第40話 水と森と街がつながる日

 サクラリーヴの朝は、いつもより少しだけ早く目を覚ましていた。


 まだ空は薄青く、東の端にやっと光が滲みはじめたころ。

 城壁代わりの丘の向こう、水路が大河へと広がる合流点――そこに、新しく組まれた木の桟橋が、まだ木の匂いを強く残したまま静かに横たわっている。


 魚港(ぎょこう)。


 誰かがそう呼んで、もう街中にその名が広まっていた。



「おーい、もう上がってくるぞ!」


 桟橋の先で、舟持ちのカインが声を張った。

 水路の向こうから、まだ頼りない小舟が三艘、ゆっくりと戻ってくるのが見える。網の影が、夜明け前の水面に黒く揺れていた。


 岸では、既に人だかりができていた。

 漁師見習いの若い連中、好奇心に駆られて抜け出してきた子どもたち、朝一番の仕入れを狙う料理屋と酒場の主、そして――ノエルが抱えた帳簿板。


「ま、まだ予定より十五刻も早い……」

「魚が腐る前に帰ってきたんだから、いいことじゃない」


 並んで立っていたエシルが、苦笑しながらノエルの肩を叩く。

 巫女服の上に羽織った上着が、朝の冷えで少し膨らんでいた。


「ほら、見て。あれが“今日からの仕事”よ」


 三艘の舟が、ほぼ同時に桟橋に着いた。

 まだ暗い水面の上に、ぴちぴちと跳ねる銀色の影。網を引き上げるかけ声と、水のしぶき。


「魚だー!」


 子どもたちが一斉に身を乗り出した。

 桟橋の端にあった縄に、大人たちが慌てて手を伸ばす。落ちるな、と怒鳴り声が飛び、笑い声が重なった。


「お、おいノエル、書けるか?」

「か、書きます!」


 カインが手にした木札を掲げる。

 舟ごとの印と、出た時間、帰りの時間、網の数、獲れた魚の量。

 ノエルは震える指先で、ひとつひとつ数字を書き込んでいく。


「一艘目、ハルの舟――小魚百二十、川マス十七、川エビ……ええと……これは二十でいいか?」

「細けぇことはあとで決めろ! 死ぬ前に数えるんじゃなくて、生きてるうちに数えろ!」


 カインの怒鳴りが、妙に理にかなっていた。

 エシルは笑いながら、魚籠を覗き込む。


「思ったより、いるわね」

「森が静かになって、水のほうに“力が寄った”感じだな」


 カインは濡れた髪をかき上げる。

 夜明け前の水面は冷たく、漕ぎ手の腕は赤くなっていた。


「網を入れたとき、川が“重い”感じがした。

 今までより、手応えがある。……悪くない」


 エシルは小さく頷いた。


「今日から、この魚が“街の血”になる。

 森に頼り切るんじゃなくて、水と森と畑で支え合う。――その最初の日ね」


 ノエルが、半ば悲鳴のような声を上げた。


「え、エシルさん、予定より二割多いです! 漁獲量が!」

「じゃあ、その分は“魚港お披露目価格”で安く出しましょう。

 初日から値崩れさせるのは怖いけど、“魚がある生活”を覚えてもらうほうが大事だもの」


「そ、そういうこと決めるときは、もう少し悩んでからに――」

「悩んでる間に腐るわよ」


 エシルの一言に、周りの漁師たちがどっと笑った。



 魚はすぐ、桟橋脇の仮設市場へと運ばれていった。

 木箱を並べただけの簡素な棚。だがそこに、銀や淡い紅、灰色の影が次々と並べられていくと、それだけで一角が“食卓の匂い”を帯びていく。


「安っ……」

「いや、肉よりはまだ高えぞ。初日だしな」


 朝一番に駆けつけた酒場主が、川マスを数匹まとめて買い取った。

 隣では、家庭用に小魚を袋いっぱいに買う母親たち。

 子どもがひとり、魚の口をまじまじと覗き込んでいる。


「ねえ、これ、どうやって食べるの?」

「焼くのよ。塩振って、炭で」


 別の母親が笑って答える。

 この街に生まれて初めて“魚を主役にした料理”を作る家庭が、今日いくつも生まれるのだ。


「初日価格は“平均賃金の四分の一で家族分”くらいに抑えておきましょう。

