第5話 香りと契約 ― 村の商会、ひとつになる日 ―
朝の港は、樽の擦れる音と麻袋の匂いで目を覚ます。
丘の上、サクラ商会の帳場に座った井上優馬――この世界ではユーマ――は、《会計台帳〈アカウンティングレッジャー〉》の新しいページを開いた。青い光が紙面を薄く走り、昨夜までの集計が静かに浮かぶ。
《前日サマリー》
売上:銅貨 2,730/粗利率 71%
在庫:香庫→安定/生産能力:現状稼働 62%(余力 38%)
商圏:港・コルト・リュンナ・フィード
注意:村内商会 3 件 赤字(連続 4 週)/労働流出 17 名
推奨:統合(買収・資産吸収・雇用再配置)
「動かない理由がない」
独り言に、窓際で乾いた葉が触れ合った。風の精霊ノエルがひょいと顔を出す。
「今日は北から堅い風。書付が飛ばないようにね」
「助かる」
水の精霊セリュは井戸の縁で指を濡らし、静かな目で頷く。「数字の方は滑らか。今日は交渉日和」
炎の精霊ラカンが釜の側で短く笑う。「火も交渉も、酸素の回し方だ。燃やしすぎるなよ」
ドライアドのシルヴァが扉柱をなでた。「木は、余分な枝を切ると幹が太る。そういう日」
扉が二度、一定の間合いで叩かれる。
商人ギルド監査官、リシアだ。
「朝一で悪いわね。村内の三商会、とうとう支払いが止まった。借り入れの延滞、四週」
「名を」
「薬草卸のベイル商会、香油と化粧のフロル屋、それから運送のアーデン交易。村議会は“自然淘汰に任せる”方針」
「任せれば購買層が痩せる。サクラにとっても損失だ」
「だから、あなたが動くなら今」
ユーマは頷き、台帳に赤い線で三つの屋号を書いた。
「順に行く。――買収基準は三つ。雇用の維持、流通の一本化、在庫の腐敗ゼロ」
◇
1 ベイル商会:診断と決定
ベイル商会は港から一筋入った古い石造りだ。乾いた薬草の香りはまだ良い。問題は数字。
白髭の会頭、ベイルが苦笑で迎えた。
「若いのに、ずいぶんいそがしい顔だ。棚は見ての通り、売れ残り。……だが、畑の土はまだ死んじゃいない」
「畑と人は価値です。帳簿を見せてください」
帳簿を開く。ユーマは《真理視界〈オムニアイズ〉》を指先だけ走らせ、数字の“体温”を見る。
売上高は前年の半分。回転期間は三倍。支払サイトは短縮、受取は延長。――資金繰りは崩壊の典型。
《会計台帳》が余白に小さく出す。
《買収価値 算定》
・固定資産(土地・倉)評価:銀貨 120
・在庫(実売換算):銀貨 24(廃棄率 38%)
・負債:銀貨 300(遅延利 4%/月)
・人的資産(栽培・乾燥職人 12 名):代替不可 8 名
推奨:資産譲渡+負債肩代わり(利減免交渉前提)/会頭 顧問起用
ユーマは閉じた。
「結論。土地と倉と在庫をサクラが引き取る。負債もまとめて持つ。ただし利は削る。あなたは顧問として残る。畑の土と人の知恵を、こっちの標準に合わせて運用する」
ベイルは一瞬だけ目を閉じ、すぐ開いた。「名は、残るか?」
「“ベイル・サクラ栽培部”。看板は残す。権限は移す。給与は据え置き、効率に応じて上乗せ」
「……それなら、従業員が逃げない」
交渉は短かった。短くて良い交渉は、双方の理解が揃っている。
リシアが立会人として文に印を置く。
ユーマは村の古手税務官に走り書きの通知文を渡した。「固定資産の名義変更と負債引受け。税率は現行のまま。納付の遅延なし」
税務官は驚くでも迷うでもなく、書類を受け取った。「あの丘は遅れない」――それがこの村の新しい常識だった。
外へ出ると、妖精のリトとフィアが荷造りに入っている。
「香庫の段、また増えるよ!」
「乾燥棚は低い段に移します。風通しはノエルが調整」
ノエルはうなずき、店の背後の路地へ細い追い風を敷いた。「荷車が軽くなる」
水のセリュが倉の床を撫で、「湿りは切れてる。良い乾き」
ドライアドのシルヴァは土間の柱を軽く叩き、「木は疲れてる。休ませて正解」
《市場掌握〈マルクトコントロール〉》の地図に、港内の一点がサクラ色に変わる。一本目、完了。
◇
2 フロル屋:ブランドの残し方
午後、香油と化粧の小店――フロル屋に入る。
女将のフロルと若い職人二人、瓶の前で硬い視線。
「買収ってやつでしょ。女の店は邪魔になった?」
