第7話 サクラ総合商会設立会議 ― 桜貨が巡る前夜 ―

 朝、港の波は小さく、干した網のむこうで薬草を束ねる匂いがした。

 藁屋根の並ぶ中央通りは、夜明けとともにひらく露店で早くも半分ふさがれている。ミントの束、乾燥セージ、すり潰した樹皮、酢の瓶。桜の刻印を押した木箱が三つ、四つ。通りの端には、サクラ総合商会の看板を掲げた**医薬部門ファーマシー**の扉。朝の光でガラス越しに薬瓶が淡く光り、店内からは湯気の白さがもれていた。


 ユーマは二階の事務室で**会計台帳アカウンティング・レッジャー**をひろげる。魔法紙の端に赤でも青でもない細い金の線が走り、昨夜から積み上がった記録を静かにまとめていく。

 「……悪くない。いや、良すぎるくらいだな」


 売上は増えている。だが、増えるたびに同じ種類の費用が別々の帳に立つ。薬草は**薬草部門ファームの畑から上がるが、選別や乾燥の工程がときどき香料部門パフューマリーの作業台に回り込み、抽出に使う器具は貿易部門トレードハウス**の倉庫からその都度出庫する。帳簿が四冊で追いかけっこをしている。

 「同じ村で、同じ人間が、同じ刻印の箱を使ってるのに、帳簿は四つも五つも要らない」


 窓の下では、妖精がふたり、紐の先でラベルを乾かしていた。薄い紙を持ち上げるたびに、陽の光の中で桜印が透ける。

 ユーマはペンを置き、深く息を吸って、階段をおりた。


 店先にはリシアが立っていた。事務総括としてこの店と商会全体の手足を束ねている。落ち着いた茶の瞳で、朝の帳簿を一枚ずつ束ねて渡してきた。

 「統合会議、準備できています」

 「ありがとう。今日は、“看板”の話をしてしまおう」


 ふと、扉の鐘が鳴った。入ってきたのは**薬草部門ファーム**のベイル。日焼けした頬に朝露の光る男だ。背には籠、指先は土の匂い。

 「集まるなら早いほうがいいと思ってな、ユーマ。あの丘の東側、土が軽くなってきた。輪作の順番を変えたら、薬草の香りが少し甘い。……数字に出るぞ」

 ユーマは笑った。「香りが甘いと粗利も甘くなる。覚えておく」


 続いて、**香料部門パフューマリーのフロルが来た。薄い布の手袋を外しながら、ガラス瓶を両腕で抱えている。

 「新しい抽出、試してみたの。香りの立ち上がりが柔らかい。……けれど瓶が足りなくなるわ」

 「瓶は貿易部門トレードハウス**の倉庫で計画発注にまとめる」

 最後にアーデンが入ってくる。**貿易部門トレードハウス**の若き代表は、風に焼けたマントを肩から外し、旅人の癖で周囲に目を走らせた。

 「港の南、コルト村から荷車が三台。小麦粉と乾燥肉、あとアンナのチーズ。今日の午後に着く。返し荷に薬と香油を載せたい。……積載表を一本化できるか?」

 「できる。今日それを話す」


     *


 商会本部の会議室は、木の匂いのする長い卓と、壁に掛けられた地図が主役だ。村の中央から四方に伸びる街道が赤い糸でなぞられ、その先に隣村の名が小さな札で結わえてある。

 ユーマは卓の端に立ち、四人の顔を順に見た。ベイル、フロル、アーデン、リシア。ここが現時点の「核」だ。**医薬部門ファーマシー**の調剤責任者は今日、診療で遅れている。書面はすでに回した。


 「まず現状」

 ユーマは薄い板を置く。《会計台帳》が書式を転写して新しい紙に数字を浮かび上がらせた。

 「売上は前月比で三二%増。粗利は二一%増。ただし、在庫の重複仕入れが目立つ。瓶、紙、紐、油。部門ごとに“少しずつ足りない”が積み上がって、**“だいぶ損”**になっている」