 代わりに、酒場と料理屋にはいつもより少し高めに」


 エシルが、帳簿板を覗き込みながらノエルに告げる。


「肉も野菜も、急には減らせない。

 森の獣が少なくなる分を、“魚と豆と果実”で補う形にしたいから」


「は、はい……ええと、“冬越し栄養計画”の欄に追記しておきます」


 ノエルは慌てて別のページを開いた。

 その帳簿には、「森編後 栄養配分計画」「冬季死亡率予防案」といった物騒な見出しが並んでいる。


「数字だけ見ていると、本当に胃が痛くなりますね……」

「数字だけ見てても、誰も助からないわ。

 でも、数字を見なかったら、もっとたくさん死ぬ」


 エシルの言葉は、淡々としていた。

 森の祈りも、商会の数字も、彼女にとっては同じ“人を生かすための道具”だ。


「さ、ノエル。顔色は後でリナに診てもらいなさい。

 今日のところは、“日収が昨日の三倍”になるって事実を喜びましょう」


「……三倍?」


 ノエルは、思わず、帳簿を抱えたまま腰を抜かしそうになった。



 午前も遅くなってくる頃。

 魚港の賑わいから少し離れた森前(もりさき)地区では、別の“最初の日”が進んでいた。


「はい、そこ杭。半歩左。……そう、それ以上右行くと、エルフに怒られるから」


 ミレイが測量縄を片手に、慌ただしく動き回っている。

 森緩衝帯の桜の帯から、少し街側に寄った斜面。

 そこが、第一期開拓地――森前地区だ。


 地面には、一定の間隔で木の杭が打たれ、そこに紐が渡されている。

 住宅予定地、工房予定地、果樹帯予定地。

 それぞれの区画が、まだ土の匂いしかしない斜面の上に薄く浮かび上がっていた。


「ここが、“炭焼き窯”の場所ね」


 ミレイが指差した先には、既に小さな石積みが始まっていた。

 鍛冶長ブランカが、腕を組んでそれを睨んでいる。


「水路からの溝は、もう少し太くしたいな。

 火の回りがよすぎると、木が一気に燃えちまう」

「じゃあ、そこは都市開発局と治安防衛局と鍛冶ギルドの“共同案件”ってことで」


 ミレイは軽く笑いながら、杭に印をつける。


「ここ、“濡れ輪”の線ね。

 窯の周りに水が溜まるようにしておけば、火事になりにくいわ」


 すぐ隣では、エルフの狙撃手セレスが、森側の木々を見上げていた。

 森の主との約束で、“ここから先は伐らない”という線が、セレスにははっきりと見えているのだろう。


「……境界の桜、もう少し増やしたほうがいいかもしれないわね」

「森側から見て、ちゃんと“線”が見えるように?」


 ミレイが訊ねると、セレスは頷いた。


「森は、人の札より“木の並び”をよく覚えるから」


 ドライアドのミラも、その隣で土に手をついている。

 指先から、微かな緑の光がにじんでいた。


「このあたり、根が絡みすぎているわ。

 果樹を植えるなら、少し休ませないと。

 森の主から借りていた力が“抜けた”後だから、無理をさせると枝がねじれちゃう」


「じゃあ、果樹帯の一部は、“三年後に植える”エリアにする」


 ミレイは、新しい印を地図に書き込む。


「炭焼き窯と製材所で出る灰を、土に混ぜて寝かせておくのは?」

「それなら、根は喜ぶわ」


 ミラが笑った。

 森の主と交わした約束が、こうして具体的な作業に変わっていく。


 斜面の下のほうでは、新住宅区予定地に、もう最初の地鎮の杭が打たれていた。

 小さな家々の位置。

 井戸の位置。

 避難路として、森緩衝帯と水路へ抜ける細い道。


 ミレイは息を吐き、斜面全体を見渡した。


「……ここに、人が暮らすんだな」


 森を見上げ、また街側を振り返る。

 森の黒と、水路の銀と、街の屋根の素焼き色。

 その間に、新しい“帯”が一本増える。


「森を全部切るわけじゃない。

 二割だけ、少しずつ借りて、少しずつ返す。