「邪魔なものは買わない」ユーマは淡々と言う。「需要はある。供給が下手なだけだ」
帳場に腰を下ろす。フロルが舌打ちしそうになって、しなかった。
「在庫は?」
「香油 120、粉白粉 80、香水 40。全部、売れない」
「売れない配合をやめる。売れる香りに寄せる。――《真理視界》」
ユーマは瓶の肩に光を当て、香気の立ち方、揮発の速さ、肌残りの時間を読む。
「この三本は抜く。残すのは森香油の“手”だ。あなたの手は良い。ブランド名は残す――“フロル・ライン”。会計と流通はサクラが持つ」
「私は?」
「部門長。価格決定には口を出さないが、香りはあなたが決める」
フロルの喉がわずかに鳴った。
「……“私の手”を残すなら、飲む」
若い職人が口を開く。「休みは?」
「週に一度、必ず休む。休まない香りは鈍る」
フィアがすかさず割って入る。「女性の棚、つくろ。説明は図でいく」
ユーマは頷き、図板に簡単な線を引く。――手、首、耳の後ろ。香りの乗る場所を絵にして見せる。
リシアが小声で笑う。「ほんとに“図”が好きね」
「文字より速い。間違えない」
契約書にサインが並ぶ。
《会計台帳》の端が光り、「フロル・ライン/統合完了」。二本目、完了。
◇
3 アーデン交易:物流の一本化
夕刻、運送屋アーデン交易。
体躯の大きいアーデンが腕を組んで待っていた。馬車は錆び、縄は緩い。
「よぉ、丘の坊主。うちは“独占禁止”って言われたくないね」
「独占じゃない。重複の解消だ。配送路は一本でいい」
ユーマは《市場掌握》を開き、港と丘と三村の動きを見せる。
「ここ、ここ、ここ。荷は毎日、似た時間に重なる。それぞれが半分空で走っている。無駄だ」
「それは……まあ、そうだが」
「サクラが物流を束ねる。お前は“動力”に専念する。荷台はサクラ仕様。計量もサクラの尺度。賃金は固定+出来高」
「つまり、俺は雇われの御者に落ちるってわけだ」
「落ちない。お前は“路の責任者”。事故率が下がれば、お前の評価。上がれば、お前の責任」
アーデンの肩が一つ揺れた。
「責任、ね。責任のある金は嫌いじゃない。……いいだろう。縄は変える。車輪も打ち直す」
ユーマは即座に手配する。「エルフの木工、エリアスに頼め。軸を変えろ。風はノエルが通す」
その場で《会計台帳》に新しい科目が生まれる。――路:港―丘/丘―コルト/丘―リュンナ/丘―フィード。
三本目、完了。物流は一本の動脈になる。
◇
4 統合の日:数字で動く村
日が落ちかける頃、村の集会所に人が集まった。
村議会の古株、パン屋、鍛冶、漁具、旅籠の女将、そして三商会の従業員たち。
ユーマは壇に紙を三枚重ねて置いた。
「報告は簡潔に。三商会はサクラが吸収します。雇用は維持、給与は据え置き、残業は不可。流通は一本化。価格は顔の範囲で統一。税納付は遅延なし」
沈黙。
鍛冶屋が手をあげた。「一つになれば、お前が王さまだ。物価は?」
「上げない。不作の年でも、下げない。変動は“説明”の範囲に収める」
旅籠の女将が言う。「仕事は増えるの?」
「減らない。無駄が消える分、休みが増える」
パン屋が笑う。「休んで金が出るならみんな働く」
リシアが肩で息を吐いた。「議会としては、異論なし。税収は? ――ああ、言うまでもないか」
「増える」ユーマは短く返す。「このまま競争を続ければ、三つ潰れて税は消える。一本にまとめれば、税は残る。数字はそう言う」
《会計台帳》が集会所の壁を薄く照らす。
《統合サマリー》
・統合対象:ベイル商会/フロル屋/アーデン交易
・雇用維持率:100%(再配置 42 名)
・物流効率:+41%/損耗率:−38%
・平均労働時間:−22%/週休:導入
・村内物価指数:±0(安定)
・税収予測:+35%(半年)
・信頼指数:+60
ユーマは壇を降りた。歓声も怒号もない。秩序が場を満たす。
それでいい。数字で動くとき、世界は静かだ。
◇
5 再配置:人を切らずに“位置”を切り替える
夜になる前に、丘の香庫へ戻る。
ベイルの畑から運び込んだ乾燥棚を、土の精霊ミリルが低い段に据え、セリュが湿りを合わせる。
ノエルは貯蔵庫の背面に新しい風穴を作り、ラカンが封蝋場を“息の火”に調律する。