 ベイルが腕を組む。「現場は、足りなければ借りる、余れば分けるで回ってる」

 「その『善意』が、会計では最も高い」

 ユーマは笑わずに言った。「善意は否定しない。むしろ、それを仕組みに残す。今日から分会ぶんかい制度を正式に動かす。部門ごとに分会として独立採算。ただし帳簿は本部で連結する」


 リシアが補足する。「各分会の売上・費用・在庫は色分けで表示されます。**『誰の努力が、どこで利益になったか』**が見える。分け前はそれに沿って決まる」

 フロルが息を吐く。「色で見えるなら、誰も損した気持ちにならないわね」

 「それが一番の狙いだ」


 ユーマは地図に向き直る。「いまある分会を確認する。医薬部門ファーマシー薬草部門ファーム香料部門パフューマリー貿易部門トレードハウス。——この四つが現行の柱だ。**醸造部門ブルワリー鉄工部門アイアンワークス食品部門フーズ**はまだ存在しない。今日は“将来計画”として場所と人だけ決めて、準備着手にする」


 アーデンが頷く。「交易路は確保できる。醸造に使う樽はコルト村のブランに伝手がある。けど、工房は……」

 「鉄工は急がないといけないわ」フロルが静かに遮った。「器具の一部は外から買ってる。割高で、質も安定しない」

 ベイルも続ける。「食品も、保存の効率が上がれば、畑の回し方を変えられる。けど……」

 「わかってる」ユーマは短く頷いた。「順番を守る。**まずは“見える化”と“一本化”**だ」


 ユーマは卓上に四つの木札を置いた。桜の刻印と、それぞれの分会名。

 「今日から……」

 彼は言葉を選んだ。「看板名はサクラ総合商会で統一する。各店先の旧名は、札を内側に移して**“伝承名”**として残す。誰の仕事も消さない。ただ、外に向けての名は一つ。それで宣伝費と信用がまとまる。異論は?」


 短い沈黙のあと、ベイルが手を挙げた。「畑の入口に『ベイル農園』って看板を掛けてる。親父と祖父の名でもある。……内側に移して、誰の目に触れる?」

 ユーマは会計台帳を指で弾いた。紙面が柔らかな光を放つ。「ここに触れる。**『分会史』**を作る。誰が、いつ、どう働いて、この街を作ってきたか。店の棚にも置く。客にも見える。——数字と一緒に、名前を残す」

 フロルがうなずいた。「なら、私は賛成」


 アーデンも短く笑う。「看板を一つにしてくれたほうが、港の商人は迷わない。積み下ろしの札も一本でいい。——賛成だ」

 リシアが小槌を打つ。商会の会議では、合意のときに一度、木の音を鳴らす慣わしだ。

 コン、と小さな音がして、部屋の空気がすっと整った。


     *


 「次。通貨の話だ」

 ユーマは壁の地図から目を戻した。四人の視線が集まる。

 「港はこれから増える。村の外から来る商人と、こちらの品物は増え続ける。国貨は混ざっている。重さも純度も安定しない。だから——桜貨を作る」


 ベイルが目を瞬かせる。「……金貨を?」

 「桜金貨サクラ・ゴールド桜銀貨サクラ・シルバー桜銅貨サクラ・カッパー桜鉄貨サクラ・アイアン。四種を“重さ・刻印・香り”で識別する。香りはフロル、刻印は俺とアーデンで設計する。**鋳造部門ミント**はまだ存在しないが、工房の場所と火床だけ決めておく」


 フロルが瓶を抱え直した。「香りで識別、ね。可能よ。薫蒸の時間を秒単位で揃えれば、瓶と同じで“立ち上がり”が通貨ごとに違うようにできる。偽造は、きっと難しくなる」

 アーデンが肘をつく。「刻印は桜の花弁を五枚。外輪と内輪の線をずらし、線の重なりに“魔法のひっかかり”を作る。すべすべに見えて、指で触るとわずかに引っかかる。手触りが刻印の最後の検査になる」