 ――その始まりが、今日か」


 足元の土は、まだ固くない。

 雨が降ればぬかるみになるだろう。

 それでも、この土の上に、家と窯と果樹と笑い声が並ぶ未来が、ミレイにははっきりと見えていた。



 その頃、街の中心では、ガルドが新しい日課を叩き込んでいた。


「街巡回、森境界巡回、港巡回。

 道が三本になった。足りねぇのは“目”と“足”だ」


 治安防衛局の詰所の前に、桜盾と市警と民兵が集まっている。

 朝の冷えの中、少し眠そうな顔も混じっていた。


「桜盾は森境界と港を優先。

 市警は街中と市場。

 民兵は、三路のあいだを繋ぐ“伝令役”だ」


 ガルドは、簡易地図を掲げた。


「森が静かになっても、『何も起きない』じゃない。

 静けさの向こうで何かが動いた後だって話は、この前の会議で散々した。


 だから、“こっちが静かにならねぇように”する」


 誰かが小さく笑った。

 緊張をほぐす笑いだ。


「森境界班は、エルフとドライアドと組む。

 言ったよな、“線は見えるように”って。

 見えない線ほど、簡単に踏み越えるもんはねぇからな」


 港巡回は、まだ見慣れない仕事だ。

 水辺での事故、舟の転覆、酒に酔ってそのまま落ちる輩。


「水辺で人を捕まえるときは、“引っ張り上げるのが先”だ。

 怒鳴るのは、息をしてからにしろ」


 笑い声が少し強くなった。


「街中は――」


 ガルドは、広場のほうを顎で示した。


「六大局だの市政議会だの、いろいろ紙が増えた。

 紙が増えた分、揉め事も増える。


 税を間違えた、配分を間違えた、仕事の割り振りが不公平だ。

 全部、ありえる。


 ……そのとき、お前らの仕事は“怒鳴ること”じゃねえ」


 市警のネスが、横から口を挟む。


「話を聞いて、通して、必要なら“議会に投げる”こと。

 勝手に殴り合いを始めたら止めろ。

 ただし、止めるときは、“どっちも止めろ”。いいな」


「片方だけ捕まえるのは、喧嘩ではなく政治だ。

 政治は、ここじゃやらねぇ」


 ガルドの言葉に、桜盾と市警の何人かが顔を見合わせた。

 森編を経て、“街の中の戦い”も変わりはじめている。


「――行くぞ」


 短い号令。

 三つの道へ、三つの列が動き出した。


 森へ向かう列、水路へ向かう列、街の中を巡る列。

 それぞれの背中に、同じ桜の印が揺れていた。



「で、なんで私はここにいるんだっけ?」


 昼前、鍛冶場の前で、リナが不満そうに腕を組んでいた。

 白衣の上に厚手の上着。手には、数枚の紙。


「“過労検査”の日だからだよ」


 隣で、ユーマがさらっと言った。

 彼もまた、診療院印のついた調査票を手にしている。


「六大局制を始めたばかりの時期に、一番壊れやすいのは“人”だ。

 特に、局長とか、工房主とか、帳簿を抱えてるやつとか」


 最後の一言には、ノエルが深く傷ついた顔をした。


「ぼ、僕のことを言いましたか?」

「君以外に誰がいるんだよ」


 リナは溜息をついた。


「……はぁ。まあ、やるけどね。

 福祉医療局の最初の仕事が“過労自慢大会”なの、どうなのかしら」


「大事だろ?」


 ユーマは真面目に言う。


「森編でも思ったけど、“倒れてから”来られても遅いんだ。

 あれは……本当に、洒落にならなかったから」


 リナはちらりとユーマを見た。

 彼が倒れた日のことを、診療院の全員が覚えている。


「じゃあ、まずは“あなた”からね」


 にこりともせず、リナはユーマの調査票を奪い取った。


「睡眠時間、一日平均?」

「ええと……四刻半……くらい?」

「その前後に、“寝落ちしていた時間”を足すと?」

「……六刻、くらい……?」

「食事回数は?」

「一日三回。たまに二回」

「その“たまに”が続いた期間は?」

「森編の、真ん中あたりから……」


