あらなわ

@kuragenohakaba

第1話

拝啓

 神様、俺を愛して。





目をつむると、暫くしてから意識がしわくちゃの布団にゆっくりとしみだしていく。水に溶けてゆく飴のように皮膚から溶け出し完全に形を失う時、そこでやっと眠ることが出来るのだ。

春六の意識が布団の海に溶けだし始めた時、引き留めたのは天史郎であった。

「ハル、ハル。起きてる?」

「どうしたシロウ」

「起こしちゃったね。ごめんね」

「眠れないのか?」

そう問うと隣からかすかに布団の擦れる音がする。

「そう、眠れないんだ。今、すごく寂しい気持ち」

言いながら、蛇のようにするりと、春六の布団に潜り込む。潜り込んだ天史郎は春六の胸に顔をうずめ、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。

「今日のハルさ、ずっと文机に向ってて俺と全然お話ししてくれなかった。」

「そうか」

「俺、すごく我慢したんだ。話しかけたらハルの邪魔になっちゃうから静かにしてたの。握り飯も作った。昼時になっても気づいてくれなくて嫌だったけど夕飯の時食べててくれて嬉しかった」

「そうか」

「美味しかった?」

「嗚呼、美味かった」

「ごめんね。面倒くさいよね。こんなんじゃ誰も愛してくれないよね」

「そんなことないさ」

「……ハル」

天史郎の数秒の沈黙、「来た」と春六は思った。次の言葉は言わずとも知っている。こういう時の天史郎の頼みはいつも一つだ。

「あのね、ハル。いつもの、読んで欲しいんだ」


押し入れの奥から箱を取り出す。紐を解き二重の蓋を開けて中の物を取り出す。濃い栗皮色の表紙のそれは持ち上げるとずっしりと重く、手元を照らす灯りにあたらないよう慎重に開くと年季の入った古い手袋のような臭いがする。

聖書。この日の本にあってはならない異国の書物。

「どの章を読んで欲しい?」

「最初から全部」

「それじゃあ夜が明けちまう。開いたところから切りのいいところまで、それで良いか?」

「うん」

分厚い扉を開き中に書かれた文字をそのまま読み上げる。外に聞こえないように小さな声で。

「正直、異国の言葉で何言ってんのかさっぱり分からないや」

「やめていいか」

「やめないで。内容は分かんない、けど、聖書には神様が人間に与えた愛の物語が書かれてるんだろ?書かれている意味は分からないけど、俺は愛されてるって強く感じるんだ」

天史郎はさっきまでの震え声と打って変わって心底安心した、穏やかな口調でそう言った。

「俺を愛して。誰も俺を愛してくれないけど、貴方が愛してくれるなら俺、なんだってします」

春六の胸でつぶやかれる天史郎のそれは春六に向けられたものではなかった。遥か遠くの異国の国の「神」に東の島国から囁くこの声は届くだろうか。

 春六は、小さく縮こまった背中を撫で、上体を起こしてゆらゆら揺らめくと不確かな灯を、ふっと吹き消した。

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