 ユーマはうなずく。「信用は、素材より再現性で守る。桜貨の価値は“約束”だ。**医薬部門ファーマシー**で薬を買えて、**香料部門パフューマリー**で香油が買えて、**貿易部門トレードハウス**の倉庫で保管手形に換えられる。使える場所が多いほど、通貨は強くなる」


 リシアが帳簿をめくる。「会計処理は、まず内部通用から。給与の一部と売買の釣り銭を桜銅貨で試行。外部への支払いは当面、国貨と併用。“混在期”を宣言しておけば混乱は起きません」

 ベイルが肩を落として笑った。「なんだ、やっぱり慎重だな、ユーマ。てっきり今日から金貨をばら撒くのかと思った」

 「ばらまきは、最後に帳簿が泣く」

 ユーマの口元はほとんど動かない。「最初は“内部だけ”で回す。桜貨の価値はこの街が保証する。街の中で“絶対に使える”という事実が、価値を作る」


 リシアが小槌を二度、静かに鳴らした。

 ——桜貨、試鋳造と内部通用の開始。全会一致。


     *


 会議は“いまある四分会の一本化”に戻る。

 「**医薬部門ファーマシー**は、当面“薬と栄養”に集中する。パンもチーズもまだ“扱わない”。食品部門フーズは計画段階。人と場が揃い次第、ベイルの余剰穀から——」

 「待って」リシアが手を挙げる。「ベイルの畑は今、香草と薬草で満杯。余剰穀を出すには、一つ、どこかを休ませなきゃ」

 ベイルは首を横に振った。「丘の北側、ドライアドが古い根をほぐしてくれた。**循環耕作サイクル・ファーミング**の配列を変えれば、余剰は出せる。香りは少し変わるが、品質は落とさない」

 ユーマは短く考え、頷いた。「食品部門フーズは“準備着手”。人選はアンナに声をかける。彼女はまだ“独立商い”だが、品質を守る気骨がある。**醸造部門ブルワリー**は、樽の手配がついたらブランに話をする。**鉄工部門アイアンワークス**は、工具の内製から始める。武具はまだいい。**先に“街の道具”**だ」


 アーデンが笑う。「道具が先か。お前らしい」

 「武具より先に、秤と瓶口の栓と荷車の軸がいる」ユーマは淡々と言った。「暮らしの精度を上げる」


 会議の終わりに、ユーマは最後の札を取り出した。

 宿泊分会ホスピタリティ

 「宿をまとめる。いま、街道沿いに宿と食堂が乱立している。価格はまちまち、衛生もまちまち。**宿と食を“基準化”**する。働く人間が安心して眠れない街は、肥えない」


