第47話
王太子ジークハルト一行がヴァルケン領を去ってから、わずか一日。 アレクシスは、敗北と屈辱を抱えて帰途についた王国の運命など顧みず、自ら得た最大の戦利品――「古代技術書」の解析に没頭していた。
地下工房には、ブルンデルとアレクシスが、寝る間も惜しんで古代の羊皮紙と、現代の製図を広げていた。
「これを見ろ、アレクシス!」 ブルンデルが、興奮して錬金術書の断片を指差した。 「この『鋼鉄に命を与える触媒』の記述だ。我々が使っていた岩皮の熊の骨は、この古代の配合を、ごく一部、模倣していたに過ぎない。この記述通りに、特定の鉱石を微量混ぜ合わせれば、『ヴァルケン鋼』の強度は、更に五割増しになる!」
「超硬鋼材か……」 アレクシスは、その古代の知恵が、自分たちのライフル銃の砲身の耐久性を飛躍的に高め、量産における歩留まりを改善させることを瞬時に理解した。
さらに、アレクシスは「魔導工学書」の解析に注力していた。その中にあったのは、「超高効率な火薬」の製法。 「ブルンデル殿。これこそ、我々が求めていた『高純度火薬』だ。硝石の精製過程に、この古代の触媒を加える。燃焼効率が上がり、弾速と射程が、理論上さらに百メートル伸びる」
「百メートルだと? 五百メートルで既に反則だというのに、貴様は……」 ドワーフは、喜びと恐怖の混じった表情を浮かべた。
アレクシスは、この古代の知識が、単なる「技術のピース」ではなく、彼とブルンデルの知識を補完し、次の次元へと押し上げるための「チートコード」であることを確信した。
その頃、集落の訓練場は、静かな地獄と化していた。 新任の防衛長官に就任した騎士クロードが、猟兵部隊の訓練を始めていたのだ。
「遅い! 貴様たちの動作は、全てが鈍重だ!」
クロードは、怒鳴る代わりに、冷たい侮蔑を込めた声で兵士たちを鞭撻した。彼の訓練は、マルクスの合理的なものとは異なっていた。それは、貴族の騎士団が誇る「戦場での生存と統率」のための、極めて厳しい実践訓練だった。
「鉄砲を撃つだけでは、兵士ではない。剣と盾を持った敵に、肉薄された瞬間、貴様たちの誇りは砕け散る! 銃は、貴様たちの『牙』に過ぎん。その牙が使えなくなった時、貴様たちの『剣』こそが、貴様たちの命を救うのだ!」
クロードは、マルクスが指導していた「猟兵戦術(射撃と散兵)」に、古き良き「騎士道の魂」を植え付けようとしていた。
「マルクス参謀長」 訓練を見ていたアレクシスが、隣に立つマルクスに尋ねる。 「クロード殿は、一体何を植え付けている」
「『魂』です、アレクシス様」 マルクスは、感銘したように答えた。 「我々は、兵士に『技術』と『規律』を与えましたが、クロード殿は『誇り』を与えている。『ヴァルケン領の猟兵は、騎士に劣らぬ精鋭である』と信じ込ませている。彼の指導の下、兵士たちの練度は、我々の想定を超えて向上しています」
アレクシスは、王太子ジークハルトに仕えるはずだった「忠実な剣」が、今や、自らの軍隊を鍛え上げる最良の教官となっている皮肉に、冷ややかに笑った。
しかし、技術の進歩は、次なる「問題」を連れてきた。 「高純度火薬」の量産には、現在の硝石工場(集落の汚物処理場)では、原料が追いつかなくなっていた。
「マルクス。弾薬の製造が、ボトルネックになっている」 アレクシスは、壁に広げた地図を指差した。
「コービンからの報告で、ここだ」 彼が指差したのは、灰色山脈を越えた南の、不毛な砂漠地帯だった。
「この砂漠地帯に、硝石を多量に含む、巨大な岩塩の鉱脈がある。王家も手を出せない、魔物の巣窟だ」 「硝石鉱脈……」 マルクスが、息を呑む。それが手に入れば、弾薬の供給が永続的になる。
「クロード殿」 アレクシスは、クロードを振り返った。 「あんたの『正義』を試す、次の仕事だ。……『第三猟兵部隊』を編成し、その硝石鉱脈を確保しろ」
「はっ!」 クロードは、もはや躊躇しなかった。彼の脳裏には、リリアを悪魔に売った王家への怒りと、自分の「正義」を機能させてくれるアレクシスへの、忠誠とも信頼ともつかない、複雑な感情が渦巻いていた。
その頃、王都。 聖女リリアは、王太子ジークハルトの政略結婚を承認させた後、水を得た魚のように活動を加速させていた。
オルゴールの売上は、王家の財政を一時的に救い、彼女の人気は頂点に達した。
しかし、この「経済的成功」は、王太子ジークハルトの復讐心を冷ますどころか、逆に燃え上がらせた。 「あの女は、俺の金を使って、俺を裏切っている!」
王太子の怒りを受けた宰相子息エドゥアルドは、動いた。 彼は、ロートシルト商会を通じ、ヴァルケン領の生命線である「貿易」そのものを断つための「経済封鎖」を画策し始めた。
「アレクシス様! エドゥアルドが、王国の全商会に、ヴァルケン領との取引を禁じる『制裁布告』を出そうとしています! 帝国ルートも、いつ止まるか……!」 その情報は、王都の裏世界を根城とするコービンによって、即座にアレクシスの元へ届けられた。
「そうか。政略で勝てぬなら、経済で殺す、か。……手は読めた」
彼が硝石鉱脈の確保をクロードに命じた後、ブルンデルに命じた。
「ブルンデル殿。『施条銃(ライフル)』の量産を、最高速で始めろ。そして、この力を、弾薬製造だけでなく、この国の『経済』そのものを回す力に変える」
アレクシスは、王国の「経済封鎖」という新たな試練を、自らの技術と知恵で、どう乗り越えるか。
彼の目の先には、王都から来る「復讐の経済の波」と、南の砂漠に眠る「硝石」の山があった。
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