 リナの目が、完全に医者のそれになった。


「――午後、診療院に来なさい。

 血を見て、魔力のゆらぎを見て、ちゃんと数字にする」


「やっぱり数字……」


 ノエルが小さく震えた。

 数字はどこまでも、彼らを追いかけてくる。


「工房は、まだマシなほうよ」


 リナはブランカの工房を指さす。


「火の前での作業時間、休憩の頻度、水分補給の回数。全部、治安防衛局と一緒に“規定”にする。

 倒れる前に止めるためにね」


「ばあさんたちの畑仕事は?」


 農家代表マークが、腰をさすりながら訊ねた。


「それは、“長く動き続けるための体の使い方”を教えるだけよ。

 今さら畑から引き離したら、あの人たち、逆に体を壊すもの」


 リナの言葉に、周囲から笑いが漏れた。

 この街の“医療”は、怪我や病気だけではなく、働き方そのものを見ていくのだ。



 夕方が近づく頃には、一日分の変化が、街のあちこちに目に見える形をとりはじめていた。


 魚港からは、午後便の小舟が戻ってくる。

 昼に揚がった魚は、既に干し台の上で風に吹かれている。

 水産市場には、「本日分 売り切れ」の札が掛けられた。


 森前地区では、最初の地鎮の祈りが終わり、杭に小さな布切れが結びつけられていた。

 家を建てる予定の家族の名と、そこで流れるであろう日常の願い。


 街中では、新しい巡回路が、人々の足音の中に溶け込んでいく。

 子どもたちは、桜盾の列の後ろをこっそりつけて歩き、「ここが森前」「ここが魚港」と言い合っていた。


 桜精院の掲示板には、早くも「魚港開設のお知らせ」「本日漁獲量と税収」「過労検査結果(誰とは書いていない)」といった紙が貼られている。


 ノエルは、帳簿を抱えたまま、その前で崩れ落ちそうになっていた。


「に、日収……三倍どころじゃない……」

「嬉しいでしょ?」


 隣でエシルが、楽しそうに言う。


「もちろん、支出も増えるけれど。

 森前地区の整備、水門と堤防、魚港の補強、氷室の建設、桜盾と市警の増員、福祉窓口の増築……」


「やっぱり胃が痛くなってきました」


 ノエルは、腹を押さえた。


「でも、数字として見えるのは、悪いことじゃないですね。

 “このくらいまでならやれる”って線が、少しだけ、はっきりしてきた」


「そう。『どこまでが無茶で、どこからが投資か』を見極めるのが、あなたの仕事」


 エシルは、わざと軽い口調で肩を叩く。


「そのかわり、“無茶と投資の境目”を、私やユーマや六大局のみんなで考える。

 ひとりに全部乗せないわ」


 ノエルは、少しだけ笑った。


「……そう言ってくれるなら、まだ頑張れます」



 日が落ちた。


 サクラリーヴの夜は、少し前まで、“必要な場所だけに灯りがある”夜だった。

 見張り台、詰所、桜精院、市場のごく一部。


 今夜は――違う。


 水路沿いに並んだ灯火が、いつもより明らかに多い。

 森緩衝帯の桜の帯にも、小さな灯が点々と灯っている。

 森前地区へ向かう道にも、仮設だが足元を照らす灯が置かれていた。


 高いところから見ると、それは一本の“筋”になっていた。

 森と街と水を結ぶ、光の筋。


 桜精院の屋上に立って、その光景を見下ろす者がいた。


「……やっぱり、ちょっとした“都市”だよな、これ」


 アストだ。

 外套の襟を立て、風に髪を揺らしながら、水路の灯を見ていた。


「村の夜っていうより、“港町の夜”に近え」


「まだ“港町”って言うには、小さすぎるけどね」


 隣に立ったユーマが、苦笑した。


「でも、いつかは胸を張ってそう言えるくらいには――なりたいな」


 水面に映る灯が、揺れている。

 舟の底を叩く音と、遠くの笑い声。

 森のほうからは、ひんやりとした風が吹き抜けてきて、その風が桜の枝を揺らしていた。


「森は、どう見える?」