妖精のリトとフィアは、フロル・ラインのラベル台を香庫の手前に設え、鏡を置いた。
「女の人が手元を見れるように」「香りは鏡越しだと落ち着くの」
エルフのエリアスが車輪を打ち直し、アーデンが縄を替え、荷台の重心を下げる。
「これで転けにくい」
ユーマは《市場掌握》で路を一本に結び、配送時刻にわずかな波を与えた。
「車列の渋滞が消える」
リシアが帳場に腰掛け、静かな目で新しい組織図を見る。
「“部門”って言葉、村に根づくのね」
「働く場所を“位置”で考えると、無理が減る」
ユーマは《会計台帳》に最終の線を引く――サクラ商会 連合体。
部門:栽培(ベイル)/香料(フロル)/錬精(本工房)/物流(アーデン)/販売(丘・港・三村)/会計(台帳)
責任と役割が、絵のように配された。
◇
6 夜の契約
月が昇り、香庫の木の壁が静かに鳴る。
ユーマは机に契約書を広げ、最後の署名欄にペンを置いた。
ベイルが顧問として印を押し、フロルが女将として印を押し、アーデンが路の責任者として印を押す。
リシアがギルド監査官として最後の封蝋を落とし、炎のラカンが火を一つだけ強くした。
蝋が冷えて、印が固まる。
「これで、終わり?」フロルが少し笑う。
「始まりだ」ユーマは返す。「二週間後、数字はここまで行く」
《会計台帳》が予測頁を開いた。
《二週後予測》
売上:日商 銅貨 3,600(+32%)
粗利率:73%
物流コスト:−40%
在庫廃棄:−80%
税納付:前月比 +28%
労働時間:平均 7h/日
事故率:−60%(路:港―丘)
信頼指数:+75
アーデンが口笛を飲み込み、ベイルが白髭を撫で、フロルが目を細める。
リシアは封を固めた書類を束ねながら言った。
「あなた、ほんとうに“村を部署にした”のね」
「市場は整理すれば動く」
「情がないわけじゃない」
「情は制度の外で腐る。制度の中で生かす」
短い沈黙のあと、リシアが小さく笑った。「そうね。あなたのやり方は、冷たい優しさ」
香庫の奥で、瓶が控えめに鳴る。
ノエルが風の角を丸め、セリュが井戸の蓋を半寸だけ閉じ、ラカンが火を落とす。ミリルが床を撫で、木目の寝床を整える。
シルヴァが扉に手を当て、ゆっくり目を閉じる。
「幹が太る音がする。……良い夜」
ユーマは《会計台帳》に最後の一行を書いた。
“競争は税だ。払わなくていい税は、払わない。
統合は浪費の廃止。――利益は、秩序の中に生まれる。”
◇
7 翌朝:静かな繁栄
朝。
港から丘へ、新しい荷車が上がってくる。車輪はまっすぐ、縄は新しく、御者は笑わない。笑わないのは仕事が整っている証拠だ。
香庫にはフロル・ラインの新棚が立ち、鏡に朝の光が映る。
ベイル・サクラの畑からは刈り取りの声がして、ミリルが畝に指を入れた。「土が呼吸してる」
《会計台帳》の新ページは、白い。白いのに、もう整っている。
ユーマは札を返し、いつもの声で言った。
「開けます」
最初の客は、旅籠の女将。肩で笑いながら森香油を二本、滋養薬液を四本。
次は鍛冶屋。手を見せ、「裂けたら薄く一度、だろ」と言い、軟膏を買う。
フロル・ラインの棚には、首と耳の後ろに香りを置く図。女性たちが鏡の前で頷き、職人の指は静かに動く。
路の責任者アーデンは時刻通りに荷を降ろし、エリアスは次の車輪を打っている。
ベイルは畑の端で帽子を押し上げ、「顧問」という肩の軽さに苦笑し、若い者に根の厚さを教える。
《市場掌握》の地図に、もう一つ細い線が伸びる。
西の丘を越えた小村から、取引依頼。
ユーマは地図を一瞥して、紙に短く書く。――今は断る。
リシアが目を細める。「なぜ?」
「伸びは“適正速度”で。早い拡大は、遅い破綻になる」
「あなた、やっぱり冷たい優しさね」
「冷たい“正しさ”だ」
ユーマは瓶の刻印を指でなぞる。桜は光を返し、丘の風に溶けた。
この日、村は一つの企業体として動き出した。
買収も、吸収も、統合も――どれも“合理”の延長。
そして、合理は静かに人を守る。
夜、香庫の扉が柔らかく鳴る。
ユーマは灯を落としながら、小さく呟いた。
「次は――数字の外側だな」
それは、温情の話である。
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