃあ噂はマジだったんだ……」
その言葉の火花が、一瞬で教室中に広がる。
笑い交じりのささやきが飛び交い、ヒカルの耳に容赦なく届いた。
聞こえないふりをしながら、彼は机まで歩く。
木の床を踏みしめるたびに、足音がやけに大きく響いた。
平然を装っても、胸の奥はざわついていた。
さっきまで心地よかった気持ちが、今は羞恥と不安に変わっている。
――「俺とミユのこと、みんなが……」
気にしない、と自分に言い聞かせる。
けれど、好奇の視線の重さは無視できなかった。
ヒカルは机に腰を下ろし、リュックを床に置いて深く息を吐いた。
まわりの声が少しずつ遠のく。
だがその代わりに、別の音が教室に響き始めた。
――ゆっくりと、重く、規則正しい足音。
その音の主は、すぐにわかった。
ダイチ(ダイチ)。
長身で鋭い目をした男。冷たい笑みを浮かべながら、教室の入り口に現れた。
彼が一歩踏み込むたびに、他の生徒たちは自然と道を開けた。
誰も、彼と目を合わせたくなかった。
ヒカルは顔を上げた。
視線が交わる。
空気が、一瞬で凍りついた。
ダイチはゆっくりとヒカルの机の前まで歩み寄り、指先で机の表面を“トン、トン”と叩いた。
その音が、まるで彼の支配を示す合図のように響いた。
「……聞いたぞ。」
ダイチの声は低く、皮肉を含んでいた。
「新しい“噂”のことな。」
ヒカルは無言のまま、じっと見返した。
予想していた展開だ――遅かれ早かれ、こうなることは分かっていた。
「なるほどな……」
ダイチが少し身を乗り出す。
「最近お前が妙に反抗的になった理由は、それか?」
「“あの女”のせいで気が大きくなったってわけか?」
ヒカルの眉がぴくりと動く。
「反抗的?」と、低い声で返す。
「ただ、あんたに頭を下げるのをやめただけだ。」
ダイチは鼻で笑った。
短く乾いた笑い――その音に、教室の空気がまた縮む。
周りの生徒たちはノートをめくるふりをしながら、誰もが息を潜めて見ていた。
「ほう……」
ダイチは一歩近づき、挑発的な笑みを浮かべる。
「口の利き方、覚えたんだな。面白ぇ。」
彼はさらに顔を寄せ、囁くように言った。
「勘違いすんなよ、ヒカル。
可愛い女と一緒に登校したぐらいで、自分が何か変わったと思うな。
お前は相変わらず、ただの“ゴミ”だ。」
ヒカルの全身が緊張する。
こめかみが脈打ち、心臓が激しく鳴る。
その言葉は、昔の痛みを容赦なく呼び覚ました。
だが――今の彼は、もう昔のヒカルではなかった。
ヒカルはゆっくりと立ち上がった。
椅子が大きく軋む。
ダイチの唇が歪む。愉快そうに、けれどどこか試すように。
「へぇ……立ち上がるとはな。」
腕を組み、にやりと笑う。
「もしかして、“男になったつもり”か?」
ヒカルは目をそらさずに言った。
声は震えていたが、確かな意志があった。
「……俺はもう、前の俺じゃない。」
教室中にざわめきが広がる。
誰もが驚き、目を見開く。
だがヒカルは一歩も引かない。
ダイチの目が細くなる。
「そうか……じゃあ試してみるか。」
低く、挑発的に。
「本当に俺に逆らう“勇気”があるのかどうか。」
ヒカルは深呼吸した。
空気が重く、壁の時計の針の音だけが響く。
「俺はもう、頭を下げない。」
真っ直ぐ見据えたまま言う。
「言いたいことがあるなら、今ここで言えよ。俺はもう、あんたを怖がらない。」
ダイチの表情が一瞬、揺れた。
笑みが消え、冷たい視線が鋭く突き刺さる。
「……ほぉ。」
彼は小さく鼻を鳴らし、制服の襟を整えた。
「今ここで? そんなのつまんねぇだろ。」
一歩、近づく。
ヒカルの顔すぐそばまで来て、低く囁く。
「昼休みだ。先生のいない場所で話そうぜ。」
「行かない。」
ヒカルの返事は即座だった。
「……あ?」
ダイチの眉がぴくりと動く。
「行かないって言った。」
ヒカルははっきりと繰り返す。
「脅しても無駄だ。俺はもう、あんたのサンドバッグじゃない。」
一瞬、教室の空気が弾けるように張りつめた。
誰もが動けず、息を呑む。
ダイチの目に、怒りが宿る。
「……お前に“選ぶ権利”なんかねぇんだよ、ヒカル。」
その声は低く、獣の唸りのようだった。
「俺が話すと言ったら、話すんだ。分かったか?」
ヒカルの心臓は激しく鼓動していた。
それでも――目は逸らさなかった。
返事をしないヒカルを見て、ダイチがさらに近づく。
周囲の生徒たちは気づかれぬよう少しずつ距離を取った。
だが、その瞬間――。
廊下の向こうから、重い靴音が響いた。
教師が来る。
ダイチはその音を聞き取り、口元に薄い笑みを浮かべた。
姿勢を正し、髪を整えて何事もなかったかのように背を向ける。
すれ違いざま、ヒカルの耳元で小さく囁いた。
「……昼休みだ。覚えとけ。」
そして、ゆっくりと自分の席へ戻っていった。
直後、教師が教室へ入ってくる。
手には教科書の束。
「さあ、出席を取るぞ。」
教室に張りつめていた空気が、わずかに緩む。
誰もが無理に平静を装い、ペンを握る。
けれど、その場にいた全員が分かっていた。
――昼休みが、“決着”の時だということを。
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