閑話7 王国の夜明け ― リヴェラ公爵の視点

《王国の夜明け ― リヴェラ公爵の記録》


 王宮の大広間に吹く風は、今日も重かった。

 天井の金箔も、磨き抜かれた床も、もはや輝きを失いかけている。

 理由は明白だ――《マークス断罪事件》。

 それが、ついに王の耳に届いたのだ。


 私は玉座の影からその報せを聞いたとき、すぐに膝の裏に汗が流れるのを感じた。

 ゴーギャン陛下は外遊中で、国政の多くを第一王子セザンヌ殿下に委ねていた。

 その間に、我らは“厄介者”マークスを排除した。

 《スキル通勤ラッシュ》持ちの娘の婚約者。

 王家からの無理やりな押し付けで結ばれた婚約である。

 ゆえに断罪した――娘を悲しませる悪の権化だからだ。

 それは正義だった。愚かな婚約から娘を守るために必要なことだった。


 だが、予想外の人物が王の元に現れたのだ。

 《フリーメル様》。

 この大陸に大きな影響力がある伝説のエルフ、その血は、大陸中の王家に流れている。彼女の娘や孫から子孫たちが王家に嫁いでいる。

 彼女はゴーギャン国王を威圧しながら言った。


 ――「陛下、マークスを断罪した者どもを、今すぐ調査なさいませ。」


 その瞬間、王の瞳が大きく動いた。

 公爵家相手に動くことを控えていたが、重い腰を上げざる負えない状態になったのだ。

 フリーメル様からの追求があれば、動かないわけにはいかない。

 国内の公爵家と大陸中の国々を動かせるフリーメル様では、分が悪すぎた。


 終わった――と、私は思った。


 このままでは、我がリヴェラ家は取り潰しになる。

 マークス断罪の首謀が我が家と知れれば、私も娘エリシアもただでは済まない。

 私は屋敷へ戻るなり、執事を呼びつけた。


「すぐに第三商会を通じて、リオン海峡の向こうの口座へ資金を移せ。二千万ダルだ。すぐだ」


 国外逃亡――その選択肢も、現実味を帯び始めていた。

 私は机に広げた地図を見つめた。

 南へ逃げれば、アールヴェリア自由連邦。

 北へ渡れば、帝国。

 いずれにせよ、王の命が下る前に動かなければ終わりだ。


 ――だが、その夜。

 まるで運命が私を笑うかのように、“彼”が現れた。


 ルノワール王子。

 第二王子にして、民の間では“愚かな王子”と呼ばれている。

 政治に無関心で、王城を抜け出しては遊び歩いているという噂もある。

 だが、その瞳の奥には、明らかに野心が隠されていた。


「公爵、私はもう待てぬ。このままでは我々は終わる。ならば父と兄を幽閉し、

 ――私が王位を継ぐ。協力して欲しい」


 最初はその言葉に迷った。

 だが次の瞬間、私は悟った。

 ――天は我らに味方したのだ。


 このまま滅ぶか。

 それとも、賭けに勝って栄光を掴むか。

 その選択肢を、彼が私に差し出したのだ。


 私はゆっくりと立ち上がり、王子に握手しながら言った。


「殿下……我が家は、すでに退路を断っております。

 もし殿下が王位を取られるというのなら、我らは全力でそれを支えましょう」


 彼の眼が揺れた。

 その光に、私は確信を持った。

 この男は覚悟している。

 そして、野望を持つ者の顔をしていた。


 エリシアが彼の前に進み出て、静かに膝をついた。

「ルノワール様。私は、王家に利用されるだけの人形でした。

 どうか、新しい時代をお創りください。――そして、私を、その隣に」


 私はその光景を見て、胸の奥で小さく笑った。

 そうだ。

 これでよい。

 我が娘が王妃となり、産まれる子が王となる。

 私はその祖父として、新しい王国の基礎を築くのだ。

 歴史は勝者のもの。誰が正義であったかなど、後から書き換えればよい。


 その夜のうちに、私はヘルナンデスと連絡を取り、計画の骨子を練り上げた。


 ① 王都守備隊の一部を買収し、夜明けと同時に王城の正門を制圧。

 ② 騎士団長ロペス――すでに我が家が金で繋いでいる――に号令を出させる。

 ③ 王と第一王子セザンヌを“保護”という名目で幽閉。

 ④ フリーメル様には、「王とセザンヌがマークスを断罪した張本人である」と報告。

