第21話 桜衛騎士団・初陣――会議は朝に始まり、夜に血の色を覚えた
朝の会議は、桜精院の大講堂で始まった。長机は楕円に並べられ、年寄り、職人、冒険者、商人、そして子を連れた母親たちが席を埋めている。扉は開かれたまま、外の光が木の床に四角く落ちる。ユーマが黒板を拭き、白墨でただ一語、「防衛評議会」と書いた。
「人口が増え、周縁との接触が増えている。外縁の森は、昔と違う動きを見せている」
開口一番、ユーマは数字と痕跡を並べた。旅商人ラザールが地図を広げ、獣道の濃淡を示す。斥候の報告、冒険者ギルドの散発依頼、子どもが拾ってきた黒い切れ羽。老医師は机を指で叩き、「夜の骨折が増えた。戻らぬ者も出る」と短く言う。
ざわめきはない。緊張だけが、静かに深く流れる。
フォージベルの鍛冶長ブランカが前に出て、掌の火傷跡をさらりと見せた。
「安全に暮らすには、火の管理がいる。火は、ほっとけば家も人も喰う。武器も同じだ。持たずに平和は、鍛冶屋の夢にも無い」
そこから、反対と賛同の声が交差する。武装で空気が硬くなる、子どもの心が荒む、いや、帰り道が守れなきゃ暮らしは立たない――。言葉は強く、だが誰も怒鳴らない。怒鳴り声は議論を壊すと、ここではもう皆が知っている。
議長役の記録官が、議題を四つに刻んだ。
一、武装組織の創設。二、配備と訓練。三、武器の管理。四、違反と処罰、そして更生。
「案を出す」
ユーマは紙束を掲げ、要点だけを読み上げた。
正規騎士三十六、予備二十四、祈祷・侍従二十。拠点は東西の門、市場境界、水路合流点、桜精院南。武器は正規配給、個人保有は登録制。緊急貸与は台帳管理。
法は短く厳格に――窃盗は償還+労働刑、暴行は長期労働もしくは地域奉仕、殺人は公開審問の上、死刑または終身労働隔離。拷問と公開処刑は禁ずる。
そして、どの刑にも技能訓練と精神指導を併設する。罰は捨てるためでなく、戻すためにある。
「死刑を残す理由は?」と誰かが問う。
「抑止と、守られる側の命の重さの確認だ。ただし、決定は公開審問で、恣意を排す」議長が答える。
長い呼吸が、講堂に落ちた。
やがて、手が上がる。反対は少数にとどまり、多数が挙手した。
可決。
同時に、団の指揮官についての推薦が上がる。名前は、アスト・ヴァルディア。領都で民の退避を優先し、上命違反で職を失った衛兵長。評判は「頑固」、実見は「折れない」。
「指揮は重い。受けるか?」
ユーマが問うと、アストは一礼して言った。
「守るための命令なら、私の声で十分だ」
拍手は起きなかった。拍手の代わりに、皆が椅子の背を前に寄せた。街全体が、少しだけ前のめりになった。
会議は配備線の引き直しに移る。副団長にミレイ=カンデラ(元ギルドの現場指揮)、教練長にガルド・ストライヴ(斧戦士、樹上獣の実戦経験)、祈祷師長にエシル・ルミナ(桜精院の巫女)、装備監察官にブランカ・ドゥルン(鍛冶長)。
骨格が、今、体を持った。
◇
午後、フォージベル区の炉は白く息を吐く。鉄は橙から黄へ、黄から白へ。白は危険、鉄が死ぬ色。ブランカはそれを指先で見分け、見習いの火加減を親指で下げる。
「焦るな。鉄は嘘をつかない」
槍頭は三日月型に調整された。落下軌道に噛むためだ。盾は厚さでなく骨組みで衝撃を逃がす二層空気構造。持てる時間を伸ばすことが命を残す。
水門の鎖、舟の係留金具も同じ炉で生まれ、同じ台帳に記される。この街では、武器と暮らしは同じ帳面に入る。