 リシアがにやりとした。「その札、用意していましたね?」

 ユーマは肩をすくめる。「最初から、今日出すつもりだった」


 小槌が、最後に一度、卓を打つ。

 会議は終わり、街の音が戻ってきた。


     *


 夕刻。丘の裏手、古い粘土窯を改装した小屋の前に、石の炉が組まれた。周囲には湿った土の匂い、夕餉の煙、子どもの笑い声。

 ユーマは鋳造部門ミント予定地を見渡す。まだ壁も屋根もない。あるのは火だけだ。火は、経済の最初の鼓動だ。


 アーデンが鉄鉤で炭をならし、フロルが小瓶を差し出す。淡い香りの油。

 「これを、炉に塗るの?」

 「炉じゃない」フロルが笑う。「刻印の面。金属が冷める最後の瞬間に、香りを薄くまとわせるの。**“香りの重なり”**が、模倣できない“らしさ”になる」


 ユーマは小さな銅片を手に取った。今日ここで作るのは、桜銅貨サクラ・カッパーの試片だ。通貨と言い切るには早い。ただの挨拶だ。

 「——いこう」


 アーデンが合図し、溶けた銅が細い注ぎ口から型に落ちる。桜の花弁が刻まれた二枚の金属板で、柔らかな音がした。押し締めた刹那、フロルが指でひと撫で、香りを落とす。

 冷めたあと、ユーマはそっと初めての一枚を指先に乗せた。

 小さく、軽い。けれど、想像よりずっと重かった。

 ——これが回れば、街が変わる。


 彼はそれを、隣にいたベイルの掌に渡した。

 「明日から畑に出る連中の賃金の一部を、これで払う。内部だけだ。医薬部門ファーマシー香料部門パフューマリー、そして**貿易部門トレードハウスの店で確実に使える。“使える場所”**が通貨の命だ。最初から、命を持たせる」

 ベイルは強く握らず、ただ見つめた。「薄いのに、厚いな」

 ユーマは笑った。「約束はいつだって薄い。だから、折れないように何層にも重ねる」


     *


 夜。港に灯がともり、屋台の肉を焼く音が途切れない。最初の銅貨の話はまだ誰も知らないはずなのに、街はわずかに浮き立って見えた。

 **宿泊分会ホスピタリティ**に加わる予定の古い宿の女将が、店先で桶を磨いている。香料部門パフューマリーの石鹸を使っているのか、泡にほんの少し花の香りが混じる。

 「ユーマさん、明日は旅の一座が来るそうですよ。宿はもういっぱい。笑っちゃいますね、ここが“村”だなんて」

 ユーマは首を振った。「“村”でいい。俺たちの気持ちが村なら、どれだけ人が集まっても村でいい。ただ——仕組みは街にする」


 後ろでリシアが足音を止めた。

 「今日の合意、全部記録済み。**分会ぶんかい**の看板は、明日の朝から付け替えます」

 「ありがとう。分会史の巻頭に“伝承名”の来歴も入れてくれ」

 「もちろん」

 リシアは少し言いにくそうに続けた。「——ねえ、ユーマ。あなたは“やさしい独裁者”みたいだと言う人がいるの、知ってる?」

 ユーマは肩をすくめる。「独裁は、帳簿が一冊のことを言うんだ。帳簿は一冊でいい。けど、中身の名前は無数でないといけない。俺は名前を消したくない」


 静かに笑って、リシアは紙束を胸に抱えた。「じゃあ、やっぱりやさしいだけね」


 港の向こうで、夜の風がひろい。

 ユーマはふと、指先に乗せた試作の桜銅貨を見つめた。光は弱いのに、確かな縁の線が、ここまで来た道のりをなぞっているように見えた。


 「焦らず、競わず、ちゃんと儲かる」

 声に出すと、少し照れくさかった。

 「儲けは、街を休ませるために使う。働く日は四つ、休む日は三つ。**宿泊分会ホスピタリティ**は、休む技術を売る店にしてくれ」


 リシアは「了解」とだけ答えて、暗がりに消えた。


     *


 深夜。灯りの落ちた商会本部で、ユーマは一人、**会計台帳アカウンティング・レッジャー**を閉じた。

 明日の朝、看板が変わる。サクラ総合商会。すべての店に一つの名。

 街の外の人には、ただそれだけが見えるだろう。だが、内側には——ベイル、フロル、アーデン、リシア。名もない職人、畑の子ども、瓶にラベルを貼る妖精。無数の名前が重なっている。


 ユーマは窓を開け、夜のひんやりした空気を吸い込んだ。

 「武力じゃない。信用で、街を守ろう」

 誰にともなく言った言葉は、暗い天井でほどけて、小さく返ってきた。

 遠く、鍛冶小屋の方角で、まだ誰かが金属を叩く音がする。**鉄工部門アイアンワークス**の誕生は、もう少し先だ。**醸造部門ブルワリー**の香りは、まだない。**食品部門フーズ**の釜も、まだ火が弱い。

 ——それでいい。順番にやる。薄い約束を、厚い暮らしに変える。


 初めての銅貨は、机の上で小さく光った。

 “これが回れば、街が変わる”

 ユーマは目を閉じ、静かにうなずいた。

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