 ⑤ 民衆には「腐敗した王を改革の王子が退けた」と宣伝。


 完璧だ。

 この策ならば、多くの血を流さずに王位が移る。

 誰も損をしない。――否、損をするのは現王家だけだ。


 私は久方ぶりに深く眠った。

 翌朝、鳥の鳴き声で目を覚ますと、胸の奥から笑いが込み上げてきた。


「フフフ……ようやくか。すべてが上手くいく」


 それは、私の長い政治人生の集大成だった。

 腐った王政を倒し、新しい秩序を築く。

 私が育てた娘が王妃となり、孫が王になる。

 ――そう思うと、笑いが止まらなかった。


 そして決行日。

 まだ朝霧の残る王都を、私の馬車が静かに進む。

 広場には王国騎士団の鎧が鈍く光っていた。

 ロペスが私に敬礼を送る。

 その動作一つで、全ての歯車が動き始める。


 王宮の門が開かれ、旗が下ろされる。

 「王の御命により、緊急召集!」

 衛兵たちは混乱しながらも命令に従い、やがて城内の廊下を覆い尽くした。

 セザンヌ王子の部屋へと続く回廊に、私の私兵が無音で入り込む。


 短い悲鳴。

 扉が開き、王子は抵抗する間もなく拘束された。

 王の寝室にもすぐに報が届く。

 しかし、老王の足はもはや鈍く、逃げ場はない。

 彼は玉座の間で捕らえられた。

 ロペスが膝をつき、報告する。


「陛下の安全、確保しました!」


 安全――皮肉な言葉だ。

 幽閉を意味する“安全”。

 私は玉座の前に進み出て、頭を垂れた。


「陛下、ご安心を。我々は、王国の秩序を守るために動いております。

 しばしの間、政務をお休みください。殿下が代理を務めます」


「公爵、愚かなことを!」

 王の瞳に怒りと悲しみが混ざった。

 だが、それを見て私は何も感じなかった。

 情など、もはや捨てた。

 生き残るためには、感情は毒だ。


 外では、群衆が何事かとざわめき始めていた。

 すでに宣言書は印刷され、王都中に貼り出される手はずになっている。

 ――《ルノワール王子、改革を宣言す》

 民はすぐに理解するだろう。

 新しい王の時代が来たと。


 私は王座の背後の階段を上がり、窓の外を見た。

 陽が昇り始め、街を黄金に染める。

 その光景に、私は無意識のうちに笑みを漏らした。


「これでよい。これで我が家は未来を掴んだ」


 だが、背後で響いた足音に、私はわずかに振り向いた。

 ルノワール王子が、ゆっくりと玉座の間に入ってくる。

 彼の足取りは静かで、しかし確かな威厳を帯びていた。

 玉座の前に立ち、彼は短く言った。


「父上を、王城北塔に移せ。――すべては終わった」


 私は深く頷いた。

 終わったのだ。

 この王国の旧き時代が、今、終わりを告げた。


 そして、新しい王が立った。

 娘エリシアがその隣に立ち、民衆の前で宣誓する。

 歓声が遠くまで響く。

 私はその光景を見ながら、ゆっくりと杯を傾けた。

 葡萄酒の赤が、朝日に透けて宝石のように輝く。


 フリーメル様には既に報告を送ってある。

 「マークス断罪は、旧王とセザンヌ王子の暴走によるもの」と。

 彼はマークスを断罪した者の処罰を要求していたのだから、これで全て辻褄が合う。

 新王ルノワールを讃え、我が家の罪も消える。完璧だ。


 私は天を仰ぎ、ひとつ長く息を吐いた。

 静かな達成感。

 だがその奥に、かすかな不安もあった。

 ――この若き王が、私の思い通りに動くだろうか?

 いや、今は考えるまい。

 この勝利の美酒を味わえるのは、いまだけなのだから。


 私は窓の外の光を見つめながら、呟いた。

「さあ、笑え、リヴェラよ。お前はついに、王の祖父になれるのだ」


 だが、その笑いの裏で、確かに聞こえた。

 遠く、鐘の音――それは祝福にも、あるいは警鐘にも思えた。


 王国は、新たな時代へと踏み出した。

 だが、果たしてその歩みが光に向かうのか、それとも奈落なのか。

 その答えを知る者は、まだ誰もいなかった。

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