夕刻、桜精院の南庭で発足式。白布の団旗に淡紅の桜枝、その芯に小さな灯火。旗竿は倒木の老桜。腐らず香る木。
エシルが盃に月露を落とし、槍の穂先に印を置く。アストは列に向かい、声を上げずに通した。
「剣は人を殺すためでなく、帰る道を残すために握る。違えた者から、私は剣を取り上げる」
隊士たちは順に槍へ手を置き、一息だけ深く吸う。恐怖で手はわずかに震える。正しい震えだとユーマは思う。震えない者が一番危ない。
◇
日が抜け、弱い灯の時間。初巡回。
水路はまっすぐではない。橋の下は風が回り、音が半拍遅れる。舟は静かに滑り、岸の見張り台からはミレイの短い笛が聞こえる。
外縁の斥候が戻り、アストに囁く。「高い影。跳躍。声は獣だが、抑揚が人に近い」
ガルドが列の位置を一歩ずらし、盾の縁を噛み合わせで固定する。「上」と彼は言わない。指で“高い枝の節”を示す。そこに目が集まる。
森が、息を飲んだ。
枝が裂けた。
「上!」
声が落ちる前に、黒い影が月光を切った。跳躍ではない、滑空。爪に湿りが照り、狙いは槍ではなく喉の高さ。
「角度、下! 受け流し!」
アストは叫ばない。速度で命令する。前列の槍が**“落ちる軌道”に先回りし、三日月の縁で肉を裂く。湿った衝撃。しかし別の影が地面から跳ねる**。足元。
テオが盾を突き出す。衝撃が腕から肩へ走り、骨が焼けるみたいに重い。支える位置は良い。だが、遅い。影は盾の縁を踏み台にして、テオの喉の高さへ角度を変えた。
血は、次の呼吸で落ちた。
誰も叫ばなかった。叫びは敵の隙になる。
「三列、横薙ぎで圧――今!」
アストの声と動作が同時に起き、横一文字の掃き払いが影の脚を奪う。ガルドが二列目を締め、盾の角が噛み合う音が乾いた木鳴りを残した。
衝撃石が投じられ、茂みの内で小さな破裂音が連続する。群れは散る。木の上へ、影の中へ。撤くのも速い。撤く先がある狩人の動き。
呼吸が戻る。夜の温度が一度下がったように感じられた。
テオは動かない。麦と朝の声を持っていた若者は、今は静かな重みだけだ。
ユーマはその重みを見て、明日の議題を決めていた。原因の明文化と、二度と落とさない仕組み。
◇
夜半、桜精院の一室。エシルが短い祈りを終え、布でテオの目を閉じる。アストは扉の外で待ち、戻ってきたエシルから一言だけ受け取った。
「終わりを与えました」
終わりがあるから、人は次へ行ける。アストは頷き、詰所へ戻る。
ミレイは卓上に小石を並べ、さっきの跳躍角度を石の高さで再現していた。ガルドは盾の齧り跡を指でなぞる。「ここ、狙われる」。ブランカは黙って聞き、噛まれた位置に補強骨の図を描き加える。
「修正案」
アストは白墨を握り、地図へ新しい基準線を引く。灯火の高さを一段落とし、逆に狭い路地の足下灯を増やす。樹上からの落下に対しては斜め上へ払う専用の短槍を二列目に追加。舟は橋下で一旦止めず、水音の“切れ”を作らない巡回速度に変更。
言葉は少なく、線が増える。線の意味は皆に見える。
「テオの家へは、備蓄から支援。費用は市の備蓄基金税から。遺児教育は桜精院が責任持つ」
ユーマは決め、記録官がその場で台帳に記す。悲しみは消えない。だが、制度は遅らせない。
◇
夜明け前、霧。会議は続く。
昨日朝と同じ講堂、だが空気は違う。誰もが一度、血の匂いを知った。
「原因を三つに分けた。視界、角度、間」
ユーマは黒板に書く。
一、視界――上を見すぎて下が薄い。低い影への警戒線を足す。
二、角度――盾が狙われる。盾の縁→喉の軌道を前提に、槍の待機角を**“喉の線”へ。
