デューデリに潜む闇
ジャスティン森
Week 1:DD開始
第01話 闇の入口
ボクにはちょっとした特殊能力があった。
自分の目で見たものをそのままビデオ映像として頭の中に録画して、あとから再生できた。
最近では、だいぶ鈍ってきたけど。
でも今見ているこの光景は、しばらく鮮明な映像として記憶できそうだ。上書き消去なんてできないくらい、強烈だ。
うっすら微笑みながら、口から緑の泡を吹きながら、ソファの上に倒れているオジサンがいる。
高級そうなスーツとネクタイをしている。時計はしていない。
左腕だけ袖をまくりあげている。
そして、とても大事そうに、抹茶のお茶碗を胸に抱いている。
オジサンが、ゆっくりと立ち上がって来た。
いや違う。ボクがゆっくりと倒れているんだ。たぶん、ボクはショックで貧血になったんだろう。
ボクの頬が床のカーペットに付くと、倒れているオジサンと目が合った。
このオジサンはたぶん死んでいる。目に生気が無い。でも、目の形としては笑っている。
かなり気味が悪い。
床に倒れた拍子に、ボクの体が斜め上向きになった。
近くにあった木製の棚が視界に入る。
棚には、10客の抹茶碗が整然と置かれていた。どの茶碗もきれいな柄がこちらに向いている。
このオジサンの茶碗なのだろう。几帳面な人だったに違いない。
そこで、ビデオ映像は終わりになった。
ボクの頭の上の方で、威圧的な女性の声が聞こえる。
「颯真、早く起きなさい!デューデリに時間の余裕は無いのよ!」
うっすらと意識が戻ってくる。
——なんでボク、ここにいるんだっけ?
思い出すのに、少し時間がかかった。
そうだ。クライアントが企業買収を検討している。そのビジネス・デューデリジェンスを、ボクが所属するコンサルティング会社、マクニールに依頼された。
ボクは先週の金曜日にそのプロジェクトに
……ということは、ここは高森CFOの役員室だ。
そして、声の主は……朝倉あおいさん。
マクニールのマネージャー。ボクの上司。
ボクはよろよろと立ち上がる。
「これまでいろんな修羅場プロジェクトを切り抜けてきたけど、さすがに目の前で人が死んでるのは初めてだわ」
平然とそんなことを言いながら、あおいさんは執務机に並べられていた書類の束を確認し始めた。
「ありがたいわね。わたしたちが来る前に、必要な書類はぜんぶ揃えてくださってたみたい。本来ならひとつひとつ一緒に内容を確認したかったんだけど……」
死体がすぐそばにあるっていうのに、あおいさんのこの冷静さ、というか仕事脳の徹底ぶりは、もはや尊敬を通り越して恐怖を感じるレベルだ。
「警察来たら、現場検証でしばらく書類を受け取れないよね。これから6週間以内に1000億円の企業買収が妥当かどうか結論をださなきゃいけないってのに……」
そう言いながら、あおいさんが書類に手を伸ばしかけた、その瞬間——
「きゃーーーー!」
開けっぱなしのドアから飛び込んできたのは、上品なアラフォーの女性。
淡いピンクのブラウスに膝丈のタイトスカート、足元はピンヒール。見た目は完璧なのに、叫び声は情緒不安定そのものだった。
彼女は高森CFOの遺体を目にすると、その場に崩れ落ちるように座り込み、しばらく言葉を失っていた。
そのタイミングで、廊下の奥から重たい足音と無線の雑音が聞こえてきた。
警察が来た。
あおいさんは書類に伸ばしていた手をさっと引っ込める。
ボクは慌てて、並べられていた書類の表紙をすべて記憶する。お願いしていた書類はすべて揃っていた。——インドネシア工場の詳細分析を除いて。
コンサルタントになって2年目、ボクにとって初めてのデューデリプロジェクトは、想像以上に波乱の幕開けとなった。
判然としない死因と、揺れる評価額——1000億円。
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