 アストの問いに、ユーマは少しだけ目を細めた。


「前より、怖くない。

 でも、前より“遠くなった”感じがする」


「遠く?」


「うん。森の主と交わした約束も、保護林の線も、全部“こっち側の理屈”じゃないだろ」


 ユーマは、森緩衝帯の灯を指さす。


「こっちはこっちの線を引いた。

 森は森で、向こうの線を引いてる。

 そのあいだに、“森前”って新しい帯を作った。


 ……それって、ある意味、“森から少し離れた”ことになるんだと思う」


 アストは、しばらく黙っていた。

 やがて、小さく呟く。


「離れたからこそ、“隣人”になれるのかもな」


「隣人?」


「森が家族だった頃は、食われるか食うかの関係だった。

 今は、“境界線を挟んで隣り合っている”」


 アストは、森の影と、街の灯りを交互に見た。


「隣の家とは、喧嘩もするけど、行き来もするだろ。

 そのくらいの距離感になったってことじゃないか」


「……そうかも」


 ユーマは、少しだけ笑った。


「森の主も、“隣の変わり者の家族”くらいに思ってくれると、助かるんだけどね」


 風が吹いた。

 森の方角から、柔らかい匂いを含んだ風。

 森編の途中で感じた、あの「白い息」の重さは、もうほとんどない。


 かわりにあるのは、“確かにそこに何かがいる”という気配だけだ。


「見てるんだろうな」


 アストが呟く。


「魚港の灯も、森前の杭も、六大局も、市政議会も。

 ――全部、森の主は見てる」


「見られて恥ずかしくないものを、積んでいくしかないさ」


 ユーマは肩をすくめた。


「森に対しても、外の国に対しても、この街の子どもたちに対しても」


 水路から、舟の底を叩く音が響いた。

 対岸から、短く笛が返す。


 切れない音。

 切れない道。


「なぁ、ユーマ」


「ん?」


「お前、“スローライフ”ってやつをやりたいんだろ」


 アストは、空を見上げたまま言った。


「今のこれは、“スローライフ”か?」


 ユーマは少しだけ考え、そして、苦笑した。


「……少なくとも、“やりたい放題のブラック商会”ではないかな」


「そんな言い方あるかよ」


 アストが肩で笑う。

 ユーマも笑った。


「スローライフって、“何もしないこと”じゃないと思うんだ」


 水路の灯、森前の杭、六大局の窓口、市政議会の議席。

 それらをひとつひとつ思い浮かべながら、ユーマは言葉を選んだ。


「壊れないように、何度でも組み直せる生活。

 誰かが倒れても、全部が止まらない仕組み。

 朝起きて、飯を食べて、働いて、誰とも殺し合わずに眠れる日々を、

 “当たり前”だと笑えるだけの余裕。


 それを“続ける”ことが、たぶんスローライフなんだと思う」


「……贅沢なこと言うようになったな」


「贅沢を知るくらいには、街が豊かになったってことだよ」


 森の黒と、水路の銀と、街の灯り。

 それらが、ひとつの景色の中に収まっている。


 森は生きている。

 街も、生きている。


 水と森と街が、今日、初めてきちんと繋がった。


「さて――」


 ユーマは、胸の奥で小さく息を吸った。


「明日は、外の村からの“視察”だ」


「来るのか?」


「来るよ。“魚の匂いにつられて”ね」


 アストが笑う。

 ユーマも笑い返した。


 六大局制の初日。

 魚港の初日。

 森前地区の最初の杭。

 過労検査の最初の紙。


 その全部が、“次の一歩”に繋がっていく。


 サクラリーヴという街は、もう村ではない。

 まだ国でもない。


 ――けれど、この夜の灯りは、確かに“どこかの国の首都”と呼ばれてもおかしくないくらいの、強さと温かさを持っていた。

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