三、間――怖さで半拍遅れる**。呼吸訓練を戦技に組み込む。息を吐き切る「終」の合図で列を整える。
祈祷師長エシルが席を立つ。「恐怖は悪ではありません。鈍らせるから悪に見える。祈りは、鈍りを落とす“手順”にします。儀礼を短く、戦技に間に合う呼吸へ」
ブランカは装備の変更案を出す。
籐の
衝撃石は湿りに弱いので殻に薄皮の油を塗る。
副団長ミレイは巡回のルートを再設計する。「舟の巡回を**“音の縫い目”にする。橋下の音が切れる場所**を埋めるように笛と水音を重ねる。視界ではなく、耳で通す」
教練長ガルドは、練習の順番を入れ替える。「槍の素振りは後。まず視界と足。影を目で追うな、肩→腰→足首の順で見る。跳ぶ前の足首で、跳躍の高さは決まる」
議場がうなずく音がした。制度は、直ちに現場へ落ちる。
◇
午前。
訓練場に、“間”の音が生まれた。
ミレイの笛が短い指示を切り、ガルドが木棒で盾を叩く。叩かれる位置で前列の角度が変わる。二列目の《梢払い》は、まだ躊躇が出る。ためらいは、喉の高さが見えた瞬間に消えた。
アストは列の後ろを歩き、倒れそうな肩を指で押して戻す。叱らない。短い肯定だけを置く。「いい。そこ」「息を吐け」「噛め」
昼、ミルクグラス区の広場で短い公開審問が行われた。若い男が野菜を盗んだ。
記録官が事実を読み、被害者が事情を語り、弁述人が男の家庭を述べる。斧のような言葉は一本も出ず、結論は静かに下りた。労働刑三ヶ月(穀倉修復)。桜精院で基礎教育と薬草棚管理。家族には食糧支援。出所後は商会で就労斡旋。
子どもたちが見ていた。罰は戻すためだと、目で覚える。
◇
夕刻。
団旗は風に鳴らず、布の重みだけで揺れる。
ユーマは広場の灯の高さを一段落として回り、路地の角に足下灯を足した。灯の有無ではない。どこにどう置くかが秩序だ。
アストは見張り台で、テオの名を口にしない。名は祈りの中にある。命令の中では、次の命を残すことだけを言う。
「舟は切らない。水音を繋げ。足は止めるな。止めた音に影は落ちる」
ミレイの笛が一度だけ細く鳴り、巡回が動いた。
ブランカの《喉守》は胸の上で角度を保ち、二列目の《梢払い》は前列の肩をかすめて斜め上に走る。稽古と同じ角度で。
ガルドが足首を見ている。跳ぶ前に、土はわずかに沈む。そこに半拍早く槍が置かれた。
森は今夜、静かだった。
静けさは、勝利でも油断でもない。
改善に対する猶予だ。
◇
夜。
小さな祠に、ブランカが手のひらほどの盾を置く。刻まれた文字は「テオ:麦と朝の声」。エシルが香を焚き、祈りの言葉を短く置く。「終わりを与え、帰る道を照らす」
ユーマは講堂に戻り、黒板の隅に小さく書いた。
「死は無くせない。だが、減らす手順は作れる」
そして、その下にもう一行。
「恐怖は敵ではない。呼吸が味方につける」
外では、水が静かに光を返していた。灯は高くなく、低くなく、ちょうど良い高さで夜を縫っている。
街は今日、武器を持った。
だがそれは、誰かの夕餉を奪わせないために握る武器だった。
明日から、訓練は増える。仕事も増える。税収も増える。備蓄は厚くなる。審問は面倒だが、街を守る面倒なら、いくらでもやればいい。
アストは最後に、見張り台の階段を降りながら独りごちた。
「守るための命令なら、私の声で十分だ」
声は夜に溶け、舟の水音に混じって、切れ目なく流れていった。
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