第14話 トラウマの『魔瘴』と、料理人の『覚悟』
「……俺の故郷を襲い、
リュウさんの絞り出すような声が、緊迫した玉座の間に響いた。私の《浄化》の光を「喰らった」呪いの氷。そのおぞましい脈動が、まるでリュウさんの言葉に呼応するかのように、ドクン、と一度、強く波打った。
(リュウさんの、故郷を……?)
私は、息を呑んで隣の彼を見上げた。
彼の様子が、明らかにおかしかった。辺境の宿屋で出会ってから、彼がこれほどまでに「恐怖」を
▶◇リュウ
……だめだ。思い出すな。あの日のことを。
故郷の谷が、この黒い氷に覆われていく光景。同胞たちの断末魔の叫び。空気を焦がす、異臭。守るべきだった、まだ飛べない幼い竜たちをかばい、この魔瘴の直撃を受けた。
炎のブレスを放とうにも、魔瘴は炎すら喰らい、力を増していく。そして、俺の力の源である竜核に、修復不可能な亀裂が入った、あの瞬間の、凍てつくような絶望。
俺は、何も守れなかった。俺は、逃げたんだ。傷を負い、竜の姿に戻れなくなった俺は、故郷を……仲間を見捨てて、人間の世界に逃げ込んだ。そして、死に場所を探していた。
(……ああ、そうだ。俺は、死ぬはずだったんだ)
セレスティアに出会うまで。あの
ダメだ。また、喰われる。俺の力は、こいつには通用しない。俺の炎は、こいつの「餌」にしかならない。足が、すくむ。あんなに握り慣れていたはずの、厨房のフライパンより、自分の拳が、重い。
▶◇セレスティア
リュウさんの呼吸が、浅く、速くなっていく。私は、彼の異変に、はっきりと気づいていた。この人は、今、私たちがいる玉座の間ではなく、遠い過去の戦場で、たった一人で立ち尽くしている。
私自身の失敗も、重くのしかかる。私の《浄化》は、効かなかった。それどころか、魔瘴の力を強めてしまったかもしれない……なんて無力なんだろう。辺境の聖域で、野菜を育てたり、小鳥の怪我を癒したり、そんな小さな奇跡を起こせるようになっただけで、私は、自分が「役立たず」ではなくなったと、思い上がっていた。本当の脅威を前に、私は、勇者パーティーを追放された、あの日の私のままじゃないか。
ズキン、と。左手の小指が、また、あの忌まわしい「赤い糸」の存在を主張する。氷帝陛下と私を繋ぐ、運命の糸。まるで、私に嘲笑いかけるように、その糸が脈打っている。
(――ほら見ろ。お前の力では、何も救えない。お前がここに呼ばれたのは、お前の力のためじゃない。お前は、この男と結ばれる「運命」だからだ。この男の「付属品」として、ここにいるに過ぎないのだ――)
違う。違う!私は、運命に従うためにここに来たんじゃない。私は、私の意志で、「往診」に来たんだ。
私は、目の前の、呪いに覆われた氷帝を見た。そして、私の隣で、過去のトラウマに囚われ、震えている、大切な人を見た。私が救いたいのは、「運命」じゃない。「今」だ。
私は、意を決すると、リュウさんの前に、一歩踏み出した。まるで、リュウさんを、目の前の魔瘴から守る「盾」になるかのように。
「リュウさん」
私の声は、震えていなかった。
「……」
彼は、まだ過去を見ている。
「リュウさん! 私を見てください!」
私は、震える彼の手を、両手で強く握りしめた。その手は、冷たくなっていた。いつも、温かいスープを作ってくれた、あの大きな手が。
「っ……!」
リュウさんの紅蓮の瞳が、ハッとしたように私を捉えた。その瞳に、ようやく「今」の私の姿が映る。
「リュウさん。あなたは、今、どこにいますか」
「俺は……」
「あなたは、故郷の谷にはいません。あなたは今、私と一緒に、北の帝都にいます」
私は、握った手に、さらに力を込めた。
「あなたは、故郷を守れなかった、傷ついた竜じゃない。あなたは、私が追放されて、お腹を空かせて、絶望していた時に、温かいシチューをくれた人です。あなたは、猫又のタマちゃんに、一番優しいミルク粥を作ってあげた人です。あなたは、ライラさんの苦しみを理解して、『音のない食事』を作れる人です」
そうだ。彼が私を「聖女」としてではなく、「セレスティア」として見てくれたように。私も、彼を「傷ついた竜」としてではなく、「私のパートナー」として見る。
「あなたは、竜王リューディアスじゃない。あなたは、『辺境の聖域』の、最高の料理人、リュウさんです!」
私の言葉が、彼のトラウマを縛る鎖を、断ち切った。リュウさんの瞳から、過去の恐怖が消え、いつもの、静かで、力強い光が戻ってきた。
「……セレスティア」
彼は、私に握られた自分の手を見つめ、そして、もう一度、目の前の魔瘴を睨みつけた。恐怖は、もうない。そこには、獲物を前にした料理人の、真剣な「分析」の目があった。
「……そうか。お前の言う通りだ、セレスティア。俺は、料理人だ」
彼は、私から手を離すと、ゆっくりと魔瘴に近づいた。
「こいつ……『飢えて』やがる」
「え?」
「さっき、お前の《浄化》を喰らった。俺の故郷では、俺たちの『
リュウさんは、まるで最悪の食材を品定めするかのように、魔瘴を観察している。
「魔導士たちが、質の悪い『魔力』を中途半端に与え続けるから、こいつは、いつまでも消えずに、ここで『食事』を続けている。……最悪の『餌付け』だ」
「じゃあ、どうしたら……」
私は、ゴクリと唾を飲んだ。リュウさんは、私を振り返り、
「簡単なことだ」 「こいつが『飢えて』いるなら、食わせてやればいい。ただし、こいつの腹を、内側から『浄化』する、最高の『料理』をな」
「料理……ですか?」
「ああ」
リュウさんは、背負っていた荷物から、私の菜園で採れた「聖女ハーブ」の束と、愛用の包丁を取り出した。
「セレスティア。お前の力が必要だ」
「で、でも、私の《浄化》は、喰われて……」
「だからだ」
リュウさんは、私の手を引いた。
「お前の《浄化》の力、その有りっ丈を、俺に寄越せ」
「えっ!?」
「魔瘴に直接ぶつけるから喰われるんだ。だが、俺が一度『調理』すれば、話は別だ」
「調理……!?」
「俺の《
「……!」
「こいつが喰らってきたどんな魔力よりも純粋で、強力な『生命力の塊』だ。それを無理やり流し込めば、こいつは、腹を壊す」
魔瘴を、『食中毒』にさせる。それは、聖女でも、勇者でも、魔導士でもない。世界で唯一、聖女を相棒に持つ、この料理人にしかできない、起死回生の「一皿」だった。
「やれますか、リュウさん!」
「……俺を、誰だと思ってる」
リュウさんは、包丁を構え、私に向き直った。
「――聖域の料理番だ」
私たちは、帝国最強の魔導士たちが匙を投げた絶望的な魔瘴を前に、二人だけの「厨房」を開いた。
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